11:00 〜 11:15
[SCG50-08] 中央構造線およびその周辺の後期白亜紀ー古第三紀の構造発展史:時空間発展の観点から
★招待講演
キーワード:中央構造線、後期白亜紀から古第三紀、運動像、斜め沈み込み、低角正断層活動、左横ずれトランスプレッション
中央構造線の後期白亜紀―古第三紀の構造発展史については,古くから多くの研究が行われ,1980年に地質学会から出版された地質学論集の特集号「Median Tectonic Line of Southwest Japan」で一定程度の総括が為された。そこでは,始原中央構造線が後期白亜紀に領家帯花崗岩類中にマイロナイト帯として誕生した(鹿塩フェーズ)後,白亜紀最末期の和泉層群が中央構造線の北側に出来たプルアパート盆地に堆積したと纏められている。その後,和泉層群の堆積後に外帯側の三波川変成岩が四国西部に分布する始新統久万層群堆積以前に著しく隆起し,領家花崗岩類および和泉層群と接合し(狭義の中央構造線の形成,いわゆる市ノ川フェーズ),さらにその後,始新統久万層群堆積後に和泉層群が北から南へ久万層群に衝上したと纏められた(砥部フェーズ)。その後,中央構造線の構造発展史はしばらく研究されることはなかったが,90年代以降,竹下とその共同研究者は四国西部の中央構造線の構造発展史について新たな事実を見出した。後期白亜紀の鹿塩フェーズに形成された各種断層岩の分布やその運動像については,既にHara et al. (1980)やTakagi (1986)等の大変優れた研究があったが,古第三紀の中央構造線の発展については不明な部分が多かった。それは,市ノ川フェーズというものが模式地の露頭の構造によって定義されていた訳でない他,久万層群の時代は90年代後半以降にその大部分が前期中新世であることが判明したことによる(鹿島・武智,1996; 成田ほか,1999; 竹下ほか,2000)。以下には,これまでに得られた結果に基づき,後期白亜紀―古第三紀の構造発展史を纏めるほか,地球物理学的にも興味深い事実を紹介する。
(a) 鹿塩フェーズ:後期白亜紀
本フェーズには,著しい左横ずれが生じたことが鹿塩マイロナイトの片理の中央構造線に向かう方位変化や非対称微細構造解析から知られている(Hara et al. , 1980; Takagi ,1986)。また,三波川変成岩中にも同時期に形成された上盤西ずれ構造が記録されている(例えばTakeshita and Yagi., 2004)。これらの運動はイザナギプレートが,日本海拡大以前の北北東―南南西方向の古日本列島に対して北北西―南南東方向に沈み込んだことによる。
(b) 市ノ川フェーズ:暁新世(約59 Ma, Kubota et al., 2020)
従来,不明瞭であったいわゆる市ノ川フェーズの運動像は,大規模北落ちの正断層であることが,和泉層群中で数百mにも及ぶ南北伸長によって掲載されたブーディン帯やdrape foldsと解釈される北フェルゲンツの褶曲によって明らかにされた(Kubota and Takeshita, 2008)。一方,三波川変成岩には低角正断層が発達しているほか,中央構造線そのものが低角正断層であることが佐藤ほか(2005)およびIto et al. (2009)による大規模反射法地震探査により明らかにされた。この低角正断層は現在イタリアで地震を引き起こしている低角正断層と共通しており,おそらく基盤岩(三波川変成岩)の片理面方向に流動しやすいという異方性に起因して形成された。
(c) 先砥部フェーズ:始新世(約47 Ma, Kubota et al., 2020)
熊本地震(2016)が明瞭に中央構造線の西端で起こったことで分かる様に,中央構造線は極めて活動的な断層として第四紀に再活動している。しかし,この活断層の位置は狭義の中央構造線の位置に一致せず,中央構造線より北に離れた和泉層群中に位置する(例えば岡田, 1973)。活断層のもとになった断層がいつどのような運動像で形成されたのかについては全く情報がなかったところ,窪田と竹下の長年にわたる研究により,中央構造線活断層系はもともと始新世の約47 Maに左横ずれトランスプレッションにより形成されたことが最近解明された(Kubota et al., 2020)。この中央構造線の活動フェーズは上記の砥部フェーズが現在では15Maの活動であることが判明したため(竹下ほか,2000),先砥部フェーズと名付けられた(Kubota and Takeshita, 2008)。
(a) 鹿塩フェーズ:後期白亜紀
本フェーズには,著しい左横ずれが生じたことが鹿塩マイロナイトの片理の中央構造線に向かう方位変化や非対称微細構造解析から知られている(Hara et al. , 1980; Takagi ,1986)。また,三波川変成岩中にも同時期に形成された上盤西ずれ構造が記録されている(例えばTakeshita and Yagi., 2004)。これらの運動はイザナギプレートが,日本海拡大以前の北北東―南南西方向の古日本列島に対して北北西―南南東方向に沈み込んだことによる。
(b) 市ノ川フェーズ:暁新世(約59 Ma, Kubota et al., 2020)
従来,不明瞭であったいわゆる市ノ川フェーズの運動像は,大規模北落ちの正断層であることが,和泉層群中で数百mにも及ぶ南北伸長によって掲載されたブーディン帯やdrape foldsと解釈される北フェルゲンツの褶曲によって明らかにされた(Kubota and Takeshita, 2008)。一方,三波川変成岩には低角正断層が発達しているほか,中央構造線そのものが低角正断層であることが佐藤ほか(2005)およびIto et al. (2009)による大規模反射法地震探査により明らかにされた。この低角正断層は現在イタリアで地震を引き起こしている低角正断層と共通しており,おそらく基盤岩(三波川変成岩)の片理面方向に流動しやすいという異方性に起因して形成された。
(c) 先砥部フェーズ:始新世(約47 Ma, Kubota et al., 2020)
熊本地震(2016)が明瞭に中央構造線の西端で起こったことで分かる様に,中央構造線は極めて活動的な断層として第四紀に再活動している。しかし,この活断層の位置は狭義の中央構造線の位置に一致せず,中央構造線より北に離れた和泉層群中に位置する(例えば岡田, 1973)。活断層のもとになった断層がいつどのような運動像で形成されたのかについては全く情報がなかったところ,窪田と竹下の長年にわたる研究により,中央構造線活断層系はもともと始新世の約47 Maに左横ずれトランスプレッションにより形成されたことが最近解明された(Kubota et al., 2020)。この中央構造線の活動フェーズは上記の砥部フェーズが現在では15Maの活動であることが判明したため(竹下ほか,2000),先砥部フェーズと名付けられた(Kubota and Takeshita, 2008)。