4:50 PM - 5:10 PM
[CPS-10] 培養肉:おいしいお肉を食べ続けるための新しい選択肢
スーパーマーケットに行けば簡単に手に入り,毎日のように食卓に上るお肉が,近い将来食べられなくなるかもしれない――,増え続ける世界人口と,新興国の経済発展による食生活の変化(肉食の増加)によって,食肉の需要に供給が追い付かなくなることが危惧されている.これは,食肉だけではなく,私たちの身体を作る主要な栄養素であるタンパク質全般について言えることであり,「タンパク質クライシス」と呼ばれる.そこで近年,これまであまり食物として活用されてこなかったタンパク源を見直そうという動きが高まっている.これらの「代替タンパク質」の例として,昆虫,微細藻類(クロレラやユーグレナなど,現在もサプリメントとして利用されている),植物性タンパク質がある.植物性タンパク質はこれまでも食べられてきたが,特に,フードテックを利用して大豆やエンドウ豆由来のタンパク質から,見た目と味が肉そっくりの「植物肉」を作る動きが加速している.
また,もうひとつの新しい肉の選択肢として,「培養肉」がある.肉を供給する「畜産」というシステムは,家畜を飼育するための広い土地,大量の水やエネルギー,エサとなる穀物を必要とする.また,ウシのゲップや排泄物は温室効果ガスの排出につながる.このような環境負荷が高い現行の畜産を将来にわたって拡大し続けることは,ほぼ不可能である.そこで,持続可能性の高い畜産を模索する動きと共に注目されているのが,培養肉である.培養肉は,ウシやトリなどの動物から得られた少量の細胞を,適切な栄養素を含んだ培養液の中で増やし,その増やした細胞を使って作製する肉である.動物を死なせなくても作ることができ,細胞を培養して元の何倍もの数に増やす過程を経ることで,家畜を丸ごと一頭育てるよりも効率よく食肉を生産できる,環境に優しい食肉生産方法として期待されている.
この「培養肉」というアイデア自体は古くからあり,1931年に発表されたイギリスの元首相,ウィンストン・チャーチルのエッセイや,1950年代に描かれた手塚治虫の漫画「ジャングル大帝」でも言及されている.そして,その後の細胞培養技術の発展によって,2013年になって初めて,マーストリヒト大学(オランダ)の生理学者マーク・ポストによってその実現可能性が実証された.彼らは,ウシから採取した筋細胞を7~8週間かけて培養して増やし,ハンバーガーのパテ大の培養肉を作製した.さらに,これを調理して実際に食し,「ジューシーさは足りないが,肉らしい風味がある」との感想を発表している.この時作られた培養肉は小さな筋線維の集まりであり,ハンバーガーパテに調理されたことからもわかるように,いわばミンチ肉状のものであった.現在は,より幅広い料理に利用可能で,市場価値の高いステーキ肉(かたまり肉)状の培養肉を実現しようと,世界中の大学や食品企業,スタートアップ企業が研究開発を行っている.ステーキ肉は厚みのある大きな組織であり,長い筋線維が同じ方向にそろって並んだ構造をしている(この構造が肉の歯ごたえを生み出していると考えられる).どうすれば,このような培養肉を作ることができるだろうか.
そもそも,一体どうやって細胞から肉を作るのだろうか? 私たちが普段食べているお肉の実体は,動物の四肢や体幹を形づくる骨格筋である.細胞と,その細胞が接着する足場,培養液に加える化学的シグナルを様々に変えて,生き物の器官や組織を体外で再現することを試みる学問分野を「組織工学」という.近年,組織工学技術は目覚ましい発展を遂げており,その成果は再生医療や創薬の分野で実を結んでいる.培養ステーキ肉を作るためには,大きく二つの課題がある.一つは厚みのある大きな組織を作ることであり(血管がない組織は,数100 µm以上の厚みになると酸素が内部へ到達せず壊死してしまう),もう一つは実際の骨格筋のように,筋線維を同じ方向にそろえて並べることである.私たちの研究グループでは,牛肉から採取して増やした筋細胞をゼリー状のコラーゲンゲルに混ぜて薄いシート状に成型し,両端を固定しながら積層して培養することでサイコロステーキ状培養肉を作製した.最初から分厚い組織を作るのではなく,薄いシートを重ねることで,組織内部の細胞死を防ぎ,両端固定により横方向に張力をかけることで,筋細胞を並べることに成功している.
