[TK-01-1] 理学療法の50年―黎明期からの進歩と課題
半世紀前の1963-66の4年間は,「日本の総合的なリハビリテーション(以下,リハと略)の黎明期」というにふさわしい,記念すべき事件が次々に起こった,めまぐるしく,また輝かしい時期であった。その最初と最後を理学療法関連の事件が飾ったのは偶然ではない。
1963(昭和38)年:この年は日本のリハ医学の生誕の年ともいうべく,リハ医学の「三位一体」をなす「診療・教育・研究」のそれぞれの面で決定的なことが起こった。それは起こった順に,①教育(日本初の理学療法士・作業療法士学校が,清瀬の国立療養所東京病院付属リハ学院として開校,5月),②診療(日本初の大学病院リハ診療部門である東京大学付属病院中央診療部運動療法室〈後のリハ部〉の発足,7月)③研究(日本リハ医学会の結成,9月)であった。
1964年:日本障害者リハ協会の設立(9月),パラリンピックの開催(11月)。
1965年:第3回汎太平洋リハ会議の開催(東京,4月)。これは日本最初のリハ関係国際会議であり,初の総合リハの会議(医学・教育・職業・社会・行政の各分野が初めて一堂に会した)であった。この年はまた「理学療法士・作業療法士法」が成立した(6月)重要な年でもある。
1966年:この年に清瀬のリハ学院が最初の卒業生を出し,第1回の理学療法士・作業療法士国家試験が行われた(2,3月)。それによって特例受験者を含め,理学療法士183名,作業療法士20名が誕生し,間もなく日本理学療法士協会(7月),日本作業療法士協会(9月)が結成された。
演者の上田は,ニューヨーク大学留学中の1964年を除いて,以上のすべてに直接関与しており,その後もリハ医学の診療・教育・研究,より広い「総合リハ」の建設,またそれらの思想的基盤ともいうべきICFの普及などに努力してきた。その立場から,理学療法を中心にそれぞれの経過を振り返り,その背景を探り,半世紀の進歩を振り返るとともに今後の課題について共に考えたい。
1963(昭和38)年:この年は日本のリハ医学の生誕の年ともいうべく,リハ医学の「三位一体」をなす「診療・教育・研究」のそれぞれの面で決定的なことが起こった。それは起こった順に,①教育(日本初の理学療法士・作業療法士学校が,清瀬の国立療養所東京病院付属リハ学院として開校,5月),②診療(日本初の大学病院リハ診療部門である東京大学付属病院中央診療部運動療法室〈後のリハ部〉の発足,7月)③研究(日本リハ医学会の結成,9月)であった。
1964年:日本障害者リハ協会の設立(9月),パラリンピックの開催(11月)。
1965年:第3回汎太平洋リハ会議の開催(東京,4月)。これは日本最初のリハ関係国際会議であり,初の総合リハの会議(医学・教育・職業・社会・行政の各分野が初めて一堂に会した)であった。この年はまた「理学療法士・作業療法士法」が成立した(6月)重要な年でもある。
1966年:この年に清瀬のリハ学院が最初の卒業生を出し,第1回の理学療法士・作業療法士国家試験が行われた(2,3月)。それによって特例受験者を含め,理学療法士183名,作業療法士20名が誕生し,間もなく日本理学療法士協会(7月),日本作業療法士協会(9月)が結成された。
演者の上田は,ニューヨーク大学留学中の1964年を除いて,以上のすべてに直接関与しており,その後もリハ医学の診療・教育・研究,より広い「総合リハ」の建設,またそれらの思想的基盤ともいうべきICFの普及などに努力してきた。その立場から,理学療法を中心にそれぞれの経過を振り返り,その背景を探り,半世紀の進歩を振り返るとともに今後の課題について共に考えたい。