[EL20] 神経伝導検査による糖尿病神経障害の重症度分類(馬場分類)の病態生理学的背景と臨床的意義
本邦の糖尿病(DM)人口は今や一千万人を超え、個々のDM患者の健康問題から医療経済上の大問題にもなっている。一方DM三大合併症のうち腎症は生命予後を短縮させ、網膜症が失明を生むのに対し、最も罹患率の高い糖尿病多発神経障害(DPN)は稀に足皮膚潰瘍を生じることはあるものの大半はチクチクしびれるだけとの認識しかない。また、腎症は血液や尿検査で、網膜症は眼底検査で重症度を把握できるのに対し、DPNにはバイオマーカーがなく、診断上のgolden standardとされる神経伝導検査 nerve conduction study(NCS)所見は神経生理専門医にしか理解され難い。結果、DM診療現場には「NCS不要論」さえあった。DPN克服がDM診療の重要課題と考えた故後藤由夫東北大教授は、厚労省糖尿病研究班を通じて木村淳京大教授と馬場正之弘前大学助教授(当時)に「NCSによるDPN重症度分類」の作成を1989年に依頼した。そのとき木村・馬場・三森らは「DPNは四肢遠位優位の感覚運動神経障害」との前提に立ち、上下肢のNCS所見をまとめる手法で重症度把握を試みたが、満足な結果が得られなかった。一方、馬場は最近「DPNの本質は長さ依存性軸索変性であること」を重視すればNCS重症度分類が可能と考えるに至った。つまり下肢神経SNAP振幅と誘発筋電位CMAP振幅の低下度のみから重症度を捉え得ると考えた。また、これまでの検査経験と各種文献情報によれば、脛骨神経F波潜時延長が軽症DM患者にみられる最頻度NCS所見で、腓腹神経SNAP低下がそれに次ぎ、運動障害を表現する脛骨神経足底筋CMAP低下が後で加わる。つまりNCS上のDPN進行は、F波潜時など伝導遅延(重症度1)⇒腓腹SNAP低下(重症度2)⇒脛骨CMAP低下(重症度3)⇒SNAP・CMAP消失レベル(重症度4)と推定した。これが馬場分類Baba’s DPN Classification(BDC)仮説である。このBDC妥当性検証のために馬場らは2型DM患者約600名で足潰瘍発生頻度をみる前向き研究を2007年に開始し、5年の観察終了者が286名の時点で中間解析をしたところ、その結果は衝撃的であった。要約すると、足病変発生率はBDC-0とBDC-1群の0%に対し、BDC-2度3%, 3度18%, 4度38%とBDC重症度ランクとともに激増した。それに加え、脳心大血管障害発生率はBDC-0度: 0%、1度:3%、2度:24%に対し、3度・4度群では53%から57%に達した。そして5年間の死亡率はBDC-0度・1度・2度群の0%に対し、3度が9%、4度が10%であった。つまりDPN重症度は一千万DM患者の脳心血管イベント増加と生命予後短縮に関係する。そして、NCSはそのリスク把握に極めて有用な手段であることが示された(臨床神経生理2018)。BDC分類は客観性と分かりやすさの両面からDM医療現場に徐々に普及しつつあり、今後さらなる活用が望まれる。本講演ではBDCの原理と実施上の注意点、ならびに転倒事故率を含むBDC別各種イベント発生に関する新知見にも言及する。