17:15 〜 18:30
[SGL23-P03] 領家帯,伊那市高遠町板山の板山ナップ,長谷ユニットおよびガブロ
キーワード:領家帯、高遠町板山、中央構造線、鹿塩マイロナイト、長谷ユニット
高遠町板山の中央構造線(MTL)近傍には,板山ナップや石英質変成岩やガブロが分布している.このポスターではこれらの地質体を紹介する.
<板山ナップ> 小規模な積層ナップが高遠町板山地域から報告されている[1].ここではこれを板山ナップと呼称する.板山ナップは領家帯や三波川帯起源の岩石から構成されている.領家帯起源の岩石には,低変成度の変成岩や堆積岩も存在する.板山ナップはMTL-E とMTL-Wの2つの断層に挟まれている(Figure A).しかしながら,板山ナップ北端部の地質には問題がある.北端部の宮殿沢では,MTLの露頭が砂防ダムの近傍に存在する[2].すなわち,Figure Aの青色の断層がMTLである.積層ナップや2つのMTLは,北端部には存在しない.板山ナップは,鹿塩マイロナイト帯に入り込んだ南北に伸長した狭長な地質体(Figures B & C)である.
<石英質変成岩> 幅狭く長大な石英質変成岩がMTLの近傍に分布している[3].その西方には非持トーナル岩の捕獲岩として石英質や泥質の変成岩が点在している(Figure C).鍛冶村集落東方の沢では,石英質変成岩が120mほどほぼ連続的に露出している.これらの変成岩の原岩は,付加複合体の長谷ユニットである[4].石英質マイロナイトの石英に富む部分について,石英の粒径は,Figure Cの赤の点線付近では100 µmほどである(Figures D & E).赤の点線は,花崗岩質マイロナイトの出現開始地点である[3].なお,Figure Cの砂質ホルンフェルスは,長谷ユニット起源の変成岩ではない.
<ガブロと非持トーナル岩> 小規模な角閃石ガブロが月蔵山へ向かう林道の2か所に露出している(Figure F).ガブロは縞状トーナル岩に貫入していて(Figure G),非持トーナル岩の定置以降に冷却し固結した火成岩である.板山地域の非持トーナル岩は,比較的一様な岩相を呈する片麻状トーナル岩であるが,ガブロの周辺では,著しく多様な岩相をもつトーナル岩が層状構造をなしている(Figures H & I).板山地域では,非持トーナル岩と勝間石英閃緑岩の地質学的関係は不明であるが,両者の境界は直線的であり,高角断層で接していることが想定される.この点に関連して,板山北方の塩供では,かつて民家の建設用地にこれらの花崗岩がほぼ鉛直に接している露頭がみられた.
<地質学的意義> 領家帯東端部の塩尻―高遠地域では,ジュラ紀付加複合体のユニット境界はおよそN45ºE方向である.しかし,高遠-長谷地域の長谷ユニット起源の変成岩は,南北方向に分布している.この特異な分布状況は,日本海拡大期に構造運動を受けた結果であると推定される.
板山ナップは,鹿塩マイロナイト帯に入り込んだ異質の地質体である.異質の地質体の存在は,大鹿村の鹿塩地域から最初に報告された.そこでは,三波川変成岩と思われる片岩が鹿塩構造帯に断層で挟みこまれている[5].その次に,マイクロブレッチアが伊那市の分杭峠付近に存在することが報告された[6].引き続いて,三波川変成岩でもなく,鹿塩マイロナイトでもなく,マイクロブレッチアでもない粟沢変成岩が報告された[7,8].マイクロブレッチアは粟沢変成岩が破砕されたものである.粟沢変成岩の主要な岩石はザクロ石-黒雲母-白雲母片岩であるが,この泥質片岩は,ザクロ石と黒雲母を含む三波川結晶片岩と比較して,細粒で片理の発達は悪い.しかも白雲母の(FeO+MgO) content は高くはなく,フェンジャイトではない.
<文献>[1]原ほか,2004,構造地質,第48号,1-10.[2] 小野,2013,日本地質学会第120年学術大会, R5-P-13.[3] 牧本ほか,1996,高遠地域の地質,5万分の1地質図福,地質調査所. [4] 小野,2018,日本地質学会第125年学術大会, R15-P-13.[5]渡辺・衣笠,1970,日本地質学会第77 年学術大会,221,p.286.[6]高木,1984,地質雑,No.2,81-100.[7]小野,1988,構造地質,第33号,33-38.[8]小野,2002,地質雑,108, 11, 733-745.
