日本地震学会2023年度秋季大会

講演情報

C会場

一般セッション » S10. 活断層・歴史地震

[S10] AM-1

2023年11月2日(木) 09:15 〜 10:30 C会場 (F202)

座長:服部 健太郎(関西大学)、小松原 琢(産業技術総合研究所 地質調査総合センター)

09:30 〜 09:45

[S10-02] 子の刻および丑の刻に発生した歴史地震の日付の再考

*亀井 佑馬1、纐纈 一起2、大木 聖子3 (1. 慶應義塾大学総合政策学部、2. 慶應義塾大学SFC研究所、3. 慶應義塾大学環境情報学部)

近代以前の日本では,不定時法の十二時辰を用いて時刻が表されていた.十二時辰では一日を,十二支の名を付けた十二刻に分けて表記する.従って,日の出や日の入りを基準とする不定時法なので,一刻の長さは季節によって多少変動するが,それでも一刻およそ2時間とすることができる.また,江戸時代などでは十二刻の正刻(中心時刻)を鐘を打って知らせたため,十二刻をその正刻で打たれる鐘の回数で呼ぶことが多かった.
中でも子の刻(夜九つ)は,現在のおよそ深夜0時およびその前後一時間を指している.つまり,ある日の子の刻と言っても,その日の23時頃から24時(0時)頃と,翌日の0時頃から1時頃までが含まれている.また,近代以前の日本では日付変更の感覚も現代とは異なり,『日本の時刻制度』(橋本万平著)によると平安時代では丑の刻と寅の刻との間,つまり午前3時頃で,江戸時代では明け六つ(卯の刻),つまり日の出の時刻で日付が変わるという感覚があったことも分かっている.歴史地震の研究をする場合,現代の感覚に近い日付が必要であるので,子の刻や丑の刻,寅の刻に発生したとされる歴史地震の日付は注意をすべきであろう.
ここでは,日本被害地震総覧(以下,総覧)で子の刻や丑の刻に発生したと記載されている地震の日付を詳細に再検討した.発生時刻が子の刻とされている地震11件,および丑の刻とされている地震20件を対象とした.検討の結果は,総覧や,[古代・中世]地震・噴火史料データベースあるいは近世の地震史料集テキストデータベース(以下,両者をDBと総称)に記載の日付に対して,〇(そのままで良い),△(総覧はそのまま,DBは変更すべき),×(変更すべき),?(判断がつかないのでそのまま),―(史料が不明で検討できない)との評価で図に示した.
子の刻の場合,一刻の間に日付に変更があるという状況であるため,各史料の記述だけで判断するのは難しい場合が多く,11件中過半の6件が?であった.これに対して,丑の刻の場合,一刻すべてが翌日であるので,史料に夜あるいは今夜とあれば翌日,暁あるいは今暁とあれば当日と判断すれば良い.その結果,20件中〇8件,△8件,×1件,?2件,―1件であった.〇や△では,総覧においてすでに日付変更がされている場合がほとんどで,〇ではDBもすでに日付変更されていた.×2件については,発表で詳しく説明する.