The 28th Kinki Association for Clinical Engineers

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パネルディスカッション

パネルディスカッション3
デバイス好きの13人 いざ、好きを語ろう

Sun. Oct 9, 2022 1:20 PM - 3:10 PM 第2会場 (Zoom)

座長:坂本 亮輔(新宮市立医療センター)、髙垣 勝(滋賀県立総合病院)

[PD3-1] 私が心臓デバイスに惚れたワケ ~頼れる人工臓器~

*中西 理恵子1 (1. 奈良県西和医療センター臨床工学技術部)

「ペースメーカとは世界一よくできた人工臓器である」と人工臓器学会教育セミナーの講義で講師が言っていた。元気に外来に通ってくるペースメーカ植込み患者さんたちと接していると、この言葉を思い出す。
 ペースメーカの歴史は1932年Albert S. Hyman医師から始まった。当初は外付けで持ち運びに制限があり、病院内で用いる生命維持を主な目的としたものであった。その後、1952年Paul Zoll医師による胸壁からの心臓ペーシングが行われ、1957年にワイヤー式心筋電極による体外式ペーシングが開始され、1958年には世界初の電池式ペースメーカが植込こまれた。当時のエネルギー源は水銀電池だったが2年ほどでの電池交換が余儀なくされた。充電式電池や原子力電池などが開発されたが、充電の煩わしさや漏洩放射線の問題などがあり淘汰されていった。Wilson Greatbatch氏らによって長寿命で安全性も高いリチウムヨウ素電池を使用したペースメーカが開発され、現在の電池の原型となっている。小型化され植込まれるようになったペースメーカは患者さんたちを病院内から解放した。
 生命維持が当たり前のようになった後、DDDペースメーカやレートレスポンス機能など生理性の疑似を目指して開発が進んでいった。さらに不整脈検知機能や作動状況、心内心電図の保存といったメモリー機能の充実によって、数々の誤作動や診断誤認の存在が明確になり、電池残量の確認が主たる目的だったペースメーカチェックが、適正な動作や診断をするための重要なものとなっていった。
 ペースメーカ植込みの患者さんが増えていくことで弊害も顕在化していき、代表的なものに心室ペーシングがある。自己心拍優先機能の開発や、His束ペーシングや左脚ペーシングをしやすくするデバイスなどが開発され、更なる生理性の疑似が目指されている。その他にも、切れる可能性のあるリード線を無くし、患者さんの違和感を最小限に抑えたリードレスペースメーカなども出てきた。患者さんは病院内からの解放だけでなく、病気からの解放もされつつあるのではないかと感じている。
本来は死んでしまうであろう人がこの機械を植込んでいることで蘇る、今ではそれだけでなく、生活の質の改善にも貢献している。こんなに進化し完成された頼れる世界一の人工臓器、その管理に我々、臨床工学技士は第一線で関わっている。