The 2021 SSJ Fall Meeting

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Room C

Regular session » S17. Tsunami

PM-1

Fri. Oct 15, 2021 1:30 PM - 3:00 PM ROOM C (ROOM C)

chairperson:Toshitaka Baba(Tokushima University), Satoshi Kusumoto(JAMSTEC)

2:15 PM - 2:30 PM

[S17-05] The 1854 CE Ansei Tokai Earthquake and Tsunami Deposits at Iruma, Minami-Izu City, Shizuoka Prefecture

〇Satoshi KUSUMOTO1, Kentaro Imai1, Takane Hori1, Daisuke Sugawara2 (1.JAMSTEC, 2.Tohoku University)

1854年12月23日に発生した安政東海地震に伴う津波は伊豆半島から紀伊半島の沿岸にかけて高く,伊豆半島沿岸での津波遡上高はおよそ5~6 m と推定されている(e.g., 羽鳥, 1977;都司ほか, 2019).一方,伊豆半島南端に位置する静岡県南伊豆町入間では15.7 mと周辺地域に比べて三倍近い大きな値が得られている.また入間の旧家である外岡家の『加美家沿革誌』の伝承には安政東海地震津波で集落に津波堆積物が打ち上げられたという記述があり,それに基づいて現地調査した結果,津波堆積物の層厚は4 m以上,場所によっては8 mに達すると推定されている(浅井ほか, 1998).一般に陸上に堆積する津波堆積物の層厚は数十cm~1 m未満であり,この津波堆積物は異常に厚いことになる.本研究では,最新の津波波源モデルと津波土砂移動数値計算モデルを基に,津波遡上高と津波堆積物の堆積層厚について検証した.
本研究の解析対象地域は静岡県南伊豆町入間である.入間集落は北・東・西の三方を山に囲まれた谷の出口にあり,南は海に面している(図1).谷の出口をふさぐように砂堆が存在しており.この砂堆の標高は高い場所で16 m以上ある.『加美家沿革誌』によると,この砂堆上部は人工改変を受けていて,現在の集落は1924年1月11日に30数軒を焼く大火の焼け跡を均して再建されている.入間での津波高(15.7 m)は集落西側の外岡家の近傍にある木の枝に浮遊物が漂着した高さである.
津波伝播・浸水・土砂移動の数値解析には.エネルギー平衡に基づく浮遊砂濃度評価式(Sugawara et al., 2019)を採用した津波土砂移動数値解析モデル(高橋ほか,1999)を使用した.中央粒径は0.267 mmとし,モデルパラメータは高橋ほか (2011)とGusman et al (2018)に準拠した.本解析では,既往研究と再精査した津波痕跡高を基に再評価した最新の安政東海地震を津波波源モデルとして採用した(今井ほか,2021).砂堆の標高は藤原ほか(2008; 2009)を参考に現在の地表面から6 m取り除いた場合(ケース①,標高10 m)と砂堆が存在しない場合(ケース②,標高6 m)の二種類で計算を実行した.
津波浸水の数値計算結果を図1aに示す.ケース②で砂堆が存在しない場合,外岡家まで津波は到達しない.すなわち,外岡家に津波が到達した原因は砂堆によって地形が狭まっていたことで津波が増幅したためと推察される.また砂堆は安政東海地震以前から存在していたことも示唆される.数値計算により求まった津波堆積物の堆積層厚は厚いところでも1 m程度で,浅井(1998)の報告と大きく異なる結果が得られた(図1b).一方,入間で地質試料を採取・分析した藤原ほか(2008; 2009)はおよそ1 m程度の粗粒砂礫層を安政東海地震の津波堆積物と認定しており,これは我々の研究成果と概ね調和的である.浅井ほか(1998)の主張は『加美家沿革誌』と「津波以前には現在の集落地の西方に位置する外岡家から集落の東側に位置する畑が見渡せたが,現在は集落に阻まれてその畑は見えない」という現地の聞き取り調査に基づくもので,人工改変などの盛土を津波堆積物と誤認した可能性がある.
謝辞:本研究は R2-6年度文部科学省「防災対策に資する南海トラフ地震調査研究プロジェクト」(研究代表者:海洋研究開発機構 小平秀一)の一環として行われました.

図1 安政東海地震津波の(a)推定最大浸水深分布と(b)計算堆積層厚分布.赤四角は外岡家の位置を示す.