[P3-C-1045] 脳血管障害患者と理学療法士の認識の齟齬
インタビューの質的分析を通して
Keywords:質的研究, 脳血管障害, 入院患者
【はじめに】
近年,当事者研究や質的研究の成果により,障害を持つとはいかなるものかという当事者の視点が医療の世界にも浸透しつつある。このような当事者の視点は,われわれ医療者とは異なる独自の視点を持っていることが示されている。しかし,そのような研究の多くは,医療全体を俯瞰したものが多く,理学療法の現場を対象とした研究はほとんど行われていない。本研究は患者の持つ認識に焦点を当て,理学療法士(以下,PT)の認識と比較し,両者の間にある認識の齟齬を明らかにすることを目的とする。
【対象と方法】
対象は脳血管障害と診断され,A病院に入院している片麻痺を呈した者とした。明らかな言語障害,認知障害を呈しておらず,コミュニケーション可能であることを条件とした。条件を満たし,参加の同意を得られた4名を参加者とした。各対象者に個別にて半構造化インタビューを実施した。インタビュー内容に関しては,「今の自分の身体はどんな感じですか」「リハビリについて何が分かりましたか」「リハビリについて難しいことは何ですか」「リハビリの内容についてどのように理解されていますか」等であった。時間軸での変化を個別に見るために,インタビューを一ヶ月ごとに実施し,計3回行った。また参考データとして,各患者の担当PTにもインタビューを行った。
インタビューについては対象者の固有の体験の有様を研究者が妥当性をもって取り出す現象学的研究に基づき分析を試みた。まず記述した全てのテクストを読み,一貫して出現するテーマを抽出して,解釈のアウトラインを作成した。その後,他のテクストの諸部分を文脈ごと作成されたアウトラインに転写し,テーマごとに整理を行った。さらに,テーマ間の関係性やテーマの持つ意味を解釈するために,各テーマやテキストの間を行き交い,熟考した。結果の妥当性は,提起された解釈に対応させながら,繰り返しテクストを読み込み吟味することで評価した。
【結果】
本研究では,患者と理学療法士の齟齬は主に[身体性(embodiment)]と[生活(life)]において生じていることが明らかとなった(メインテーマを[],サブテーマを〈〉で記す)。[身体性]については〈身体の認識〉と〈良くなるという実感〉の相違により構成されていた。[生活]については〈リスク認知〉と〈生活についての合理的判断〉の相違から成っていた。
また患者はインタビュー初期の頃は,主に[身体性]について語る傾向にあった。しかし,インタビューの終期にかけては,身体から[生活]に語りの軸が移っていく傾向にあった。
【考察】
本研究では[身体性]と[生活]が概念として抽出されたが,両者は全く異なるものではなく,両義的なものである。言うまでもなく,生活とはその身体によって成せるものである。その出発点となる身体において,患者とPTでは認識に違いが生じているため,その後の生活についても認識の相違が発生していると考えられる。PTの持つ身体性とは,生理学・解剖学に基づく身体の認識であるに対して,患者の持つ身体性とは,自身の体験に基づく身体の認識であり,両者は必ずしも一致しない。また生活に関しても,PTが転倒等の身体的リスク等を絶対的なものとして重きを置くのに対し,患者は身体的リスクはあくまで要素の一つに過ぎないとし,相対的に捉えていると考えられる。
このような患者と医療者との齟齬は,医療者という強い立場にある者が,弱い立場にある者(ここでの患者)の利益になるようにと,本人の意志に反して行動に介入・干渉するパターナリズムとして,従来から度々指摘されている。またこのようなパターナリズムの中では,医療者による干渉は正当化されやすく,患者がそれに抗うことは困難とされている。本研究で患者とPT間の齟齬が表面化しにくいことはこの点に起因する。
以上のことから,PTの捉える身体性が絶対的なものであるという信念は,患者との齟齬を生む可能性があり,またパターナリズムのような権威性・強制性を内在しやすいため,そのような信念もあくまで一つの認識に過ぎないという,相対的な視点が必要となると考える。
【理学療法学研究としての意義】
本研究は臨床の現場で起こる様々な齟齬に対応する際の一助となるとともに,近年,提唱されている患者中心の医療(Patient-Centered Medicine)を理学療法分野で実践していく際の課題を明確化した意味において意義深いと考える。
