第119回日本精神神経学会学術総会

セッション情報

シンポジウム

シンポジウム49
精神医学における個別性と普遍性

2023年6月23日(金) 10:45 〜 12:45 G会場 (パシフィコ横浜ノース 3F G314+G315)

司会:村井 俊哉(京都大学医学部附属病院)
メインコーディネーター:榊原 英輔(東京大学医学部精神神経科)

 精神医学は、普遍的な科学たらんと欲しつづけてきた。操作的診断基準によって、疾患概念の信頼性向上を図ろうとしたのも、精神医学の普遍化を目指す一歩であった。一方で、文化結合症候群の存在は、普遍的な精神疾患など存在せず、DSMの疾患概念は、西洋文化に固有の文化結合症候群にすぎないという可能性を暗示していないだろうか。
 生物学的精神医学は、精神疾患の身体的な基盤を見出すことで、その普遍性を証明しようとしてきた。しかし、生物学的研究によって明らかになってきたのは、DSMの疾患概念は異種性(heterogeneity)を孕んでいるという事実であり、同じ疾患群に分類されている人であっても、その原因は個々人で異なっているということである。
 各種の精神療法の体系も、普遍性を目指している。精神療法は、患者の病態を、それぞれの流派の型にはめて理解することで、それぞれが得意とする治療に持ち込もうとする。精神療法が普遍性を希求するのは、全ての人を治療できるようにしたいと考えるからである。
 他方で、法則定立的と個性記述的という、知識に至るための二つのアプローチの対比は、ヤスパースの説明と了解の概念にも重なるものであり、精神医学が患者の人生の意味とナラティブを捉えるためには、個別性にとどまらなければならない場合があることを示している。逆に、説明という方法が普遍性を目指さなければならないとは限らないことは、例えば、スマートウォッチを使って、個人の生活データを蓄積し、個人内の法則性を解き明かすといった、個別化された科学がありうることによって示されている。
 本シンポジウムでは、精神医学の哲学の研究に携わる5人の研究者が、精神疾患の個別性と普遍性に関する考察を加える。榊原は、〈妥当性〉の前に必ず〈信頼性〉の確立を目指さなければならない、という前提に疑問を呈し、精神医学には〈検者間の信頼性〉よりも、一対一の治療者と患者の間にだけ成立する〈妥当性〉を高めることの方が重要な局面が存在すると主張したい。植野は精神医学における個別性について、他とは異なる独特の性質を備えているという意味と、他ならぬその人がある出来事を体験しているという意味とを区別し、それらの関係について考察する。鈴木は、現在主流となっている、普遍性を目指す生物学的な精神医学観と、症例の個別性や了解という方法を重視するもう一つの精神医学観が両立可能なものであるかどうかを検討する。田所は、人の生き方や人生観は個別的で多様であるが、その形式にはある種の普遍性があることに着目し、精神医学・医療はこうした普遍的な形式を扱う営みである、という主張を擁護する。信原は、精神疾患のネットワークモデルに基づいて、精神疾患は多くの要因が関係する各個人に特有の疾患のため、その個別的あり方に即した個別的治療が重要であることを論じる。