日本地球惑星科学連合2021年大会

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[O-07] 高校生ポスター発表

2021年6月6日(日) 13:45 〜 15:15 Ch.27

コンビーナ:原 辰彦(建築研究所国際地震工学センター)、道林 克禎(名古屋大学 大学院環境学研究科 地球環境科学専攻 地質・地球生物学講座 岩石鉱物学研究室)、久利 美和(気象庁)、紺屋 恵子(海洋研究開発機構)

13:45 〜 15:15

[O07-P68] 立川高校における過去の悪視程について

*牛坂 友哉1 (1.東京都立立川高等学校)

キーワード:視程、気象、大気汚染

立川高校における過去の悪視程について

Bad visibility in the past at Tachikawa High School東京都立立川高校3年 

牛坂友哉



目的・背景



本校天文気象部では約70年間気象と視程の観測を続けてきた。視程とは観測場所から識別することのできる距離の程度を表す気象用語であり、どの程度見通しがきくかという情報である。2019年に本部の先輩が「立川高校における50年間の視程の変化と戦後の大気汚染について」というテーマで50年間の視程データを整理・分析し、戦後の立川周辺の視程が極めて悪く、1950・60年代は1年のうち悪視程(4km未満)の日が約40%の年が続いたこと、大気汚染の規制が始まる1970年代から視程は回復していったことがわかった。立川の1950年代後半は気象庁の視程より悪く、当時工場の多かった都心とは異なる悪視程の原因があったと考えられ、当時の燃料の多くを占めていた石炭等の燃焼による煤塵や集塵装置の不備の他、未舗装の道路で巻き上がる砂埃や、畑地の砂塵などが推測された。また、朝鮮戦争時とその後しばらく、米軍の極東最大の輸送基地であった立川基地の影響も推測された。本研究では1950年代に立川で悪視程が増加した原因について、観測データや文献を更に詳しく調査し、考察した。



研究方法

① 観測データの分析

当時の観測記録には、様々な気象現象も記録されている。本研究では、視程の悪化が顕著であった1950・60年代について、悪視程と関連があると考えられる「煤煙、煙霧、逆転層、風塵、霧」などの気象現象の発生回数を調べ、視程との関連を分析した



② 文献調査・聞き込み調査について

文献調査により当時の周辺環境を調べた。文献以外にも、当時の新聞記事や、米軍占領下の立川基地で編集されていた立川基地新聞などの資料を探し、大気汚染に関する記述を探した。また、当時の部員であったOBや、地域の方に立川周辺の様子について聞き込み調査を行った。



結果

米軍の過去資料の調査から、当時米軍に占領されていた立川基地は、朝鮮戦争時とその後しばらく、極東最大の輸送基地であり、物資の運搬のために毎日120回を超える飛行機の発着があったことがわかった。また、地域の方から当時の飛行機が黒い煙を吐いて飛んでいたこと、大規模なセントラルヒーティング暖房であったとの話をきいた。しかし新聞記事や文献から、米軍基地における騒音問題や水質汚染などの記事は見つかったが大気汚染と関連のある記述は得られなかった。また当時は石炭暖房の家が多く、冬の朝は常に煙が見られたこと、車の排ガスが黒く、立川周辺では木炭自動車なども走っていたこと、道路はほとんど未舗装で狭く、特に60年代からは車が増えて渋滞も多かったこと、冬には強風が吹いて、畑の土による砂嵐のような状況で度々視界が悪くなったことなどの話も聞いた。



観測データの分析では、視程階級をプロットしたグラフと各気象現象の発生回数をまとめたグラフを作成した。当時の視程は、冬季の午前に最も悪化しており、1965年頃から少しずつ回復の傾向がみられる。10年分の気象現象の発生回数をまとめたグラフからは、冬季の午前に逆転層、煤煙、煙霧の発生回数が特に増加する傾向がみられ、午後になるとこれらの現象はかなり減少していた。1~4月にはには風塵の発生回数が増加しており、当時の本校の周囲がほとんど畑地であったこととの関連が考えらえる。煤塵や煙霧と違い、気温の変化が大きく影響していると考えられる逆転層や霧は1960年代まで年間の発生回数に変化はみられなかった(逆転層や霧は現在ではほとんど見られない)。



考察・結論

文献調査からは大気汚染の資料が思うほど得られなかったが、聞き込み調査から悪視程に影響を与えた様々な要因、大気汚染の原因となる人為的な現象や気象現象との関連を探ることができた。煤煙や煙霧との関連、の気象現象が発生し、悪視程に至ったと推測される。今回の研究で季節ごとの視程の変化、気象現象の発生回数の増減についてまとめることができた。その中で逆転層の観測回数は集計した期間内を通して大きな変化がないが現在ではほとんど観測されなくなっているため当時と現在の気温の変化に何かしらの差異があったと推測される。逆転層の発生回数が増加していた原因については今後もさらなる調査が必要である。