第50回日本理学療法学術大会

講演情報

市民公開講座

市民公開講座

2015年6月7日(日) 14:00 〜 15:10 第2会場 (ホールC)

司会:内山靖(名古屋大学大学院 医学系研究科)

[SL-01-1] 心身の立て直しと“人生の物語”

柳田邦男 (ノンフィクション作家・評論家)

「人は物語を生きている」―病気や障害を背負った人々の話に耳を傾けたり、闘病記や回想記を読んだりすることの多い作家生活をしている中で、私が抱くようになった人間観を簡潔に言い表すと、そうなる。
人が中年期なり老年期になって人生を振り返り、辛かったこと、悲しかったこと、楽しかったことなど、強く印象に残ったエピソードを思い起こし、それらのエピソードを1つごとにエッセイか回想記として文章をまとめていくと、どんな人でも20章とか30章に及ぶ人生一代記が立ち上がってくる。まさに人は物語を生きているのだということが実感される。
人生をそのような形で振り返ると、それまで自分の人生はつまらないものだった、無意味だったと思いこんでいた人が、「よくぞ自分はあの辛かった時期を乗り越えたなあ」「自分の人生は捨てたものじゃあないな」といった自己肯定感を持てるようになる。ナチスドイツのユダヤ人大量虐殺から生き延びた精神医学者V. フランクルが語った言葉―「生きることそれ自体に意味があるだけではなく、苦悩することにも意味、しかも絶対の意味があります」という言葉に私は全幅の共感を覚えるのだ。
そして、もう1つ、私が大切にしている人間観は、「心身一如」というとらえ方だ。心と身体は1体のものであって切り離せないということ。西洋近代科学は両者を切断してとらえるが、現実の人間はそんなものではない。例えば、あるALS患者は足腰の衰弱を少しでも防ぐために、懸命にリハビリを続けて心を屹立させていた。ある末期がんの美容師は床に伏しても手指のリハビリを続けて、ハサミを使って店に立てる日への希望を捨てなかった。これらの行為は「心身一如」の思想とどうかかわり、どんな意味があるのか。また、「物語を生きる」という文脈にどのように位置づけるのか。そんなことを語ろうと思う。