[JH03] 教育現場における「いのちの授業」の取り組み
キーワード:いのち, 死, 授業
企画趣旨
いじめをはじめとするさまざまな事情から,自ら命を断つ子どもたちは後を断たない。心理臨床の現場の報告からも,<他者の命を大切にできない子どもたち><自分の命を全うすることができない子どもたち>が抱える心の闇の深さが見えてくる。そんな難しい現状を抱える現代社会,いじめ防止や自殺予防については,対処療法的な支援だけではなく,子どもたちのこころに本気で切り込む教育に対峙していくことが求められる。本シンポジウムでは,未来ある子ども(青少年)たちに,学校教育の現場,そして矯正教育の現場で,命の尊さを伝える実践に取り組んでおられる先生方にご登壇いただく。その実践から,今,必要とされる「いのちの授業」「死の授業」について議論を深めてみたい。
人権教育の視点に立った「生命尊重」の学び
武蔵村山市立第一中学校 青木由美子
いじめを原因とする自殺が後を絶たない現状の中で,各学校においては,いじめや暴力のない学校づくりに力を注いでいる。本校でも,「自分を大切に,他者を大切に」を学校経営方針の柱としている。「自分は生まれてきてよかった」「自分の命を大切にしたい」「人の役に立ちたい」などは人権尊重の理念であり,このような気持ちを育むことが学校教育の重要な課題である。
本校では,平成23・24年度に文部科学省の人権教育研究指定校として研究を進めてきた。その一環として「生命尊重」の授業に取り組んでいる。
具体的には,読み物資料を活用したり,ゲストティチャーを招いたりして実践する道徳の時間の授業の展開である。実践の一部を掲載すると,
(1)道徳授業地区公開講座を開催し,全学級で「生命尊重」を題材にした授業の実施
(2)人間に放棄され殺処分される犬や猫たちの現状に迫り,人としての幸せの在り方やいのちの尊さについての講話
(3)学校で生まれた「うさぎ」の飼育の記録を題材にした講話
(4)妊娠や出産などの経験から「人が生まれて育つことの尊さ」を伝える講話
(5)白血病などの難病と戦い,いのちと向き合ってきた体験を伝える講話
これらの「いのちの授業」を通して,生徒達に,自分が生まれ,現在までの育っていることの尊さを実感させ,今の自分に何ができるか,将来の自分に何ができるか,どう生きていくかなどを考える機会としたいと考える。
「いのちの授業」を受けた後の生徒の感想では,「『今を生きる』ということを大事にしたいと思う。当たり前のように生きているけど,母が命がけで産んでくれたことに感謝しなければいけないと思った。出会った人たちを受け入れ,一つ一つの生命を大切にしたい。」
「いのちの見方,考え方,感じ方などがこれから変わっていく感じがした。」などと書いている。
生徒にとって,「生」や「死」が実感できない状況が少なくない。こうした授業を通して,そのことにふれ,自分や周りの人を大切に思う気持ちを育み実践していく態度を育むことが,学校教育のできることであり使命なのだと考えている。
少年受刑者指導における被害者の視点を取り入れた教育の実践と問題点について
~赤ちゃん人形を用いて~
奈良少年刑務所 乾井 智彦
入所時20歳未満の少年受刑者の多くが,他者の身体,生命に危害を加えた加害者であり,その多くが生命犯であることから,当所の少年受刑者指導においては,「被害者の視点を取り入れた教育」を指導の中核に位置付けている。
具体的には,一般改善指導としてゲストスピーカーを招へいしての被害者感情理解指導としての講話,しょく罪教育講座を10単元,ロールレタリングを用いた指導,さらに特別改善指導としてのR4(被害者の視点を取り入れた教育)を12単元など,自身の罪と向き合わせる指導を教育の中核プログラムとしている。また,被害者支援を行っている産婦人科医師が,年4回,性と生についての講話とミーティングを実施している。
一方,少年受刑者の多くは,自己イメージが悪く共感性の乏しい者が多いため,被害者やその遺族の気持ちを理解することが困難であることが多い。そのため,いかに自尊感情を高めるかは大きなテーマとなるのであるが,なかなか有効な手立てが見つからなかった。そのような時に考案したのが「赤ちゃん人形」を用いて,生まれたての自分に,今の自分から思いを伝えるロールプレイである。思いを伝えるというこの作業がポイントである。赤ちゃんである自分に対して,これから待ち受けている人生をいかに生きてゆくかを少年たちに語らせるのである。そのことによって,彼らは,彼ら自身のこれまでの人生を振り返ることができる。また,赤ちゃんに語りかけている自分の姿を母親に重ねることで,母親から受けてきた愛情に気付いたり母親に対する感謝の気持ちを持ったりするのである。それは,少年受刑者自身の自尊感情を高めることにもなると思われる。
少年受刑者自身の命の大切さや重みを実感させることによって,他者の命の大切さや重みを想像させることができる,という仮説を立てて,「被害者の視点を取り入れた教育」の一単元として取り入れた。被害者の命の大切さや重みを実感させることをねらいにした授業である。
