10:40 AM - 12:10 PM
[SL-01] 人と人の「あいだ」を生きる - 離人症,アクチュアリティ,共通感覚 -
第22回認知神経リハビリテーション学会学術集会では,そのテーマ「臨床の造形~We mode rehabilitation~」が示すように,We-mode概念が一つの焦点になっている.We-modeとは,ある個人が別の人と共に「われわれ」という意識を持って共同行為を行うときに,その個人のうちに生じる,個には還元できない集合的な認知モードのことである.たとえば,私が他の人々とともに合奏を行うなら,私は他の人々を「われわれ」の一部として,また,互いに補い合いながら同じ目的に向かう者として理解するのであって,そうした認知のあり方が,私に,自分の行為だけでなく,他者の行為の把握や予測をも可能にするとされる1).
だが,こうしたWe-modeが可能であるためには,そもそも私たちの主観性が個に閉じておらず,他へ開かれているのでなければならないだろう.主観性が自己に閉じず,他の主観へ開かれ,一つの大きな主観(われわれ)を構成しうる可能性は,現象学が「間主観性」と名づけて探究してきた問題である.その意味では,We-mode概念は現象学的な間主観性を前提にしていると言える.
だが,一口に「間主観性」といってもその内実は多様に解釈されてきた.例えば,フッサールは間主観性を主に客観的世界(誰にとっても共通の世界)の成立条件として理解したし,メルロ=ポンティはそれを間身体性と解釈し,自他未分の経験層として描き出した.それに対して,本講演で主に紹介する精神病理学者・哲学者である木村敏は,間主観性を「私的な意味での主観的意識が個別性や各自性の壁を越えて他者にまで広がっているという経験」2)として理解し,それを「私的間主観性」として概念化した.
だが,「主観的意識が個別性の壁を越えて他者にまで広がっている」とはどういうことだろうか.そもそも私たちは,一人の個人として存在するかぎり,「個別性の壁」を越えることなどできるのだろうか.一見すると,「個別性の壁を越える」ことなど不可能なように思えるが,それが可能でなければWe-modeは成立しえないはずであり,本講演では,木村敏の思想に基づいて,We-modeの条件をなす私的間主観性の可能性について検討したい.
その際,とくに注目するのが木村による離人症の考察である.離人症とは,患者が外界,他者,自己の身体,さらに自己自身について「ありありとした現実感」(アクチュアリティ)を感じとれなくなる症状である.木村は,患者が失ったアクチュアリティを健常者の経験の根幹として理解するとともに,アクチュアリティを可能にする「共通感覚」のうちに,私的経験が「個別性の壁を超えて他者にまで広がる」可能性を見いだしている.本講演では,これら離人症,アクチュアリティ,共通感覚の考察を通して,「人と人の「あいだ」を生きる」ことの可能性について検討する.
1)佐藤德「We-mode研究の現状と可能性」『心理学評論』59(3),2016年.
Gallotti, M. & Frith, C. Social cognition in the we-mode. Trends in Cognitive Science, 17, 2013.
2)木村敏『心の病理を考える』岩波新書,1994年,145頁.
だが,こうしたWe-modeが可能であるためには,そもそも私たちの主観性が個に閉じておらず,他へ開かれているのでなければならないだろう.主観性が自己に閉じず,他の主観へ開かれ,一つの大きな主観(われわれ)を構成しうる可能性は,現象学が「間主観性」と名づけて探究してきた問題である.その意味では,We-mode概念は現象学的な間主観性を前提にしていると言える.
だが,一口に「間主観性」といってもその内実は多様に解釈されてきた.例えば,フッサールは間主観性を主に客観的世界(誰にとっても共通の世界)の成立条件として理解したし,メルロ=ポンティはそれを間身体性と解釈し,自他未分の経験層として描き出した.それに対して,本講演で主に紹介する精神病理学者・哲学者である木村敏は,間主観性を「私的な意味での主観的意識が個別性や各自性の壁を越えて他者にまで広がっているという経験」2)として理解し,それを「私的間主観性」として概念化した.
だが,「主観的意識が個別性の壁を越えて他者にまで広がっている」とはどういうことだろうか.そもそも私たちは,一人の個人として存在するかぎり,「個別性の壁」を越えることなどできるのだろうか.一見すると,「個別性の壁を越える」ことなど不可能なように思えるが,それが可能でなければWe-modeは成立しえないはずであり,本講演では,木村敏の思想に基づいて,We-modeの条件をなす私的間主観性の可能性について検討したい.
その際,とくに注目するのが木村による離人症の考察である.離人症とは,患者が外界,他者,自己の身体,さらに自己自身について「ありありとした現実感」(アクチュアリティ)を感じとれなくなる症状である.木村は,患者が失ったアクチュアリティを健常者の経験の根幹として理解するとともに,アクチュアリティを可能にする「共通感覚」のうちに,私的経験が「個別性の壁を超えて他者にまで広がる」可能性を見いだしている.本講演では,これら離人症,アクチュアリティ,共通感覚の考察を通して,「人と人の「あいだ」を生きる」ことの可能性について検討する.
1)佐藤德「We-mode研究の現状と可能性」『心理学評論』59(3),2016年.
Gallotti, M. & Frith, C. Social cognition in the we-mode. Trends in Cognitive Science, 17, 2013.
2)木村敏『心の病理を考える』岩波新書,1994年,145頁.