JSPN119

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シンポジウム

シンポジウム88
一次性妄想の内包と外延

Sat. Jun 24, 2023 8:30 AM - 10:30 AM M会場 (パシフィコ横浜ノース 4F G411)

司会:岡 一太郎(もみじケ丘病院医局), 古茶 大樹(聖マリアンナ医科大学神経精神科学教室)
メインコーディネーター:岡 一太郎(もみじケ丘病院医局)

時間に関してアウグスティヌスの『告白』に有名な一節がある:「ではいったい時間とは何でしょうか。だれも私にたずねないとき、私は知っています。尋ねられて説明しようと思うと、知らないのです」。Gruhle, H. W.が晩年の論考で示唆した通り、時間と同様に妄想は日々の臨床において誰もがそれを自明のごとくに用いているにもかかわらず、今日もなおその定義が確立されていない。Jaspers, K.は強い確信、訂正不能性、あり得ない内容という妄想の三主徴をもって二次性妄想も妄想に含めたが、Schneider, K.は二次性妄想を妄想様観念として妄想から排除することでJaspersの三主徴を間接的に否定した。一次性妄想とSchneiderが認めたのは妄想知覚と妄想着想であったが、後者は前者と異なり非妄想性の類縁現象からそれを区別する規定が見出せないという問題を残した。私見では、Schneiderは一次性妄想それ自体の内包を与えないまま、その外延として妄想知覚と妄想着想を提示したようにみえる。JaspersからSchneiderへのこうした妄想論の展開をふまえて、今回、妄想を改めてその内包と外延の両面から検討してみたい。内包についてJaspersの三主徴に対する批判はGruhleにもみられ、Jaspers以後の記述学派がその何を問題視し、妄想をどのように規定し直したのかを確認する作業を熊崎がおこなう。またJaspersの三主徴はのちにSpitzer, M.によって斬新な代替案が提出されたが、生田はWittgenstein, L.の言語哲学に依拠しつつ、Spitzerを超えて独自の人間学的観点から妄想の内包を提出する。妄想の外延としてまず取り上げられるべき妄想知覚は統合失調症の一級症状として様々に検討されてきた最重要の精神病理であり、前田が今日的な視点から論じる。妄想知覚の陰にあってあまり扱われてこなかった妄想着想については統合失調症のそれのうちにSchneiderが見出していた「何かちがった印象」について岡が考察する。指定発言では古茶が今回取り上げた各局面の議論を整理し、概念的に杳として掴み難い妄想の輪郭づけを試みる。なお本シンポジウムは日本精神病理学会の推薦を受けている。