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[SGL23-05] 北海道白糠丘陵に分布する始新統浦幌層群アルコース質砂岩の供給源:テクトニックな意味
キーワード:始新統浦幌層群、後背地、アルコース質砂岩、千島弧と本州弧の衝突、道東磁気異常帯、北海道の40 Ma火成活動
北海道南東部には白亜紀後期から漸新世の前弧海盆堆積物が広く分布し、白糠丘陵に分布する始新世の堆積物は浦幌層群と呼ばれている。我々は最近、白糠町東方に分布する浦幌層群舌辛層および尺別層の調査を行っているが、尺別層が作る撓曲帯の基部に変形バンドが発達していることを発見し、その微細構造解析を行った(加地・竹下, 2021, 本連合大会S-IT19)。一方で、浦幌層群を構成する砂岩が特徴的に黒雲母およびカリ長石に富む事実に気付き、砂岩の鉱物モード組成の分析を行い、その供給源について考察した。本講演では、この供給源の位置と岩石構成について、最近明らかにされて来た浦幌層群産のジルコンのU-Pb年代(片桐ほか, 2016; Katagiri et al., 2020)も考慮して議論し、テクトニクスを考察する。
浦幌層群は、釧路湿原でその分布が断たれるが釧路市東方と西方の白糠丘陵に広く分布している。しかし、釧路市東方の浦幌層群が東西走向で緩傾斜を示す一方、白糠丘陵に分布するものは南北走向で褶曲衝上断層帯を形成している(鈴木, 1958)。これは、千島弧前弧に堆積した浦幌層群が東進して東北日本弧に衝突して出来た構造と考えられている(木村・玉木, 1985)。浦幌層群は釧路炭田を胚胎しており、下位より別保層、春採層、天寧層、湧別層、舌辛層および尺別層の6層で構成されている(佐々, 1940)。浦幌層群は既に貝化石や植物化石(佐々, 1940)、および有孔虫化石(海保, 1983)により後期始新世の地層と考えられて来たが、釧路海岸地域に分布する浦幌層群の天寧層中の細粒凝灰岩より産したジルコンより39.06±0.23 MaのU-Pb年代が得られた(片桐ほか, 2016)。さらに、Katagiri et al. (2020) は白糠丘陵に分布する浦幌層群の春採層中の2つの凝灰岩質泥岩試料より産したジルコンについても年代測定を行い、39.54 ±0.27 Maおよび40.8 ±1.1 Maの最若年代を得て、浦幌層群が中期始新世の地層であることを確実にした。一方で、この浦幌層群の凝灰岩の供給源となった40 Ma頃の火成活動はどこで生じたのか不明である。ところが、不整合を介し浦幌層群の下位にある白亜紀末から古第三紀初頭の根室層群の堆積物はほぼ根室層群の分布地付近にあった古千島火山弧から供給されたことで意見の一致を見ている(木村・玉木, 1985; 小笠原ほか, 1998)。そうであるとすると、40 Ma頃の凝灰岩をもたらした火成活動は、同じく古千島火山弧で生じたようにも思えるが、証拠はこれまで全く得られておらず、後で議論するように古千島火山弧説は古流向に矛盾する。
この問題を議論するために筆者らはまず、浦幌層群の後背地の岩石構成を明らかにする必要があると考え、浦幌層群舌辛層および尺別層について一試料ずつ砂岩の鉱物組成を解析した。解析は現在進行中で、ここでは詳しく述べることは出来ないが、浦幌層群の砂岩は典型的なアルコース質砂岩で、後背地は基本的に狭義の花崗岩で構成されていることが明らかである。また、流紋岩の岩片も含まれていることから、後背地は花崗岩―流紋岩の深成岩火山岩コンプレックスから構成されている可能性がある。さらに、砂岩中の黒雲母とカリ長石砕屑粒子は極めて新鮮なほか、浦幌層群には花崗岩礫も認められていることから、後背地は堆積場から比較的近い場所にあったことが類推される。このことについて興味深い事実は、浦幌層群舌辛層は東南東からの堆積物の供給を示す古流向を示すが(佐藤ほか, 1967)、釧路南方の太平洋沖の大陸棚には、“道東磁気異常帯”(Ogawa and Suyama, 1976)が大規模に分布する。七山ほかは(1994)は浦幌層群から砕屑性クロムスピネルが産することを報告し、これが常呂帯仁頃層群オフィオライトから供給されたと推察して、“道東磁気異常帯”は同オフィオライトの延長部と考えた。しかし、磁気異常の起源は“石狩―北上磁気異常帯”のように花崗岩類とも考えられ(日本原燃, 2016)、そうであるならば古流向から考えて花崗岩起源の砕屑物が道東磁気異常帯を構成する花崗岩類から供給された可能性がある。大規模なフェルシックな火成活動が40 Ma頃に釧路沖で生じたテクトニクスは現在では未解明であるが、この問題は従来から知られている日高帯の40 Ma頃の花崗岩類(前田ほか, 1986; 川上ほか, 2006)や最近明らかにされた日高帯の40 Ma頃の変成岩類(Takahashi, 2021, accepted)と合わせて議論されるべきかも知れない。