この教育では,彼らの閉ざされた心を開き,素直さを取り戻させるという効果もあり,更生への動機付けにもなっていると実感している。
「いのちの授業」実践の意義と可能性
奈良女子大学 伊藤美奈子
学校現場における心理臨床実践を通して,自傷行為や自殺企図に走る子どもたちの悩みの深さに向き合うことが何度かあった。またいじめによる自死も,いまだに後を絶たない。東京都が行ったいじめ調査で「いじめの解消方法」を尋ねた結果,<命の大切さを伝えること>を選ぶ児童生徒が45%を超えた。この結果からも,子どもたち自身が命と向き合うことの必要性や重要性を感じていることがわかる。
いのちや死を,学校教育のなかでどう扱えばいいのか模索し,さまざまな道徳・総合的な授業等に参加していたとき,NPO血液患者コミュニティももの木による「いのちの授業」に出会った。ももの木では,白血病などの難しい病気を経験したメンバーが,主に小・中学校,高等学校や大学,専門学校等で,自らの病気の体験を語るという活動を行っている。病気への理解を社会に対し求めることが目的の一つであるが,病や死を通して“命の大切さ・素晴らしさについて考える機会になった”という成果も上がっている。いのちの授業を行う学校の多くは,道徳や特別活動の時間に,命や死を考える機会を設けた後に,本授業を受けることが多い。また,いのちの授業に先立って,「生きているのがつらいと思った経験」「死に出会った経験」「死について考えたり話をしたりした経験」の有無と,その時の気持ちについて記入を求める事前アンケートを実施している。そして,当日の授業後には,振り返りカードへの記述を求めている。事前には,祖父母やペットの死を通して死に出会った子どもがいること,漠然とした死への恐怖の気持ちを記入することが多い。しかし,授業後のアンケートには「死は身近なことだとわかった」「いつ死ぬかではなく,どう生きるかが大切」「今を大事に精一杯生きたい」など,死を見つめつつも今を大切に生きようという気持ちが生まれることがうかがえた。
こうしたいのちの授業プログラムを完成するためにも,実証的に効果測定を行い,課題を解決していくことが必要である。さらに,いのちや死という配慮が必要なテーマを扱うため,倫理上の配慮や,事前事後の指導を含めた授業プログラムの開発が求められる。そうした問題意識に立って,筆者自身,ももの木スタッフや学校教育者とともに実践研究を始めたところである。本シンポジウム(当日)では,実践内容と効果測定結果をもとに,いのちの授業の意義と可能性,さらに課題についても検討したいと考える。
いじめをはじめとするさまざまな事情から,自ら命を断つ子どもたちは後を断たない。心理臨床の現場の報告からも,<他者の命を大切にできない子どもたち><自分の命を全うすることができない子どもたち>が抱える心の闇の深さが見えてくる。そんな難しい現状を抱える現代社会,いじめ防止や自殺予防については,対処療法的な支援だけではなく,子どもたちのこころに本気で切り込む教育に対峙していくことが求められる。本シンポジウムでは,未来ある子ども(青少年)たちに,学校教育の現場,そして矯正教育の現場で,命の尊さを伝える実践に取り組んでおられる先生方にご登壇いただく。その実践から,今,必要とされる「いのちの授業」「死の授業」について議論を深めてみたい。
人権教育の視点に立った「生命尊重」の学び
武蔵村山市立第一中学校 青木由美子
いじめを原因とする自殺が後を絶たない現状の中で,各学校においては,いじめや暴力のない学校づくりに力を注いでいる。本校でも,「自分を大切に,他者を大切に」を学校経営方針の柱としている。「自分は生まれてきてよかった」「自分の命を大切にしたい」「人の役に立ちたい」などは人権尊重の理念であり,このような気持ちを育むことが学校教育の重要な課題である。
本校では,平成23・24年度に文部科学省の人権教育研究指定校として研究を進めてきた。その一環として「生命尊重」の授業に取り組んでいる。
具体的には,読み物資料を活用したり,ゲストティチャーを招いたりして実践する道徳の時間の授業の展開である。実践の一部を掲載すると,
(1)道徳授業地区公開講座を開催し,全学級で「生命尊重」を題材にした授業の実施
(2)人間に放棄され殺処分される犬や猫たちの現状に迫り,人としての幸せの在り方やいのちの尊さについての講話
(3)学校で生まれた「うさぎ」の飼育の記録を題材にした講話
(4)妊娠や出産などの経験から「人が生まれて育つことの尊さ」を伝える講話
(5)白血病などの難病と戦い,いのちと向き合ってきた体験を伝える講話
これらの「いのちの授業」を通して,生徒達に,自分が生まれ,現在までの育っていることの尊さを実感させ,今の自分に何ができるか,将来の自分に何ができるか,どう生きていくかなどを考える機会としたいと考える。
「いのちの授業」を受けた後の生徒の感想では,「『今を生きる』ということを大事にしたいと思う。当たり前のように生きているけど,母が命がけで産んでくれたことに感謝しなければいけないと思った。出会った人たちを受け入れ,一つ一つの生命を大切にしたい。」
