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[01 史-口-01] 富永岩太郎の遊戯観と指導法に関する考察
『教育的遊戯の原理及実際』(同文館、1901年)を中心に
明治38年「体操遊戯取調報告」から大正 2 年「学校体操教授要目」へと、体操科の法制上の整備が進んだが、ここに至る明治中期の小学校低学年の体操科における遊戯の内容については明らかにされていない部分が多い。明治27年文部省訓令「小学校ニ於ケル体育及衛生」では、明治20年代に見られた体操科の停滞を批判した。これを機に体操科改善に向けて様々な意見が出て、明治30年代には教材の改革に関する提案を内容とする体操科指導書が多数出版された。特に遊戯の教材は法制上の規定がなかったため、教材を提示するだけに留まる個人の提案が多くを占めていた中、富永岩太郎(1866-1911)の『教育的遊戯の原理及実際』(同文館、1901年)は、理論的に整理することを試みたものであった。本書は、富永が東京高等師範学校附属小学校で学校長の許可を得て研究を取りまとめ、報告する予定であったものが出版されたとされている。本研究では、本書に示された富永の遊戯観と遊戯の実際を考察することにより、明治中期の小学校低学年の遊戯の教育内容の一端を明らかにすることを目的とする。
富永の遊戯観は、遊戯の起源にさかのぼり、児童を自然性を帯びた存在としてとらえていたことに発端があった。遊戯は、身体的官能の発達を促し、結果として精神的発達をもたらすものとしている。さらに、遊戯は道徳的教育であり、品性の基礎を築くものであるとしていた。富永の遊戯観の主たるものは、児童の自然性を土台として、身体的、精神的な発達を促す教育的価値がある、というものであったと言えるだろう。加えて、2つの遊戯観を挙げることができる。一つ目は、体操科の目的と同じく健康な身体に活発な精神を宿すことであるが、初等教育においては、遊戯は体操に優るものがあるということである。二つ目は、初等教育においては、遊戯は唱歌との連絡が有効的であるということである。
富永の遊戯観は、遊戯の起源にさかのぼり、児童を自然性を帯びた存在としてとらえていたことに発端があった。遊戯は、身体的官能の発達を促し、結果として精神的発達をもたらすものとしている。さらに、遊戯は道徳的教育であり、品性の基礎を築くものであるとしていた。富永の遊戯観の主たるものは、児童の自然性を土台として、身体的、精神的な発達を促す教育的価値がある、というものであったと言えるだろう。加えて、2つの遊戯観を挙げることができる。一つ目は、体操科の目的と同じく健康な身体に活発な精神を宿すことであるが、初等教育においては、遊戯は体操に優るものがあるということである。二つ目は、初等教育においては、遊戯は唱歌との連絡が有効的であるということである。