Riabilitazione Neurocognitiva 2022

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学会長講演

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[PL] 学会長講演

Sat. Oct 1, 2022 10:00 AM - 10:30 AM 第1会場 (ライブ配信)

10:00 AM - 10:30 AM

[PL-01] 臨床の造形 - We-mode rehabilitation -

*江草 典政1 (1. 島根大学医学部附属病院)

第21回学術集会におけるWe-mode cognitionの議論の最後に,「We-modeリハビリテーションの実践」というシンポジウムが設けられたことは記憶に新しい.このシンポジウムを通じ,臨床展開の可能性について多くのアイディアを得た.しかし,現場に戻りWe-mode cognitionのメカニズムを知ることと,臨床実践の間にはまだ大きなギャップあることを感じた会員諸氏も多かったことと思う.
 このギャップを解消するには,相互に経験の文脈をもつ2つ以上の存在(セラピストと患者,あるいはその周囲にある他者)が臨床を共同作業として理解し,双方が回復プロセスに参加をするという臨床をどのようにデザインするかを考える必要がある.
 臨床が「私たちのものである」とセラピストと患者双方が,その主体者として理解するような場を生み出すためには一体どのような仕掛けが必要なのであろうか.
 この点について,本学術集会ではセラピストと患者,双方の立場の臨床の中での役割を再考し,臨床の座標を「あいだ」に置くという1つの方法を提案してみたいと考える.
 近年の自然科学はリハビリテーションの可能性を大きく拡張し,実践に向けたアイディアを臨床家に多数提供した.それはセラピストにとって福音であると同時に,“効果的”な治療を提供できる確度を上げたことは言うまでもない.しかし,同時に臨床の実存が立ち上がる座標はセラピスト側に引き寄せられ,臨床の作成者は治療者であり,患者は参加者という構造を生み出す.言い方を変えれば臨床を「生み出す側」と「享受する側」という関係性であると言え,音楽を例えに出せば「演奏者」と「オーディエンス」と表現できるかも知れない.このような関係性から生み出される臨床は,We-mode rehabilitationとはかけ離れたものであろう.
 そのような隔たった臨床の座標を引き戻すには患者自身が「臨床を生み出す側」の一員であることが実感できる仕掛けが必要なのかも知れない.その仕掛けが対話であり,ペルフェッティが提案した「患者と語る」からもう少し踏み込んだ「患者と語り合う」というものなのかも知れない.
 ミハイル・バフチンはダイアローグを“意識と意識のコミュニケーションそのものであり,互いの応答を繰り返すことによって,新たなものが生み出され変化していく「アイディアの培養地」である.”と表現した.セラピストと患者が言語的,非言語的な対話を通じて造形していく臨床,それをWe-mode rehabilitationと考え,2日間の議論を進めたい.