「いのちの見方,考え方,感じ方などがこれから変わっていく感じがした。」などと書いている。
生徒にとって,「生」や「死」が実感できない状況が少なくない。こうした授業を通して,そのことにふれ,自分や周りの人を大切に思う気持ちを育み実践していく態度を育むことが,学校教育のできることであり使命なのだと考えている。
少年受刑者指導における被害者の視点を取り入れた教育の実践と問題点について
~赤ちゃん人形を用いて~
奈良少年刑務所 乾井 智彦
入所時20歳未満の少年受刑者の多くが,他者の身体,生命に危害を加えた加害者であり,その多くが生命犯であることから,当所の少年受刑者指導においては,「被害者の視点を取り入れた教育」を指導の中核に位置付けている。
具体的には,一般改善指導としてゲストスピーカーを招へいしての被害者感情理解指導としての講話,しょく罪教育講座を10単元,ロールレタリングを用いた指導,さらに特別改善指導としてのR4(被害者の視点を取り入れた教育)を12単元など,自身の罪と向き合わせる指導を教育の中核プログラムとしている。また,被害者支援を行っている産婦人科医師が,年4回,性と生についての講話とミーティングを実施している。
一方,少年受刑者の多くは,自己イメージが悪く共感性の乏しい者が多いため,被害者やその遺族の気持ちを理解することが困難であることが多い。そのため,いかに自尊感情を高めるかは大きなテーマとなるのであるが,なかなか有効な手立てが見つからなかった。そのような時に考案したのが「赤ちゃん人形」を用いて,生まれたての自分に,今の自分から思いを伝えるロールプレイである。思いを伝えるというこの作業がポイントである。赤ちゃんである自分に対して,これから待ち受けている人生をいかに生きてゆくかを少年たちに語らせるのである。そのことによって,彼らは,彼ら自身のこれまでの人生を振り返ることができる。また,赤ちゃんに語りかけている自分の姿を母親に重ねることで,母親から受けてきた愛情に気付いたり母親に対する感謝の気持ちを持ったりするのである。それは,少年受刑者自身の自尊感情を高めることにもなると思われる。
少年受刑者自身の命の大切さや重みを実感させることによって,他者の命の大切さや重みを想像させることができる,という仮説を立てて,「被害者の視点を取り入れた教育」の一単元として取り入れた。被害者の命の大切さや重みを実感させることをねらいにした授業である。
この教育では,彼らの閉ざされた心を開き,素直さを取り戻させるという効果もあり,更生への動機付けにもなっていると実感している。
「いのちの授業」実践の意義と可能性
奈良女子大学 伊藤美奈子
学校現場における心理臨床実践を通して,自傷行為や自殺企図に走る子どもたちの悩みの深さに向き合うことが何度かあった。またいじめによる自死も,いまだに後を絶たない。東京都が行ったいじめ調査で「いじめの解消方法」を尋ねた結果,<命の大切さを伝えること>を選ぶ児童生徒が45%を超えた。この結果からも,子どもたち自身が命と向き合うことの必要性や重要性を感じていることがわかる。
いのちや死を,学校教育のなかでどう扱えばいいのか模索し,さまざまな道徳・総合的な授業等に参加していたとき,NPO血液患者コミュニティももの木による「いのちの授業」に出会った。ももの木では,白血病などの難しい病気を経験したメンバーが,主に小・中学校,高等学校や大学,専門学校等で,自らの病気の体験を語るという活動を行っている。病気への理解を社会に対し求めることが目的の一つであるが,病や死を通して“命の大切さ・素晴らしさについて考える機会になった”という成果も上がっている。いのちの授業を行う学校の多くは,道徳や特別活動の時間に,命や死を考える機会を設けた後に,本授業を受けることが多い。また,いのちの授業に先立って,「生きているのがつらいと思った経験」「死に出会った経験」「死について考えたり話をしたりした経験」の有無と,その時の気持ちについて記入を求める事前アンケートを実施している。そして,当日の授業後には,振り返りカードへの記述を求めている。事前には,祖父母やペットの死を通して死に出会った子どもがいること,漠然とした死への恐怖の気持ちを記入することが多い。しかし,授業後のアンケートには「死は身近なことだとわかった」「いつ死ぬかではなく,どう生きるかが大切」「今を大事に精一杯生きたい」など,死を見つめつつも今を大切に生きようという気持ちが生まれることがうかがえた。
こうしたいのちの授業プログラムを完成するためにも,実証的に効果測定を行い,課題を解決していくことが必要である。さらに,いのちや死という配慮が必要なテーマを扱うため,倫理上の配慮や,事前事後の指導を含めた授業プログラムの開発が求められる。そうした問題意識に立って,筆者自身,ももの木スタッフや学校教育者とともに実践研究を始めたところである。本シンポジウム(当日)では,実践内容と効果測定結果をもとに,いのちの授業の意義と可能性,さらに課題についても検討したいと考える。