第50回日本理学療法学術大会

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ポスター

ポスター2

運動制御・運動学習1

Sat. Jun 6, 2015 1:50 PM - 2:50 PM ポスター会場 (展示ホール)

[P2-B-0472] 経頭蓋静磁場刺激の運動技能習得への影響

野嶌一平1, 美馬達哉2 (1.名古屋大学大学院医学系研究科, 2.京都大学大学院医学研究科附属脳機能総合研究センター)

Keywords:静磁場刺激, 運動技能習得, 潜在的運動

【はじめに,目的】1テスラ程度の小型ネオジム永久磁石を頭表に留置することでヒト一次運動野の興奮性を,非侵襲的および外的に操作するできることが2011年に報告されて以降,国際的に経頭蓋静磁場刺激(tSMS)に対する関心が高まっている。大脳皮質の興奮性を外的に調整する方法として,経頭蓋磁気刺激法(TMS)や経頭蓋直流電気刺激法(tDCS)が幅広く使用され,運動学習や記憶学習に対する促通効果が知られている。また近年,tSMSにより視覚野領域や感覚野領域の興奮性抑制効果も報告され,今後の臨床応用への期待が高まってきている。本刺激方法は,TMSやtDCSで見られる刺激部位の異常発火や皮膚障害といった使用に伴うリスクの危険性が極めて低く,長時間または頻回な使用が可能であるという点も大きな利点である。一方,臨床への応用という側面で考えた場合,特にリハビリテーション(以下リハ)領域では,大脳皮質の興奮性変化により行動レベルにどのような変化が出現するのかが非常に重要になる。TMSやtDCSを用いた研究では,大脳皮質の興奮性変化による行動レベルの変化も積極的に調査されている。そこで今回,臨床応用への期待が高いtSMSによる運動機能への影響を検討する。
【方法】
対象は神経学的障害を有していない右利きの健常成人15名(22.5±1.9歳,男性10名,女性5名)である。tSMS介入は表面磁束密度5.3MGOe(吸着力88kg)のネオジム磁石(直径45mm,幅30mm)を専用の非磁性体ヘルメットに装着して刺激を行った(tSMS群)。この刺激強度は,先行研究で有意な大脳皮質の抑制効果を認めた強度と同等である。被験者はリクライニング椅子上に半臥位となり,tSMS刺激部位は左一次運動野(M1)とし,TMSを使用して一次運動野を同定した。介入時間は10分間とした。この際,静磁場による刺激で刺激を感じる者や不快感を訴える者はいなかった。対照群として,同じ大きさの鉄塊を同じ部位に同じ時間設置する介入を行った(Sham群)。この際,検者および被験者共に,行っている介入がtSMS群またはSham群のどちらであるかわからないようにした。
運動課題は,潜在的(Implicit)学習要素を含むボタン押し課題とした。この課題では,スクリーンに経時的に表れる視覚刺激の位置に対応する4つのボタンを右手の4本の指で押すタッピング課題を採用した。そして,被験者には反応時間課題であると教示を与えた。しかし実際にはある反応系列(4-1-2-4-3-2-1-4-1-3)が学習系列としてランダムな学習系列の施行の中に組み込まれることで,無意識的に反復トレーニングを受けることになり,運動学習が得られるという課題である。そして両介入中,介入前後および介入後1日の変化を計測した。
統計学的解析としては,介入と施行の2要因における二元配置分散分析を用いて,有意水準は5%とした。
【結果】tSMS群において,ボタン押し反応時間は,介入前0.38±0.01,介入後0.35±0.01となった。一方対照群では,介入前0.385±0.04,介入後0.33±0.04であった。これらの結果より,tSMSで有意な運動学習の抑制が示された。また一日後の運動学習の持続に関しては,両群共に有意な差が見られなかった。
【考察】本研究において,運動技能習得における静磁場刺激の効果について検討した。我々は先行研究において,tSMSにおいて大脳皮質の興奮性抑制機序として,GABA系抑制機構の関与を報告している(投稿中)。今回,tSMSにより一次運動野が抑制され,それが行動レベルにも影響する可能性が示唆された。これは一次運動野の興奮性抑制に臨床的意義を与える発見であると考えられる。今後は,脳卒中片麻痺患者の非損傷側半球の過剰興奮抑制などに取り組んでいきたい。
【理学療法学研究としての意義】
安全性の高い,大脳皮質興奮性調整方法であり,今後の臨床応用について国際的にも大きな期待が寄せられている。一般的に,磁場強度は距離に反比例するため,頭蓋外からの刺激で補足運動野などの深部の興奮性を調整することは難しいことが予想されている。一次運動野への介入として,先行研究で効果が報告されているTMSやtDCSと適応を考慮しながら,患者にとって最適な刺激方法の選択が可能になってくるものと考える。