第74回日本細胞生物学会大会(2022年)

男女共同参画

博士のキャリアをどう作る?経験者からのリアルな情報収集、ここでできます
 
講演1:長岡技術科学大学 生物機能工学専攻 准教授 藤原郁子
博士のキャリアパス
~PhD取得後、気の向くままに人生を進めてしまった私のキャリアパス~
 将来、研究を職業として生きていくための要素は何でしょうか。私は最初の論文をReviseに出した後、米国の2つの大学にJob talkをしに行きました。幸いな事に一番行きたかったYale大学の研究室でポスドクとして受け入れてもらい、アメリカ人のポスドクに囲まれた、楽しい研究生活を送りました。毎週木曜には欧米から第一線で活躍する研究者も来て、クッキー片手に講演を聞くことができる素晴らしい環境でした。その3年後、Yale大のボスが働いていたNIHにて、研究員として働きました。日本人はもとより大量のアジア人がいて、その数に驚きました。首都近傍だけあって政治だけでなく企業も多く、研究以外の道を生きる人達とも出会い、話し、助けられてきました。その間、結婚と育児を経験し、日本に戻ってきました。初めてベンチワーク以外の仕事としてUniversity Research Administrator(URA: 大学等における研究マネジメント人材)を経験することで、自分のやりたい仕事は研究なのだと再認識しました。私は世界トップレベルの研究者でも、クリエイティブな人間でもありません。でも、今、准教授として働けています。当日は、PhD取得後、気の向くままに人生を進めてしまった私の経緯をお話します。ここには書けない内容を含めて、皆さんの今後のプランニングの参考になれば幸いです。

講演2:日本科学未来館 科学コミュニケーター 櫛田康晴(くしだやすはる)
科学コミュニケーションの現場につながった私の経験
 もともと子供たちに科学を伝える仕事に憧れを持つ。大学院時代は繊毛虫を研究対象とし、核分裂の分子機構の解明を目指す。研究自体が好きで、当時研究者になる以外のキャリアは思い描いていなかった。
 ポスドク時代は、ラボにとって新規の分野の開拓を任されることが多く、外部の研究機関との共同研究に近い形で研究を行う。研究自体にはやりがいを感じていたが、その間に、科学は「役に立たなければいけない」という誤解や、研究界と社会の分断を感じて、問題意識を強く持つようになり、研究者と市民の間に立つような仕事がしたいと考えるようになる。
 4年間のポスドク生活を経て、日本科学未来館の科学コミュニケーターの職に就く。1年間のフロア・イベント業務を経て、展示制作を担う部署へ異動。現在まで3年間、常設展示の制作や改修業務を行う。科学コミュニケーションという新しいライフワークと出会い、学生時代には思い描いていなかったキャリアを邁進中。

対談:博士を取った後、どうする?
藤原郁子(長岡技術科学大学 生物機能工学専攻 准教授)
櫛田康晴(日本科学未来館 科学コミュニケーター)
水谷晃輔(細胞生物若手の会、東京大学 新領域創生科学研究科 博士1年)
犬塚悠剛(細胞生物若手の会、東京大学理学研究科 修士2年)
金久保有希(細胞生物若手の会、東京大学総合文化研究科 修士1年) 
(司会)末次志郎(奈良先端大 先端科学技術研究科バイオサイエンス)
(司会)前島郁子(群馬大 生体調節研究所)