[2008] 伝えておきたい私の失敗―笑顔に救われて42年,大切にしてきたものは―
「伝えておきたい私の失敗」は,かつて本協会組織にあった障害児福祉部で企画開催された同名の研修会から拝借しました。
臨床経験が浅く若かった私は,この研修会から何かヒントが得られるのではないかと大きな期待を抱きましたが,長崎という遠方での開催でもあり諸般の事情で出席が叶わなかったことを今でも鮮明に覚えています。以後,「伝えておきたい私の失敗」は,私にとって思い入れの強い言葉として心の奥深くに残り,これまでたびたび使わせてもらってきました。今回の開港特別セミナー「生活を支えるための理学療法マインド―次世代へ送るエール―」にも,ぴったりのタイトルではないかと思っています。
こどもの理学療法(運動療法)では,こどもが理学療法士の指示に従わず(従えず),理学療法士が難渋している場面にしばしば遭遇します。
何故でしょうか?そこでは何が行われ,何が起こっているのでしょうか?
「こども」は,嘘をつきません。「おとな」になると,自分を繕うために,人は平気で嘘をつくようになります。
こどもの理学療法(運動療法)の臨床は,患者(こども)と理学療法士(おとな)だけの二者の関係だけではありません。必ずそこには家族(おとな=親,多くは母親)の存在があり,「こども」を囲む「おとな」達という三者の関係で成り立っているという特徴があります。
「こども」は,世の中のいろいろな事象に正直に反応します。
居心地がよければご機嫌で,笑顔を振りまき,まわりの人を幸せにさせます。
居心地が悪くなると不機嫌になって,愚図りだしたり,泣き出したりすることもあります。周りの人に「この居心地の悪さを何とかしてくれ」と盛んに訴えかけているのです。
「母親」は,機嫌を直してもらおうと,あやしたり,居心地の悪さが何なのかといろいろと手をかけ理由を探ろうとします。機嫌が直れば,ほっと一安心ですが,機嫌が直らず泣き出したとしても,決して諦めないで必死にあやし,あれこれと手を尽くしてご機嫌を直してもらおうと努力します。そして,「こども」が満足して,笑顔を浮かべようものならば,「母親」にも思わず笑顔がこぼれ出て,「母子」ともに幸せなひと時が訪れます。お互いに満足している微笑ましい光景が目に浮かびます。
「こども」は,独りでは生きていけません。「母親」に育まれ育てられていきます。「母親」も育児を通して,「こども」に「その子の母親」へと育てられていきます。
そこには,「こども」の全てを受け容れ,無償の愛情で「こども」の成長を育む「母親」と,「母親」に全てが受け容れられ,安心して身をゆだね,守られてすくすくと育てられていく「こども」の姿があります。そして,相互の信頼関係が深まり,母子の絆がしっかりしたものになっていきます。
このように,「こども」を全面的に受け容れて守ってくれている「母親」がいるからこそ,「こども」はそこに安心して居続けることができ,周囲との遣り取りが安定してできるようになります。この「信頼できる母親の存在」が,他人を信じていける力,さらに,他人から学んでいける力の基盤となっていきます。
以上,誰でも知っている母子関係の概要です。
さて,私たち理学療法士は,この母と子の間にどのように介入しようとしているのでしょうか?また,どのように介入していけばよいのでしょうか?
