日本地球惑星科学連合2015年大会

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インターナショナルセッション(口頭発表)

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-GG 地理学

[H-GG01] International comparison of landscape appreciation

2015年5月28日(木) 14:15 〜 16:00 101B (1F)

コンビーナ:*Christoph Rupprecht(Griffith School of Environment, Griffith University)、高瀬 唯(千葉大学大学院園芸学研究科)、古谷 勝則(千葉大学大学院園芸学研究科)、座長:Christoph Rupprecht(Griffith School of Environment, Griffith University)

15:30 〜 15:45

[HGG01-15] 杭州市における井戸の変遷

*江 暁歓1古谷 勝則1 (1.千葉大学大学院園芸学研究科)

キーワード:井戸, 杭州, 変遷

1.研究の目的と背景
井戸は都市における人々の生活を支える水源地として都市の発展に影響した。しかし、水道の普及や都市再開発事業によって、井戸は人々の視線から姿を消しつつある。近年、中国では、井戸を保護し、まちづくりに活用することが呼びかけられている。本論では、杭州市を事例として、井戸の変遷について明らかにすることを目的とした。

2.研究方法
杭州市は中国中東部浙江省の沿海地域に位置し、約1700年前から井戸を利用はじめた都市である。本研究は、都市の変化による井戸の変遷を分析するため、地誌、地図など既存資料及びインターネットを利用し、杭州市の井戸の位置、数及び人口、都市計画について調査した。

3.杭州市の井戸の変遷
3.1形成期 

 杭州市は潮の浸食によって形成したまちであるため、古代の杭州は淡水資源が不足であった。杭州最初の井戸は三国時代(220年-265年)に作られた杭州市の西湖の西側にある龍井である。しかし、龍井と名付けられるのは明代の正徳年間(1711年-1716年)で、東晋時期(317年-420年)で上城区呉山近くの大井巷で現れた郭婆井は市街地に近い、水量も多い井戸で、杭州市市民にとっては初の公共的な井戸である。
3.2発展期
 8世紀初頭、杭州は繊維産業(絹)と造船業の発展により、町の規模も大きくなり、世代数は7世紀の15000戸から86000戸に上り、生活用水の使用量が急増した。市民の飲料水の問題を解決するため、杭州の刺史(市の長官)李泌(722年-789年)が暗渠を用いて、西湖から水を引く、人口が最も多い湧金門と銭塘門の間(現在の上城区)に、「六井戸」と呼ばれる相国井、西井、方井、金牛池、白亀井、小方井六つの井戸を掘り、城下町の生活用水が確保され、市民の居住範囲も広がった。      
3.3成熟期
 南宋時代(1127年-1279年)、宋王朝は北の金の勢力に押さられ、長安(西安)から杭州へ遷都し、1139年に南宋の首都「臨安」(リンアン)が置かれた。政治、経済、文化の発展によって杭州の人口は190.5万人に達し、大量な井戸が掘られた。
民国時期(1912年-1949年)杭州全市内井戸が4842本があり、平均20軒の家に当たり井戸が1本があった。
3.4衰退期
 1970s、水道水の普及、地下水の汚染、都市計画などによって、杭州の井戸の水質は急激に悪化し、多くな井戸が埋められ、井戸は段々使わなくなり、多数な古井戸が消えた。
 2009年、杭州市政府は井戸の数量と形成の年代について調査によると、杭州市では1950s以前に作られた井戸は211本がある。そのうち、1900s前の井戸はわずか78本である。以前統計した4842本の数と比べると、古井戸は約1.61%しか残っていないという厳しい現況が明らかになった。
3.5再興期
 2009年、杭州市は「古井戸保存条例」を策定し、古井戸と周辺環境の整備及び水質浄化を行った。一部の井戸は文化財として保護され、使用できるように井筒の修復と周辺環境の整備が行われた。

4.まとめ
本論では、井戸は人々の生活を潤うために掘られ、生活水準の向上によって消えていくという過程が見られた。しかし、井戸はまちの経済と文化に影響し、地域の風景を形成させ、自然豊かな都市環境を創出したものである。井戸をまちづくりに活用することによって、我々の生活はより便利になるはずである。