4:30 PM - 5:40 PM
[SL-02] もうひとつの生を掘り出す ーAn unconscious belief an a future lifeー
シャルル・ボードレールの「現代生活の画家」(1863)は,モダニズム芸術=現代芸術のはじまりの時期において,そのモダンとよばれる精神がいかなるものなのかを明確に記した文章として知られている.
「恢復期の人間は,子供と同じように,事物に対して,一見きわめて卑近な事物に対してさえ,生き生きと興味を感ずる能力を,最高度にそなえている.できることならば,想像力の回顧の力を働かせて,われわれの最も幼かった頃の,最も朝早い印象へと,遡ろうではないか,すると,これらの印象は,後ほど肉体の病気に続く時期に受けた,かくも生き生きと彩られた印象の数々と,奇妙に似通っていることが認められるだろう,ただしこの病気がわれわれの精神能力を,素地のまま無傷に残してくれた場合の話だが」.(シャルル・ボードレール「現代生活の画家」阿部良雄訳)
2021年10月31日に重度の脳梗塞で倒れたあと,おりにふれ私はこの言葉を思い出した.病後すなわち恢復期には幼年期の生き生きとした知覚が戻ってきたように感じる,しかしボードレールは幼年期のそれと恢復期は決定的に異なるという.恢復期とは死を通過した後,そして再度かならず訪れるだろう死までの期間である.恢復期として再獲得された生とは,この死から次の死までの中間に存在する引き伸ばされた時以外ではない.恢復期に感じる現在の生の充実は,幼年期のように未来へと(願望を持って)繋がる線的時間には位置づけられない.自在に動かない身体はいいかえれば常に意外で新しい(そして辛い).そこで何かができることすべてが発見であり創造である.
脳梗塞のあと,以前よりも自分の生は充実しているのではないか,と感じるようになった.終着点に至ることなきリハビリは大変だが楽しい.そこで経験する特別な時間は,芸術制作で考えてきたこと感じていたこととそのまま重なっていた.芸術作品もまた不自由ゆえに終わりなき発見に満ちた身体だったのだと改めて認識するようになった.作品はそのつど完成したかのように姿を現すけれど,すぐさま解体され,まったく別の形もありうると伝えてくる.端的に恢復期とは何か?ピータパンの生になぞらえられるかもしれない.この一度,乳母車から落ちて死んだ子は影を持たず(光の支配を逃れ),空に浮遊(重力から離れ),その生は,時間と空間に位置づけられず自由である.
=====
岡﨑 乾二郎
造形作家,批評家,武蔵野美術大学客員教授
1982年パリ・ビエンナーレ招聘以来,国際展を含む多くの展覧会に出品.セゾン現代美術館(2002 年),豊田市美術館(2019年-20年)で大規模な個展を開催.つねにジャンルを超えた先鋭的な芸術活動 を展開するとともに,美術批評を中心として執筆を続ける.
主著に『絵画の素 TOPICA PICTUS』(岩波 書店 2022年),『感覚のエデン(岡崎乾二郎批評選集 vol.1)』(亜紀書房 2021年 第76回毎日出版 文化賞(文化・芸術部門)),『抽象の力 近代芸術の解析』(亜紀書房 2018年 第69回芸術選奨文部 科学大臣賞),『ルネサンス 経験の条件』(文春学藝ライブラリー,文藝春秋 2014年).作品集に 『TOPICA PICTUS』(urizen 2020年),『視覚のカイソウ』(ナナロク社 2020年).
「恢復期の人間は,子供と同じように,事物に対して,一見きわめて卑近な事物に対してさえ,生き生きと興味を感ずる能力を,最高度にそなえている.できることならば,想像力の回顧の力を働かせて,われわれの最も幼かった頃の,最も朝早い印象へと,遡ろうではないか,すると,これらの印象は,後ほど肉体の病気に続く時期に受けた,かくも生き生きと彩られた印象の数々と,奇妙に似通っていることが認められるだろう,ただしこの病気がわれわれの精神能力を,素地のまま無傷に残してくれた場合の話だが」.(シャルル・ボードレール「現代生活の画家」阿部良雄訳)
2021年10月31日に重度の脳梗塞で倒れたあと,おりにふれ私はこの言葉を思い出した.病後すなわち恢復期には幼年期の生き生きとした知覚が戻ってきたように感じる,しかしボードレールは幼年期のそれと恢復期は決定的に異なるという.恢復期とは死を通過した後,そして再度かならず訪れるだろう死までの期間である.恢復期として再獲得された生とは,この死から次の死までの中間に存在する引き伸ばされた時以外ではない.恢復期に感じる現在の生の充実は,幼年期のように未来へと(願望を持って)繋がる線的時間には位置づけられない.自在に動かない身体はいいかえれば常に意外で新しい(そして辛い).そこで何かができることすべてが発見であり創造である.
脳梗塞のあと,以前よりも自分の生は充実しているのではないか,と感じるようになった.終着点に至ることなきリハビリは大変だが楽しい.そこで経験する特別な時間は,芸術制作で考えてきたこと感じていたこととそのまま重なっていた.芸術作品もまた不自由ゆえに終わりなき発見に満ちた身体だったのだと改めて認識するようになった.作品はそのつど完成したかのように姿を現すけれど,すぐさま解体され,まったく別の形もありうると伝えてくる.端的に恢復期とは何か?ピータパンの生になぞらえられるかもしれない.この一度,乳母車から落ちて死んだ子は影を持たず(光の支配を逃れ),空に浮遊(重力から離れ),その生は,時間と空間に位置づけられず自由である.
=====
岡﨑 乾二郎
造形作家,批評家,武蔵野美術大学客員教授
1982年パリ・ビエンナーレ招聘以来,国際展を含む多くの展覧会に出品.セゾン現代美術館(2002 年),豊田市美術館(2019年-20年)で大規模な個展を開催.つねにジャンルを超えた先鋭的な芸術活動 を展開するとともに,美術批評を中心として執筆を続ける.
主著に『絵画の素 TOPICA PICTUS』(岩波 書店 2022年),『感覚のエデン(岡崎乾二郎批評選集 vol.1)』(亜紀書房 2021年 第76回毎日出版 文化賞(文化・芸術部門)),『抽象の力 近代芸術の解析』(亜紀書房 2018年 第69回芸術選奨文部 科学大臣賞),『ルネサンス 経験の条件』(文春学藝ライブラリー,文藝春秋 2014年).作品集に 『TOPICA PICTUS』(urizen 2020年),『視覚のカイソウ』(ナナロク社 2020年).