The 2021 SSJ Fall Meeting

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Poster session (Oct. 15th)

Regular session » S10. Active faults and historical earthquakes

P

Fri. Oct 15, 2021 3:30 PM - 5:00 PM ROOM P6 (ROOM P)

3:30 PM - 5:00 PM

[S10P-03] Verification of the doubtful damaging earthquake in the late Edo period by using historical diary records (1)

〇Tomoya HARADA1, Akihito NISHIYAMA2, Akihiko KATAGIRI3, Rei MIZUNO4, Seiya YOSHIOKA4 (1.Independence, 2.Disaster Prevention Research Institute, Kyoto University, 3.Research Institute for Natural Hazards and Disaster Recover, Niigata University, 4.Earthquake Research Institute, The University of Tokyo)

『日本被害地震総覧599-2012』(宇佐美・他,2013)には,震央やマグニチュードが推定できない被害地震が数多く掲載されており,中には「疑わし」,「後考をまつ」,「要再考」と記述されている地震もある.これらの地震の多くは,後世の史料や乏しい情報の文献に基づいているため,その存否は疑わしい.このような地震は,例えば,南海トラフ巨大地震発生前後における内陸地殻内の地震活動を検討する際などに,取り扱いが非常に難しく,実態の検討が急務である.しかしながら,その検討は,収集・翻刻された複数の史料の記述内容を,地震学者自らが読解する必要があり,大変な労力と時間を伴うためにこれまであまり進捗していない.
 最近,歴史学研究者が中心となって,江戸時代末期における日本全国の日記史料に記録された有感地震のデータベース化が開始された(西山,2019).現在,52点の日記史料における有感地震の記録が「日記史料有感地震データベース(試作版)」(西山・他,2020)として公開されており(「日記史料DB」),疑わしい地震の検討が容易になってきた.「日記史料DB」では,「有感地震のない日についてもデータ化している」と説明されているように,“地震があった日”と同じく“地震がなかった日”が分かる.同時代史料における“地震がなかった日”の情報は,地震の存否を明らかにするために非常に重要である.すなわち,後世の史料や文献に被害地震の存在が記述されていても,複数の日記史料に被害や揺れの記録がなければ,その存在は明確に否定される.逆に,被害記録の少ない地震であっても,複数の日記史料に記録があれば,その存在は確実となる.
 本研究では,嘉永元年(1851年4月)以降江戸時代末期に発生した存否の疑わしい被害地震について,「日記史料DB」の有感記録を用いた検討を行った.現在,「日記史料DB」で公開されている有感記録の期間は,一部の日記史料を除き嘉永六年(1853年)〜安政三年(1857年)であるため,期間外の地震については,他の日記史料の原典や信頼できる翻刻史料を用いて検討した.今後,嘉永元年以前に発生した地震についても,順次検討を進めていきたい.
 現時点の検討結果は以下の通りである.①嘉永七年閏七月二日(1854年8月28日)八戸の地震:「奥南温古集」(明治23年に南部家に献上された八戸藩の歴史書)にある地震.「日記史料DB」の「遠山家日記」(現青森県八戸市),「弘前藩庁日記」(現青森県弘前市),「門屋養安日記」(現秋田県湯沢市),「宗尹日記」(現山形県尾花沢市),「桜田良佐日記」(現宮城県仙台市)には,この日の地震記録はない.五日の誤りと考えられる.②嘉永七年八月二十日(1854年10月11日)伊勢の地震:『木曾岬村史』のみに掲載される地震.「日記史料DB」の「浄慈院日別雑記」(現愛知県豊橋市),「竹川竹斎日記」(現三重県松阪市),「万相場日記」(現滋賀県蒲生郡竜王町)には,この日の地震記録はない.安政二年八月二十日の台風被害の誤記と考えられる.③安政二年六月二十三日(1855年8月5日)二戸の地震: 『南部二戸郡淺澤郷土史料』内の83歳の老人の証言(大正13年)による地震.「日記史料DB」の「遠山家日記」,「弘前藩庁日記」,「門屋養安日記」,「宗尹日記」,「桜田良佐日記」には,この日の地震記録はない.安政三年八戸沖の地震(M7.5)の記憶違いと考えられる.④安政二年七月四日(1855年8月16日)米子の地震: 「控帳」(鳥取県立博物館所蔵)の「去る四日」を安政二年七月四日と考えたことによる地震.「日記史料DB」の「堀敦斎日記」(現鳥取県鳥取市),「土屋家日記」(現広島県福山市),「多度津藩日記」(現香川県仲多度郡多度津町),「今中家日記」(現広島県広島市),「伊予小松藩会所日記」(現愛媛県西条市)には,この日の地震記録はない.「去る四日」は,嘉永七年十一月四日と考えて良いのではないか.⑤安政二年十月七日(1855年12月10日)伊予の地震: 『大洲市誌』のみにある地震.「日記史料DB」の「伊予小松藩会所日記」,「今中家日記」,「広瀬久兵衛日記」(現大分県大分市),「佐伯藩日記」(現大分県佐伯市),「中村平左衛門日記」(現福岡県小倉市)には,この日の地震記録はない.嘉永七年十月七日の伊予西部の地震の誤りと考えられる.⑥安政三年十一月十二日(1856年12月9日)益田の地震: 『益田市史』のみにある地震.「日記史料DB」の「今中家日記」,「土屋家日記」,「伊予小松藩会所日記」,「古谷道庵日乗」(山口県下関市),「中村平左衛門日記」には,この日の地震記録はない.『益田市史』には,当地に被害を与えた安政五年石見の地震(M6.2±0.2)の記述がないためその誤記と考えられる.