[SVC51-P01] 伊豆大島1986年噴火がマグマ供給系について火山学に投げかけた課題
キーワード:伊豆大島噴火、マグマ供給系、山頂火口、マグマだまり、割れ目噴火、結晶分化作用
伊豆大島で1986年に発生した噴火は、火山学的にも防災対応の点でも興味深い問題を残した。発表は当時の議論をふりかえり、その後得られた知見も考慮しながら、一連の噴火を起こしたマグマの動きについて再考する。
噴火は複数の事象から成る。まず1986年11月15~19日に伊豆大島の山頂火口を溶岩で満たし、さらに山頂から溶岩をあふれ出させた。噴火が最高潮に達した11月21日には、山頂から北西山腹に割れ目を伸ばしてマグマを激しく噴出し、10 km以上の高さまで噴煙を上げた。噴火による災害の発生を警戒して、この日の夜に全島民1万人余りの島外避難が決行され、避難は1か月ほど続いた。その後1990年10月までに4回の小噴火が起こり、それに合わせて山頂火口を埋めた溶岩が段階的に陥没した。
当時はマグマだまりが山頂直下に当然あるものと考えられていた。カルデラの北西側では水準測量が繰り返されており、噴火前の数年以上にわたって山頂付近が沈降していることが示された。噴火の数か月前には火山性微動、電気抵抗や火山ガスの異常などの前兆現象が観測されたが、山頂沈降のデータを重視して、火山噴火予知連絡会は山頂の直下にマグマは蓄積しておらず、大規模な噴火は起こらないだろうと推測した。予測に反して現実には大噴火が発生したのだが。
測量データが山頂の北西側に偏っており、火山性地震の震源が噴火前から山頂噴火時まで伊豆大島の北西側に分布したことに注目して、著者は当時マグマだまりが山頂直下ではなく北西山腹の地下にあると主張した(Ida, JVGR, 66, 53-67, 1995)。この考えと整合的に、山頂噴火時には北西山腹が沈降したことが2点の傾斜観測から示された。1987年11月18日の小噴火で山頂火口の溶岩が40 mほど陥没したときには、噴火後に強化された傾斜観測網で山頂の3 kmほど北西側を中心に明確な隆起が観測され、マグマが小噴火を起こしながら北西山腹地下のマグマだまりに逆流したと解釈された。これらの事実によって北西山腹地下のマグマだまりは存在が裏づけられたと思われたが、マグマだまりは山頂直下にあるべきだとする多くの火山学者の信念は簡単には覆らなかった。
一連の噴火が終わった後にも北西山腹地下のマグマだまりに都合のよい題材が加わったと思われる。噴火後に整備された高密度のGPS観測網によって伊豆大島の北~北西山腹を中心に明確な隆起が見いだされ、次の噴火に向けたマグマだまりの膨張が始まったと解釈されている。また、雲仙岳で1991-95年の噴火を起こしたマグマだまりは山頂西側の橘湾の地下に、桜島火山のマグマだまりは山頂北側の鹿児島湾の地下に存在することが共通認識となり、マグマだまりが山頂直下にないことは異常ではなくなった。
1986年11月21日に起きた伊豆大島の割れ目噴火はマグマ供給系に別な問題を提議した。噴火が爆発的であり、噴出した溶岩が山頂噴火のものより安山岩寄りであったことから、岩石学者の多くがマグマ供給源として山頂噴火とは別なマグマだまりを想定した。しかし、噴火割れ目が北西山腹地下に想定されるマグマだまりの真上に広がったことから、著者は山頂噴火と同じマグマだまりが供給源であると推定した。マグマが新しい通路を上昇する過程で冷却されて結晶分化作用を受ければ、噴火の爆発性や噴出物の化学組成の違いが説明できるからである。割れ目噴火で噴出した溶岩に化学組成のばらつきが大きいことも、冷却の度合いの差に原因を求めることができる。残念ながら、この提案は岩石学者の間で十分な議論を経るに至っていない。
噴火は複数の事象から成る。まず1986年11月15~19日に伊豆大島の山頂火口を溶岩で満たし、さらに山頂から溶岩をあふれ出させた。噴火が最高潮に達した11月21日には、山頂から北西山腹に割れ目を伸ばしてマグマを激しく噴出し、10 km以上の高さまで噴煙を上げた。噴火による災害の発生を警戒して、この日の夜に全島民1万人余りの島外避難が決行され、避難は1か月ほど続いた。その後1990年10月までに4回の小噴火が起こり、それに合わせて山頂火口を埋めた溶岩が段階的に陥没した。
当時はマグマだまりが山頂直下に当然あるものと考えられていた。カルデラの北西側では水準測量が繰り返されており、噴火前の数年以上にわたって山頂付近が沈降していることが示された。噴火の数か月前には火山性微動、電気抵抗や火山ガスの異常などの前兆現象が観測されたが、山頂沈降のデータを重視して、火山噴火予知連絡会は山頂の直下にマグマは蓄積しておらず、大規模な噴火は起こらないだろうと推測した。予測に反して現実には大噴火が発生したのだが。
測量データが山頂の北西側に偏っており、火山性地震の震源が噴火前から山頂噴火時まで伊豆大島の北西側に分布したことに注目して、著者は当時マグマだまりが山頂直下ではなく北西山腹の地下にあると主張した(Ida, JVGR, 66, 53-67, 1995)。この考えと整合的に、山頂噴火時には北西山腹が沈降したことが2点の傾斜観測から示された。1987年11月18日の小噴火で山頂火口の溶岩が40 mほど陥没したときには、噴火後に強化された傾斜観測網で山頂の3 kmほど北西側を中心に明確な隆起が観測され、マグマが小噴火を起こしながら北西山腹地下のマグマだまりに逆流したと解釈された。これらの事実によって北西山腹地下のマグマだまりは存在が裏づけられたと思われたが、マグマだまりは山頂直下にあるべきだとする多くの火山学者の信念は簡単には覆らなかった。
一連の噴火が終わった後にも北西山腹地下のマグマだまりに都合のよい題材が加わったと思われる。噴火後に整備された高密度のGPS観測網によって伊豆大島の北~北西山腹を中心に明確な隆起が見いだされ、次の噴火に向けたマグマだまりの膨張が始まったと解釈されている。また、雲仙岳で1991-95年の噴火を起こしたマグマだまりは山頂西側の橘湾の地下に、桜島火山のマグマだまりは山頂北側の鹿児島湾の地下に存在することが共通認識となり、マグマだまりが山頂直下にないことは異常ではなくなった。
1986年11月21日に起きた伊豆大島の割れ目噴火はマグマ供給系に別な問題を提議した。噴火が爆発的であり、噴出した溶岩が山頂噴火のものより安山岩寄りであったことから、岩石学者の多くがマグマ供給源として山頂噴火とは別なマグマだまりを想定した。しかし、噴火割れ目が北西山腹地下に想定されるマグマだまりの真上に広がったことから、著者は山頂噴火と同じマグマだまりが供給源であると推定した。マグマが新しい通路を上昇する過程で冷却されて結晶分化作用を受ければ、噴火の爆発性や噴出物の化学組成の違いが説明できるからである。割れ目噴火で噴出した溶岩に化学組成のばらつきが大きいことも、冷却の度合いの差に原因を求めることができる。残念ながら、この提案は岩石学者の間で十分な議論を経るに至っていない。