首が据わらず,お座りが出来ず,独りでの移動もままならない「こども」達は,常に「母親」に連れられて私たちの目の前に現れます。「母親」への依存度は健常児よりも強く,しかも長い間「母親」からの援助が必要になります。「こども」は,居心地が悪くてそこから逃げ出したくても,「母親」が連れ出してくれない限り,そこに居続けなければならないという現実に直面しています。「母親」は,育てにくさや将来への不安で育児の喜びや幸せを感じることもできない状態で,我々理学療法士の前に「こども」を連れ出してきます。
理学療法士による介入は,初期の母子関係の形成に極めて大きな影響を与えています。これまでの経験から失敗のエピソードをも含めて,「母親(家族)」抜きには語れない「こども(患者)」の生活をどう支えてきたか,また,何を大切にしてきたかをいろいろつぶやいてみたいと思っています。
ランチョンセミナーですので重い話はできません。聴いていただいて何かしら感じ取っていただければ幸いです。
臨床経験が浅く若かった私は,この研修会から何かヒントが得られるのではないかと大きな期待を抱きましたが,長崎という遠方での開催でもあり諸般の事情で出席が叶わなかったことを今でも鮮明に覚えています。以後,「伝えておきたい私の失敗」は,私にとって思い入れの強い言葉として心の奥深くに残り,これまでたびたび使わせてもらってきました。今回の開港特別セミナー「生活を支えるための理学療法マインド―次世代へ送るエール―」にも,ぴったりのタイトルではないかと思っています。
こどもの理学療法(運動療法)では,こどもが理学療法士の指示に従わず(従えず),理学療法士が難渋している場面にしばしば遭遇します。
何故でしょうか?そこでは何が行われ,何が起こっているのでしょうか?
「こども」は,嘘をつきません。「おとな」になると,自分を繕うために,人は平気で嘘をつくようになります。
こどもの理学療法(運動療法)の臨床は,患者(こども)と理学療法士(おとな)だけの二者の関係だけではありません。必ずそこには家族(おとな=親,多くは母親)の存在があり,「こども」を囲む「おとな」達という三者の関係で成り立っているという特徴があります。
「こども」は,世の中のいろいろな事象に正直に反応します。
居心地がよければご機嫌で,笑顔を振りまき,まわりの人を幸せにさせます。
居心地が悪くなると不機嫌になって,愚図りだしたり,泣き出したりすることもあります。周りの人に「この居心地の悪さを何とかしてくれ」と盛んに訴えかけているのです。
「母親」は,機嫌を直してもらおうと,あやしたり,居心地の悪さが何なのかといろいろと手をかけ理由を探ろうとします。機嫌が直れば,ほっと一安心ですが,機嫌が直らず泣き出したとしても,決して諦めないで必死にあやし,あれこれと手を尽くしてご機嫌を直してもらおうと努力します。そして,「こども」が満足して,笑顔を浮かべようものならば,「母親」にも思わず笑顔がこぼれ出て,「母子」ともに幸せなひと時が訪れます。お互いに満足している微笑ましい光景が目に浮かびます。
「こども」は,独りでは生きていけません。「母親」に育まれ育てられていきます。「母親」も育児を通して,「こども」に「その子の母親」へと育てられていきます。
そこには,「こども」の全てを受け容れ,無償の愛情で「こども」の成長を育む「母親」と,「母親」に全てが受け容れられ,安心して身をゆだね,守られてすくすくと育てられていく「こども」の姿があります。そして,相互の信頼関係が深まり,母子の絆がしっかりしたものになっていきます。
このように,「こども」を全面的に受け容れて守ってくれている「母親」がいるからこそ,「こども」はそこに安心して居続けることができ,周囲との遣り取りが安定してできるようになります。この「信頼できる母親の存在」が,他人を信じていける力,さらに,他人から学んでいける力の基盤となっていきます。
以上,誰でも知っている母子関係の概要です。
さて,私たち理学療法士は,この母と子の間にどのように介入しようとしているのでしょうか?また,どのように介入していけばよいのでしょうか?
首が据わらず,お座りが出来ず,独りでの移動もままならない「こども」達は,常に「母親」に連れられて私たちの目の前に現れます。「母親」への依存度は健常児よりも強く,しかも長い間「母親」からの援助が必要になります。「こども」は,居心地が悪くてそこから逃げ出したくても,「母親」が連れ出してくれない限り,そこに居続けなければならないという現実に直面しています。「母親」は,育てにくさや将来への不安で育児の喜びや幸せを感じることもできない状態で,我々理学療法士の前に「こども」を連れ出してきます。
理学療法士による介入は,初期の母子関係の形成に極めて大きな影響を与えています。これまでの経験から失敗のエピソードをも含めて,「母親(家族)」抜きには語れない「こども(患者)」の生活をどう支えてきたか,また,何を大切にしてきたかをいろいろつぶやいてみたいと思っています。
ランチョンセミナーですので重い話はできません。聴いていただいて何かしら感じ取っていただければ幸いです。