本講演を通じて,培養肉が長年積み上げてきた組織工学技術の粋を集めた成果であること,様々な可能性を秘めた新世代のお肉であることを紹介できれば幸いである.
【略歴】 2006年東京大学教養学部卒業,2011年東京大学大学院総合文化研究科修了(博士(学術)).ペンシルベニア大学・ポスドク研究員,東京大学生産技術研究所・特任研究員等を経て,2019年より東京大学大学院情報理工学系研究科・特任助教.
また,もうひとつの新しい肉の選択肢として,「培養肉」がある.肉を供給する「畜産」というシステムは,家畜を飼育するための広い土地,大量の水やエネルギー,エサとなる穀物を必要とする.また,ウシのゲップや排泄物は温室効果ガスの排出につながる.このような環境負荷が高い現行の畜産を将来にわたって拡大し続けることは,ほぼ不可能である.そこで,持続可能性の高い畜産を模索する動きと共に注目されているのが,培養肉である.培養肉は,ウシやトリなどの動物から得られた少量の細胞を,適切な栄養素を含んだ培養液の中で増やし,その増やした細胞を使って作製する肉である.動物を死なせなくても作ることができ,細胞を培養して元の何倍もの数に増やす過程を経ることで,家畜を丸ごと一頭育てるよりも効率よく食肉を生産できる,環境に優しい食肉生産方法として期待されている.
この「培養肉」というアイデア自体は古くからあり,1931年に発表されたイギリスの元首相,ウィンストン・チャーチルのエッセイや,1950年代に描かれた手塚治虫の漫画「ジャングル大帝」でも言及されている.そして,その後の細胞培養技術の発展によって,2013年になって初めて,マーストリヒト大学(オランダ)の生理学者マーク・ポストによってその実現可能性が実証された.彼らは,ウシから採取した筋細胞を7~8週間かけて培養して増やし,ハンバーガーのパテ大の培養肉を作製した.さらに,これを調理して実際に食し,「ジューシーさは足りないが,肉らしい風味がある」との感想を発表している.この時作られた培養肉は小さな筋線維の集まりであり,ハンバーガーパテに調理されたことからもわかるように,いわばミンチ肉状のものであった.現在は,より幅広い料理に利用可能で,市場価値の高いステーキ肉(かたまり肉)状の培養肉を実現しようと,世界中の大学や食品企業,スタートアップ企業が研究開発を行っている.ステーキ肉は厚みのある大きな組織であり,長い筋線維が同じ方向にそろって並んだ構造をしている(この構造が肉の歯ごたえを生み出していると考えられる).どうすれば,このような培養肉を作ることができるだろうか.
そもそも,一体どうやって細胞から肉を作るのだろうか? 私たちが普段食べているお肉の実体は,動物の四肢や体幹を形づくる骨格筋である.細胞と,その細胞が接着する足場,培養液に加える化学的シグナルを様々に変えて,生き物の器官や組織を体外で再現することを試みる学問分野を「組織工学」という.近年,組織工学技術は目覚ましい発展を遂げており,その成果は再生医療や創薬の分野で実を結んでいる.培養ステーキ肉を作るためには,大きく二つの課題がある.一つは厚みのある大きな組織を作ることであり(血管がない組織は,数100 µm以上の厚みになると酸素が内部へ到達せず壊死してしまう),もう一つは実際の骨格筋のように,筋線維を同じ方向にそろえて並べることである.私たちの研究グループでは,牛肉から採取して増やした筋細胞をゼリー状のコラーゲンゲルに混ぜて薄いシート状に成型し,両端を固定しながら積層して培養することでサイコロステーキ状培養肉を作製した.最初から分厚い組織を作るのではなく,薄いシートを重ねることで,組織内部の細胞死を防ぎ,両端固定により横方向に張力をかけることで,筋細胞を並べることに成功している.
本講演を通じて,培養肉が長年積み上げてきた組織工学技術の粋を集めた成果であること,様々な可能性を秘めた新世代のお肉であることを紹介できれば幸いである.
【略歴】 2006年東京大学教養学部卒業,2011年東京大学大学院総合文化研究科修了(博士(学術)).ペンシルベニア大学・ポスドク研究員,東京大学生産技術研究所・特任研究員等を経て,2019年より東京大学大学院情報理工学系研究科・特任助教.