<板山ナップ> 小規模な積層ナップが高遠町板山地域から報告されている[1].ここではこれを板山ナップと呼称する.板山ナップは領家帯や三波川帯起源の岩石から構成されている.領家帯起源の岩石には,低変成度の変成岩や堆積岩も存在する.板山ナップはMTL-E とMTL-Wの2つの断層に挟まれている(Figure A).しかしながら,板山ナップ北端部の地質には問題がある.北端部の宮殿沢では,MTLの露頭が砂防ダムの近傍に存在する[2].すなわち,Figure Aの青色の断層がMTLである.積層ナップや2つのMTLは,北端部には存在しない.板山ナップは,鹿塩マイロナイト帯に入り込んだ南北に伸長した狭長な地質体(Figures B & C)である.
<石英質変成岩> 幅狭く長大な石英質変成岩がMTLの近傍に分布している[3].その西方には非持トーナル岩の捕獲岩として石英質や泥質の変成岩が点在している(Figure C).鍛冶村集落東方の沢では,石英質変成岩が120mほどほぼ連続的に露出している.これらの変成岩の原岩は,付加複合体の長谷ユニットである[4].石英質マイロナイトの石英に富む部分について,石英の粒径は,Figure Cの赤の点線付近では100 µmほどである(Figures D & E).赤の点線は,花崗岩質マイロナイトの出現開始地点である[3].なお,Figure Cの砂質ホルンフェルスは,長谷ユニット起源の変成岩ではない.
<ガブロと非持トーナル岩> 小規模な角閃石ガブロが月蔵山へ向かう林道の2か所に露出している(Figure F).ガブロは縞状トーナル岩に貫入していて(Figure G),非持トーナル岩の定置以降に冷却し固結した火成岩である.板山地域の非持トーナル岩は,比較的一様な岩相を呈する片麻状トーナル岩であるが,ガブロの周辺では,著しく多様な岩相をもつトーナル岩が層状構造をなしている(Figures H & I).板山地域では,非持トーナル岩と勝間石英閃緑岩の地質学的関係は不明であるが,両者の境界は直線的であり,高角断層で接していることが想定される.この点に関連して,板山北方の塩供では,かつて民家の建設用地にこれらの花崗岩がほぼ鉛直に接している露頭がみられた.
<地質学的意義> 領家帯東端部の塩尻―高遠地域では,ジュラ紀付加複合体のユニット境界はおよそN45ºE方向である.しかし,高遠-長谷地域の長谷ユニット起源の変成岩は,南北方向に分布している.この特異な分布状況は,日本海拡大期に構造運動を受けた結果であると推定される.
板山ナップは,鹿塩マイロナイト帯に入り込んだ異質の地質体である.異質の地質体の存在は,大鹿村の鹿塩地域から最初に報告された.そこでは,三波川変成岩と思われる片岩が鹿塩構造帯に断層で挟みこまれている[5].その次に,マイクロブレッチアが伊那市の分杭峠付近に存在することが報告された[6].引き続いて,三波川変成岩でもなく,鹿塩マイロナイトでもなく,マイクロブレッチアでもない粟沢変成岩が報告された[7,8].マイクロブレッチアは粟沢変成岩が破砕されたものである.粟沢変成岩の主要な岩石はザクロ石-黒雲母-白雲母片岩であるが,この泥質片岩は,ザクロ石と黒雲母を含む三波川結晶片岩と比較して,細粒で片理の発達は悪い.しかも白雲母の(FeO+MgO) content は高くはなく,フェンジャイトではない.
<文献>[1]原ほか,2004,構造地質,第48号,1-10.[2] 小野,2013,日本地質学会第120年学術大会, R5-P-13.[3] 牧本ほか,1996,高遠地域の地質,5万分の1地質図福,地質調査所. [4] 小野,2018,日本地質学会第125年学術大会, R15-P-13.[5]渡辺・衣笠,1970,日本地質学会第77 年学術大会,221,p.286.[6]高木,1984,地質雑,No.2,81-100.[7]小野,1988,構造地質,第33号,33-38.[8]小野,2002,地質雑,108, 11, 733-745.