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[MIS17-P03] 1729年能登半島の地震の際の被害と有感地震数
キーワード:能登半島地震、歴史地震
令和6年能登半島地震の震源域をふくむ能登半島周辺では歴史時代にもたびたび地震が発生している.1729年8月1日(享保十四年七月七日)に発生したM6.6〜7.0と推定される地震については,家屋の倒壊,土砂くずれなどの被害のようすや,その後の地震活動も記録されている.『真念寺鬼籍帳』(能登町柳田)や『重蔵宮奉加帳』(輪島市)によれば,正午ごろから地震があり,夕方の3度目が特に大きかったようである.ほかの史料でも8月1日の複数回の地震のうち,2度大きな地震があったと記録しているものがある.『日本歴史地震総表2020:416-1872』も参照し,(a) 能登町柳田(『真念寺鬼籍帳』「柳田村史」),(b) 穴水町中居(『加賀藩記事類編』・『菅家見聞集』),(c) 輪島市(『重蔵宮奉加帳』),(d) 輪島市(『加賀藩記事類編』・『菅家見聞集』)のそれぞれから,地震発生数(有感記録数)を読みとった. 6〜7回などと記されている場合は多いほうをとった.「一日中」「折々」などと定性的に書かれているものや,ある期間の回数のみが書かれている場合は,1日あたりの回数に換算することとした.輪島市(『重蔵宮奉加帳』)では毎日4〜7回,輪島市(『加賀藩記事類編』)では1日から12日まで大小100回余りと書かれている.先行研究でも指摘されているように,地震後2週間は(有感)余震が継続していたことがわかる.なお,『重蔵宮奉加帳』によれば,1729年8月15日以降は輪島では目立った地震はなかったようである.1896年4月2日(明治二十九年)にはM5.7の地震が発生している.中央気象台「調査原簿」によれば珠洲(飯田・大崎村)では1週間程度は地震が観測されている.1729年の地震でも能登半島北岸で隆起があったことが指摘されているが,それを裏づけるような歴史資料の記述は発見されていないが,既刊の地震史料集に掲載されていない地震の記述も見つかってきている.能登半島で繰り返し発生する大地震や,1729年の地震のようなより高い頻度で起きる一回り小さな地震の様相について,歴史資料から明らかにしていくことが重要である.謝辞:地名からの緯度経度の取得にはROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター「歴史的地名/現代地名による境界データ検索」を利用した.