[11教-ポ-17] 学校体育研究同志会のサッカー指導の特徴に関する研究
雑誌体育科教育に掲載された実践との比較から
学校体育を対象としたサッカー指導は、2008年に学習指導要領が改訂されて以後、戦術を学習の中心に据えた実践が中心となってきた。また、Teaching Game for Understandingや戦術アプローチといった指導方法以外も鈴木ら(2020)によって紹介されている。このように、球技の指導では戦術をどのように学ぶのかということが強調されている。一方で、そもそも、その教育内容はなぜ指導されるのか、教育内容がどのように抽出されているのか、については十分に注視していないと思われる。つまり、何のために学ぶのかということが十分に検討されていない状況にある。こうした体育の思想的な側面を保ちながら、独自の価値観に基づき指導方法を構築しようと試みている民間教育団体の実践は興味深い。とりわけ、学校体育研究同志会(以下、同志会と略す)は、民主体育論を標榜しながらも、会の設立以後に様々な価値観を摂取しながら独自の指導理論の構築を試みてきている。本研究では、この同志会がどのような目的意識あるいは思想的背景を組み込んで、サッカーの指導方法をどのように構想してきたのかを明らかにすることで、サッカー指導の実践の背景にある思想性について接近することを試みる。 研究方法は、学校体育研究同志会のサッカー指導方法をまとめている日名(2022)の報告を中心に、サッカー分科会の議論を整理する。次に、拙論ではあるが佐藤・近藤(2014)及び佐藤ら(2021)によって示されている雑誌『体育科教育』に掲載された実践の変遷を比較し、学校体育研究同志会のサッカー指導の独自性について考察していく。 その結果、同志会のサッカー指導には、民主性を土台として、発達論、文化論といった3つの構成要素が相互関連的に織り込まれた実践を展開し、子どもたちを歴史的・社会的存在として位置づける教育的な思想を重要視していることが明らかとなった。