近年,当事者研究や質的研究の成果により,障害を持つとはいかなるものかという当事者の視点が医療の世界にも浸透しつつある。このような当事者の視点は,われわれ医療者とは異なる独自の視点を持っていることが示されている。しかし,そのような研究の多くは,医療全体を俯瞰したものが多く,理学療法の現場を対象とした研究はほとんど行われていない。本研究は患者の持つ認識に焦点を当て,理学療法士(以下,PT)の認識と比較し,両者の間にある認識の齟齬を明らかにすることを目的とする。
【対象と方法】
対象は脳血管障害と診断され,A病院に入院している片麻痺を呈した者とした。明らかな言語障害,認知障害を呈しておらず,コミュニケーション可能であることを条件とした。条件を満たし,参加の同意を得られた4名を参加者とした。各対象者に個別にて半構造化インタビューを実施した。インタビュー内容に関しては,「今の自分の身体はどんな感じですか」「リハビリについて何が分かりましたか」「リハビリについて難しいことは何ですか」「リハビリの内容についてどのように理解されていますか」等であった。時間軸での変化を個別に見るために,インタビューを一ヶ月ごとに実施し,計3回行った。また参考データとして,各患者の担当PTにもインタビューを行った。
インタビューについては対象者の固有の体験の有様を研究者が妥当性をもって取り出す現象学的研究に基づき分析を試みた。まず記述した全てのテクストを読み,一貫して出現するテーマを抽出して,解釈のアウトラインを作成した。その後,他のテクストの諸部分を文脈ごと作成されたアウトラインに転写し,テーマごとに整理を行った。さらに,テーマ間の関係性やテーマの持つ意味を解釈するために,各テーマやテキストの間を行き交い,熟考した。結果の妥当性は,提起された解釈に対応させながら,繰り返しテクストを読み込み吟味することで評価した。
【結果】
本研究では,患者と理学療法士の齟齬は主に[身体性(embodiment)]と[生活(life)]において生じていることが明らかとなった(メインテーマを[],サブテーマを〈〉で記す)。[身体性]については〈身体の認識〉と〈良くなるという実感〉の相違により構成されていた。[生活]については〈リスク認知〉と〈生活についての合理的判断〉の相違から成っていた。
また患者はインタビュー初期の頃は,主に[身体性]について語る傾向にあった。しかし,インタビューの終期にかけては,身体から[生活]に語りの軸が移っていく傾向にあった。
【考察】
本研究では[身体性]と[生活]が概念として抽出されたが,両者は全く異なるものではなく,両義的なものである。言うまでもなく,生活とはその身体によって成せるものである。その出発点となる身体において,患者とPTでは認識に違いが生じているため,その後の生活についても認識の相違が発生していると考えられる。PTの持つ身体性とは,生理学・解剖学に基づく身体の認識であるに対して,患者の持つ身体性とは,自身の体験に基づく身体の認識であり,両者は必ずしも一致しない。また生活に関しても,PTが転倒等の身体的リスク等を絶対的なものとして重きを置くのに対し,患者は身体的リスクはあくまで要素の一つに過ぎないとし,相対的に捉えていると考えられる。
このような患者と医療者との齟齬は,医療者という強い立場にある者が,弱い立場にある者(ここでの患者)の利益になるようにと,本人の意志に反して行動に介入・干渉するパターナリズムとして,従来から度々指摘されている。またこのようなパターナリズムの中では,医療者による干渉は正当化されやすく,患者がそれに抗うことは困難とされている。本研究で患者とPT間の齟齬が表面化しにくいことはこの点に起因する。
以上のことから,PTの捉える身体性が絶対的なものであるという信念は,患者との齟齬を生む可能性があり,またパターナリズムのような権威性・強制性を内在しやすいため,そのような信念もあくまで一つの認識に過ぎないという,相対的な視点が必要となると考える。
【理学療法学研究としての意義】
本研究は臨床の現場で起こる様々な齟齬に対応する際の一助となるとともに,近年,提唱されている患者中心の医療(Patient-Centered Medicine)を理学療法分野で実践していく際の課題を明確化した意味において意義深いと考える。