浦幌層群は、釧路湿原でその分布が断たれるが釧路市東方と西方の白糠丘陵に広く分布している。しかし、釧路市東方の浦幌層群が東西走向で緩傾斜を示す一方、白糠丘陵に分布するものは南北走向で褶曲衝上断層帯を形成している(鈴木, 1958)。これは、千島弧前弧に堆積した浦幌層群が東進して東北日本弧に衝突して出来た構造と考えられている(木村・玉木, 1985)。浦幌層群は釧路炭田を胚胎しており、下位より別保層、春採層、天寧層、湧別層、舌辛層および尺別層の6層で構成されている(佐々, 1940)。浦幌層群は既に貝化石や植物化石(佐々, 1940)、および有孔虫化石(海保, 1983)により後期始新世の地層と考えられて来たが、釧路海岸地域に分布する浦幌層群の天寧層中の細粒凝灰岩より産したジルコンより39.06±0.23 MaのU-Pb年代が得られた(片桐ほか, 2016)。さらに、Katagiri et al. (2020) は白糠丘陵に分布する浦幌層群の春採層中の2つの凝灰岩質泥岩試料より産したジルコンについても年代測定を行い、39.54 ±0.27 Maおよび40.8 ±1.1 Maの最若年代を得て、浦幌層群が中期始新世の地層であることを確実にした。一方で、この浦幌層群の凝灰岩の供給源となった40 Ma頃の火成活動はどこで生じたのか不明である。ところが、不整合を介し浦幌層群の下位にある白亜紀末から古第三紀初頭の根室層群の堆積物はほぼ根室層群の分布地付近にあった古千島火山弧から供給されたことで意見の一致を見ている(木村・玉木, 1985; 小笠原ほか, 1998)。そうであるとすると、40 Ma頃の凝灰岩をもたらした火成活動は、同じく古千島火山弧で生じたようにも思えるが、証拠はこれまで全く得られておらず、後で議論するように古千島火山弧説は古流向に矛盾する。
この問題を議論するために筆者らはまず、浦幌層群の後背地の岩石構成を明らかにする必要があると考え、浦幌層群舌辛層および尺別層について一試料ずつ砂岩の鉱物組成を解析した。解析は現在進行中で、ここでは詳しく述べることは出来ないが、浦幌層群の砂岩は典型的なアルコース質砂岩で、後背地は基本的に狭義の花崗岩で構成されていることが明らかである。また、流紋岩の岩片も含まれていることから、後背地は花崗岩―流紋岩の深成岩火山岩コンプレックスから構成されている可能性がある。さらに、砂岩中の黒雲母とカリ長石砕屑粒子は極めて新鮮なほか、浦幌層群には花崗岩礫も認められていることから、後背地は堆積場から比較的近い場所にあったことが類推される。このことについて興味深い事実は、浦幌層群舌辛層は東南東からの堆積物の供給を示す古流向を示すが(佐藤ほか, 1967)、釧路南方の太平洋沖の大陸棚には、“道東磁気異常帯”(Ogawa and Suyama, 1976)が大規模に分布する。七山ほかは(1994)は浦幌層群から砕屑性クロムスピネルが産することを報告し、これが常呂帯仁頃層群オフィオライトから供給されたと推察して、“道東磁気異常帯”は同オフィオライトの延長部と考えた。しかし、磁気異常の起源は“石狩―北上磁気異常帯”のように花崗岩類とも考えられ(日本原燃, 2016)、そうであるならば古流向から考えて花崗岩起源の砕屑物が道東磁気異常帯を構成する花崗岩類から供給された可能性がある。大規模なフェルシックな火成活動が40 Ma頃に釧路沖で生じたテクトニクスは現在では未解明であるが、この問題は従来から知られている日高帯の40 Ma頃の花崗岩類(前田ほか, 1986; 川上ほか, 2006)や最近明らかにされた日高帯の40 Ma頃の変成岩類(Takahashi, 2021, accepted)と合わせて議論されるべきかも知れない。