10:10 AM - 11:05 AM
[SP-01] 文化人類学でめぐる「痛み」
文化人類学は,人間の多様な生き方を通じて,人とは何かを探る学問である.文化人類学の扱う対象は多岐にわたるが,本シンポジウムのテーマである「痛み」も本学問が扱う一つのテーマである.
痛みは,生物的,あるいは心理的な反応と思われがちであるが,痛みは社会的なものでもある.例えば,「痛み」は取り去るべきものと一般的に考えられているが,引き受けるべき,耐え忍ぶべきと考えられる「痛み」もある.例えばそれは,出産の痛みや伝統的社会で行われる通過儀礼に伴う痛みだ.
日本で無痛分娩が少ないことの理由の一つに,「出産の痛みは母になる上で必要」と考える妊産婦や医療者の影響を上げた調査ある.成人を迎えるための通過儀礼には,頭部を一周する傷をカミソリで入れたり(ヌアー),足を脱臼させながら縛り続けたり(漢民族,纏足)する身体変工がある.激痛を伴うことは想像に難くないが,ここでの痛みは,大人になるために必要な痛みとして肯定される.
また,痛みの対応には文化差がある.例えば,私が漢方外来でフィールドワークを行なっていた際,慢性痛を相談したところ,「働きたくないだけなんじゃないか」と医師に言われ,しばらく医者恐怖症になってしまったと話す女性がいた.彼女はのちに線維筋痛症と他院で診断されるのだが,医学的に異常が見られない場合,それを心理的な要因に還元する見立ては,現代社会の特徴である.
しかし伝統的な社会であれば,そのような痛みは,精霊や先祖霊の仕業であると理解され,これらの霊を鎮める儀式がシャーマンによって執り行われる可能性がある.実際レヴィ=ストロースは,胎児に取り憑き,難産を引き起こしている精霊をシャーマンが歌で征服し,女性は難産を乗り越えるというクナ族のエピソードを紹介している.
痛みを,表出するのかしないのか.する場合,それがどう表現され,対応がなされるのか(あるいはなされないのか).このような問いを,痛みを抱える当事者が住まう社会を抜きに考えることはできないため,痛みは文化人類学のトピックと考えられている.
本話題提供では,上記のような観点から,痛みを捉える視座を提供し,議論を盛り上げたい.
痛みは,生物的,あるいは心理的な反応と思われがちであるが,痛みは社会的なものでもある.例えば,「痛み」は取り去るべきものと一般的に考えられているが,引き受けるべき,耐え忍ぶべきと考えられる「痛み」もある.例えばそれは,出産の痛みや伝統的社会で行われる通過儀礼に伴う痛みだ.
日本で無痛分娩が少ないことの理由の一つに,「出産の痛みは母になる上で必要」と考える妊産婦や医療者の影響を上げた調査ある.成人を迎えるための通過儀礼には,頭部を一周する傷をカミソリで入れたり(ヌアー),足を脱臼させながら縛り続けたり(漢民族,纏足)する身体変工がある.激痛を伴うことは想像に難くないが,ここでの痛みは,大人になるために必要な痛みとして肯定される.
また,痛みの対応には文化差がある.例えば,私が漢方外来でフィールドワークを行なっていた際,慢性痛を相談したところ,「働きたくないだけなんじゃないか」と医師に言われ,しばらく医者恐怖症になってしまったと話す女性がいた.彼女はのちに線維筋痛症と他院で診断されるのだが,医学的に異常が見られない場合,それを心理的な要因に還元する見立ては,現代社会の特徴である.
しかし伝統的な社会であれば,そのような痛みは,精霊や先祖霊の仕業であると理解され,これらの霊を鎮める儀式がシャーマンによって執り行われる可能性がある.実際レヴィ=ストロースは,胎児に取り憑き,難産を引き起こしている精霊をシャーマンが歌で征服し,女性は難産を乗り越えるというクナ族のエピソードを紹介している.
痛みを,表出するのかしないのか.する場合,それがどう表現され,対応がなされるのか(あるいはなされないのか).このような問いを,痛みを抱える当事者が住まう社会を抜きに考えることはできないため,痛みは文化人類学のトピックと考えられている.
本話題提供では,上記のような観点から,痛みを捉える視座を提供し,議論を盛り上げたい.