[本部企画-S2-3] The 'human critical mass' of physical freedom and technology in sport
<演者略歴>
1987年筑波大学大学院博士課程単位取得退学。教育学博士(1988年、筑波大学)。九州大学講師、奈良女子大学助教授を経て、現職。現在、日本体育・スポーツ・健康学会会長、及び日本スポーツ社会学会会長を務める。
1987年筑波大学大学院博士課程単位取得退学。教育学博士(1988年、筑波大学)。九州大学講師、奈良女子大学助教授を経て、現職。現在、日本体育・スポーツ・健康学会会長、及び日本スポーツ社会学会会長を務める。
スポーツは、古来、その特有の道具や用品の開発によって競われ表現されるべき身体能力を特定したり、競い合おうとする身体能力にふさわしい道具や用品を工夫したりして、それぞれが独特の行い方(スポーツ技術)を持つ多様な種目を開発してきた歴史がある。
またスポーツは、歴史的に「相手を直接支配する格闘型から間接的な優劣を競う競争型、さらに記録を競い合う達成型」へと変化してきているが、この変化は近代社会を成立させる暴力に対する嫌悪感の高まりといった感性レベルの変化とともに、社会全体における人間への能力評価が「体力から技能へ、そして知略へ」とその重点を変化させていったことに対応する。つまり、成熟社会におけるスポーツは、このような社会を成立させる暴力への嫌悪感やそれに付随する人間性(humanism)の維持や発展との関係から成立し、これらを希求していることを理解しておかなければならない。しかし一方で、因果論に基づく知性と技術の結びつきが人間(社会)を破壊する装置を生み出したように、この新たな暴力性をいかに人間社会が幸福に導かれるような目的論的なコントロール下におくのかが課題とならざるをえない。スポーツテクノロジーの発展では、この因果論と目的論との関係において、どのような身体的解放の「人間的臨界点」とも呼ぶべき着地点を見出していくのかが問われていると考えられる。
またスポーツは、歴史的に「相手を直接支配する格闘型から間接的な優劣を競う競争型、さらに記録を競い合う達成型」へと変化してきているが、この変化は近代社会を成立させる暴力に対する嫌悪感の高まりといった感性レベルの変化とともに、社会全体における人間への能力評価が「体力から技能へ、そして知略へ」とその重点を変化させていったことに対応する。つまり、成熟社会におけるスポーツは、このような社会を成立させる暴力への嫌悪感やそれに付随する人間性(humanism)の維持や発展との関係から成立し、これらを希求していることを理解しておかなければならない。しかし一方で、因果論に基づく知性と技術の結びつきが人間(社会)を破壊する装置を生み出したように、この新たな暴力性をいかに人間社会が幸福に導かれるような目的論的なコントロール下におくのかが課題とならざるをえない。スポーツテクノロジーの発展では、この因果論と目的論との関係において、どのような身体的解放の「人間的臨界点」とも呼ぶべき着地点を見出していくのかが問われていると考えられる。