第52回日本理学療法学術大会

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日本地域理学療法学会企画 » 教育講演1

[TK-1] 教育講演1 高齢者を理解する―老年的超越の視点の背景にあるもの―

2017年5月12日(金) 16:30 〜 17:30 A1会場 (幕張メッセ国際会議場 コンベンションホール)

司会:浅川 康吉(首都大学東京健康福祉学部理学療法学科)

日本地域理学療法学会企画

[TK-1] 高齢者を理解する―老年的超越の視点の背景にあるもの―

高橋 龍太郎 (東京都健康長寿医療センター研究所)

この数十年の間に“老いる”という言葉をめぐるイメージは変わってきたように思われる。なにより高齢者自身から「長生きしたい」よりも「いつまでも生きていたくない」という発言が多く聞かれるようになったと感じる。しかしこんな発言は,本当の困難に直面している人や90歳を超えるような超高齢者から発せられる場面は極めて少なく,むしろまだまだ元気な60歳代,70歳代の人々から多く聞こえてくるように思われる。
「――したい」「――したくない」というのは人生が自分の意志でなんとかなるかもしれない,という思いが込められているのでしょう。しかしながら“老いる”こととは,おそらく意志でなんとかなるものではないでしょう。そんなことは超越しているのが“老いる”ことなのだと思います。
我が国は世界一の超高齢社会ですが,“老いる”ことへの構えは全く未熟な状態にあるように感じます。たとえばアンチ・エイジングの幻に惑わされています。欧米社会はアンチ・エイジングの確信犯思想が支配していますので,それはそれで矛盾しないのかもしれませんが,アジアや我が国の文化はアンチ・エイジングが主流になるはずはないように思います。その理由を簡単にいえば,「人間を機能の価値だけで受け入れるのではなく,その人の存在自体を理解する」文化があるからです。
今は亡くなられましたが,私が尊敬する数学者の森毅さんは人生の理想を「ずっと眺めていられる置き物になりたい」といいました。なんの機能も発揮できないかもしれないことなどは気にすることはないのです。そこから出発すること,老いを生きること,私達が真剣に取り組まなければいけないことはここにあると思います。まだ十分ではない点が多くありますが,今お話しできることを紹介してみようと思います。