[島薗レクチャー] 統合失調症バイオマーカーとしてのミスマッチ陰性電位(MMN)
Hans Bergerが、1929年にヒト脳波(EEG)を公表してから約90年が過ぎた。Bergerは精神科医として脳と心の関係を神経生理学的に明らかにしようとしていたが、現代においても残念ながら、脳波による心の研究は途上にある。ところで、Bergerの死後、脳波研究は様々な発展の道を歩んだ。その一つが、刺激後の一定時間の誘発脳反応を繰り返し記録することで、刺激に関連する脳の電気信号を抽出する研究である。この研究は、1947年にDawsonが重ね合わせによる誘発反応の検出法を見出した事から始まった。さらに1950年代には、コンピュータ技術の浸透によって現在の平均加算(Average)法による誘発電位法が登場した。この手法は、刺激に対して一定の時間関係を持つ微小な脳内現象を捉えることを可能にし、視覚、聴覚、体性感覚などの誘発電位研究を生んだ。さらに1960年代以降には、脳内の認知情報処理過程を反映する随伴陰性変動(CNV)、P300、ミスマッチ陰性電位(mismatch negativity, MMN)などの事象関連電位(ERP)研究を生んだ。ただERPには、潜時の微小変動(jittering)が起きやすく、また平均加算回数の少なさから突発性雑音の影響を受け易いという問題がある。我々はこれらの問題を解消すべく、Average法に代わる抽出法としてのMedian法を発展させた。さて、1978年にNaatanenによって発見されたMMNだけは、他の能動的なERPとは異なって認知情報処理を反映しながら自動的であるという異質な特徴を有する。MMNは、ヒトが生存競争の過程で発達させてきた防御的な変化音検出機能を反映するが、言語処理にも関連すると考えられている。これは、頻回に起こる背景の聴覚事象の感覚記憶痕跡と逸脱事象との前注意的な比較過程を反映するとされ、MMNの記憶痕跡説と呼ばれる。MMNは様々な音の変化によって誘発されるが、我々は時間窓統合(TWI)概念を用いて物理的刺激が存在しない“欠落”そのものに対するMMNの発生を確認し、記憶痕跡説を証明した。また、MMNはNMDA受容体異常や主発生源である上側頭回の体積異常を明瞭に反映する事が判明したため、統合失調症発症予測の有望なバイオマーカーとして注目されている。統合失調症は生涯有病率が1%、精神科入院患者の約半数を占める難治の精神病である。統合失調症には発症早期の治療開始が有効であるが、診断は専ら面接と評価スケールに頼っているのが現状である。統合失調症では、NMDA受容体異常による陽性および陰性症状と上側頭回の進行性の体積減少、さらにそれに先行するMMN異常が確認されており、当教室の死後脳研究でもNMDAに関連する異常を上側頭回で検出した。また、統合失調症におけるMMN異常は、最新のメタアナリシスでも0.95という大きな効果量が報告されている。本講演では、MMNの発見から臨床応用への可能性について論じる。