[09 方ーポー59] 国家経済政策の変更による夏季オリンピックにおける国際競技力の変化
夏季オリンピックにおいて、1952年ヘルシンキ大会にソビエト連邦社会主義共和国(以下、ソ連)が初参加し、1968年に東西ドイツが別選手団として参加した。一方、1988年から1991年にはソ連構成国の主権および独立宣言が続き、1991年に独立国家共同体の創立宣言があった。また欧州では、1989年にベルリンの国境検問所の解放、1990年にドイツ民主共和国に再設置された各州がドイツ連邦共和国に加盟した。これら各国の国家経済政策の変更は概ね1968年と約1990年であり、国家経済政策に関連した競技スポーツ強化方策の転換期ともいえるだろう。これらを踏まえ、本研究はこれらの転換期前後による夏季オリンピックにおける国際競技力の変化の検討を目的とした。参加国数では、特に1984年以前よりも1996年以降の大会で参加国数が多く、メダル獲得国の割合(%)では1990年前後での有意差は認められなかった。国家経済政策別(資本、社会、開発途上、その他)の非公式メダル得点(金3、銀2、銅1点)では、1996年から2016年まで旧社会主義国諸国の得点が低く、2004年以降に開発途上国の得点が高かった。また男女の参加者数では、1992年以前の大会では男性の参加者数が、1996年以降では女性が有意に多かった。これらの結果は、メダル獲得国の変化において、旧社会主義国から開発途上国への変化、女性の参画への変化が関係していたと考えられる。1992年以降に非公式メダル獲得得点の平均値が高かった16カ国の得点では、特に1990年以降に夏季オリンピックを開催した中華人民共和国、オーストラリア連邦、大韓民国、スペイン王国などが1992年以降の大会で高く、アメリカ合衆国、ハンガリー、日本が低かった。これらの結果は、大会開催国における選手強化やインフラストラクチャーの整備による競技環境の影響があったと考えられる。