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[スポーツ文化-B-03] Global physical consciousness of tattooing Japanese athletes as a subculture
プロボクサーの井岡一翔は、2020年大晦日の試合中にタトゥーを露出し、日本ボクシングコミッションが定める欠格事項に違反したために、厳重注意を受けた。日本のスポーツ界では、タトゥーを含む刺青が、暴力団などの反社会的勢力との関係を想起させ、保守的な日本人に不快な思いをさせるために禁止されている。それでは、このような規制にもかかわらず、日本人スポーツ選手はどのような理由でタトゥーを入れるのだろうか。本研究では、2000年以降に日本スポーツ界でタトゥーを入れたスポーツ選手の事例に焦点を絞り、彼らの身体意識とメディアによる表象を明らかにすることを目的にする。文化人類学者の山本は、江戸時代の飛脚などの彫り物や、20世紀初頭まで存続した沖縄女性のハジチには、元々否定的な意味はなく、明治政府による文明開化政策のために禁止されるようになり、1960年代以降に、東映によって放映されたヤクザ映画によって、刺青に反社会的なイメージが形成されたことを指摘した。本研究では、ミシェル・フーコーのエピステーメーという概念を通して、刺青に関する評価や価値観が歴史的に変化したことを分析する。哲学者の鷲田は、刺青は「魂の衣」であると説明した。つまり、刺青は、身体の表面を煌びやかに表象する装飾であるとともに、人の内面にある<魂>を浮かび上がらせる。松枝は、日本社会における刺青の受容を歴史的に検討し、刺青が個人的側面において、肯定的価値として「決意の表明」、否定的価値として「失策の証拠」を意味すると説明した。現代社会における若者のタトゥーの受容は、グローバル化が影響を及ぼすサブカルチャーとして捉えることができるだろう。本発表では、タトゥーを入れるスポーツ選手の身体意識を分析することを通して、われわれが持つ「従順な身体」について考える視点を提起する。