日本地球惑星科学連合2019年大会

講演情報

[J] ポスター発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ51] 地球惑星科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2019年5月27日(月) 17:15 〜 18:30 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 8ホール)

コンビーナ:矢島 道子(日本大学文理学部)、青木 滋之(中央大学文学部)、山田 俊弘(東京大学大学院教育学研究科研究員)、吉田 茂生(九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門)

[MZZ51-P03] ナウマンはどうやって、日本の地質図を描いたか

*矢島 道子1 (1.日本大学文理学部)

キーワード:ナウマン、地質図、ギュンベル、万国博覧会

ナウマン(Edmund Naumann 1854-1927)は1875(明治8)年に来日し、東京大学の初代地質学教授をへて、できたばかりの地質調査所技師長として日本の予察地質図を作成し、1885年帰独し、ベルリンで開催された万国地質学会で発表した。それは好評をえたばかりでなく、日本の地質の基本を示し、現在から見ても遜色ない。どうして、短時日でこのようなことができたのだろうか。ナウマンの生涯を追跡して、いくつかを指摘してみる。

・高校・大学の成績があまりよくない。優等生ではない。自分の力をたのみに生きた。

・日本に来る前に日本の地質を少し知っていた。ギュンベルの論文、ウィーンの万国博に日本の庭園が出品されたが、その庭石や出品された石の置物を調べて、ミュンヘン大学の地質学者ギュンベルが日本の地質の予察として小さな論文を出していた。

・日本に来たら職がなかった。鉱山学校の教師として雇用されたのだが、鉱山学校がなくなってしまっていた。それで、金石取調所に勤務した。ナウマンは教育の義務がなく、金石取調所で岩石・鉱物を自由に見て、産出地点をおさえることができた。同所には和田維四郎がいて、地名もわかる。