[AL7-2] 身体性システム科学とリハビリテーション
「私のからだのように思えません」「自分の意図通りに(このからだが)動きません」といった自己・身体意識の変容は、患者の病態をあらわす発見的データである。大なり小なり、脳卒中後患者はこうした身体意識の変容を有していることは自明である。このような意識経験は運動器疾患後でもみられる。故・オリバー・サックスの著書「左足を取りもどすまで」では、『私は左足をなくしたらしい。そんなばかな。足はそこにあるではないか。ギブスに保護されて、ちゃんと存在している。いや、そうとばかりは言えまい。足を所有するという問題に関しては、どうにも不安で確信をもつことができなかった。現実の足は自分に関わりのある、愛おしいものではなくなり、生命のない無機質の異質のものになりはててしまったのである。』と、受傷後に出現した自らの身体意識の変容について、現象学的に記述されている。哲学・現象学で議論されてきた身体意識(body consciousness/awareness)や身体性(embodiment)であるが、Gallagherにより「自分の身体が自分のものであるという所有の意識(身体所有感;sense of ownership)と「この自分の運動を実現させているのは自分自身であるという主体の意識(行為主体感;sense of self-agency)」に大別された。近年、神経科学や認知科学における様々な実験手続きによって、前者は視覚、体性感覚、感覚予測等の情報の時空間的一致、後者は運動指令に伴う遠心性コピーと行為の結果として起こる動きの知覚の時空間的一致によって生まれることが判明した。人間の身体意識/身体性は3つの階層での相互作用によって変調することが考えられている(Synofzik, 2008)。最下層が感覚運動表象(sensorimotor representation)であり、先に示した感覚や予測の情報の統合によって生まれる身体意識を指す。Gallagherはこれをminimal self(生物学的自己)と呼び、言い換えれば、生物的なヒトの身体意識と言え、ある意味、普遍的な身体を意味する。第2層は命題的表象(propositional representation)と呼ばれ、これは文脈や自己の信念等が影響する。virtualな手が自己の身体のように思う錯覚も文脈に伴う認知的解釈によるものであり、この層の意識が関与する。最上層はメタ表象(meta-representation)と呼び、一般的判断や社会的規範等が影響し、他者の身体と比べ優れている(劣っている)等の社会的解釈が含まれる。義手の許容もこの水準の意識によって干渉されてしまう。これらはnarrative self(物語的自己)と呼ばれ、時間軸に伴う過去-現在-未来をつなぐ社会的な人間としての自己意識であり、個別的な身体を意味する。本講演では、上記の3つの層を意図しながら、これまで筆者らの研究グループで明らかにしてきた自験データについて紹介しつつ、身体性の科学とリハビリテーションの接点について考えてみたい。