The 71st Conference of the Japan Society of Physical Education, Health and Sports Sciences

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Oral (Subdiscipline)

専門領域別 » Pedagogy

体育科教育学口頭発表④

Thu. Sep 9, 2021 1:00 PM - 1:45 PM Room 12 (Zoom)

Chair: Sotaro Honda (University of Teacher Education Fukuoka)

1:15 PM - 1:30 PM

[11 教-口-13] 嘉納柔道思想「精力善用自他共栄」は「嘉納柔道修行」による「意識の厳密なる統一」として現前成就する「実在」=「道」に相当するが、この「体用」の関係を嘉納治五郎や三宅雪嶺の東大での受講科目と関連付ける

「精力善用自他共栄」の形成に日常生活で「良知」を磨く儒教心学(陽明学)をベースとする三宅の現象即実在論・宇宙有機体説が応用され、仏教的にも捉えられ、西洋哲学の「実在」概念も応用されているという視点から

*kenji takahira1 (1. nothing)

嘉納治五郎は柔術を母体に自然体を基本とする柔道を創始した。そして、その目的を「体育・勝負・修心」と定めた。しかし、その思想は明治の終わりごろから大きく展開し、①柔道は「心身の力を最も有効に使用する道」である。②柔道の目的は「己を完成し世をする」ことである。③「精力善用は自己完成の要訣なり。」④「精力善用自他共栄」などの言説として展開する。嘉納柔道思想は「嘉納が理想とした柔道修行」=「自然体の運用によるつくりとかけの柔道修行」による「意識の厳密なる統一」として現前成就する「実在」=「精力善用自他共栄」による人格的完成がベースになっていると考える。さらに、嘉納は昭和14(1939)年、「そこで我々は仏教の極地、哲学者の徹底的研究と同じ立場において、それらと提携してやることが出来る原理を柔道において授けているのである。」と述べているが、嘉納の②③④に対応する西田の言説を「善の研究」から引用した。また、三宅は嘉納も受講していた東大でのフェノロサの「哲学史講義」の印象を「最も重きをヘーゲルに置き、身振り面白く目を閉じて「宇宙」を展開し来るを説くところ多少の印象を残さずにはおかなんだ。」と述べているが、ヘーゲルの絶対精神が陽明学の「良知」と対比されている。嘉納柔道思想「精力善用自他共栄」は三宅の宇宙有機体説が構成理論であるが、儒教心学(陽明学)の「良知、大乗仏教の「真如」、ヘーゲルの「絶対精神」、スペンサーの「第一原理」などと対比されて捉えられている。それらを嘉納や三宅の東大での受講科目と関連づけていきたい。以上のことを踏まえて、それを中学校で必修化された武道としての柔道の実践教育方法につなげていきたい。