13:45 〜 14:00
[MZZ41-01] 専門主義の使者たち―明治初期の地学分野におけるアメリカ系お雇い外国人の価値観―
キーワード:専門主義、ジャクソニアン・デモクラシー、ホレス・ケプロン、ベンジャミン・スミス・ライマン
現在の学問を考えるうえで専門が絶対的な前提とされていることについて、疑いをさしはさむ余地はほぼなく、われわれは専門主義の社会のもとに生きていると言っても言い過ぎではないであろう。だが専門主義は長く見積もってもこの200年程度で確立した社会制度で、現代社会ではそれがよりいっそう進展し、さらなる細分化が進んでいると言える。
発表者の専門はアメリカ研究であるが、アメリカこそ、専門主義を世界規模で広めるうえで非常に重要な役割を果たしてきたのではないか。専門主義とその拡大は、アメリカの文化的覇権戦略の一環として機能し、あたかもイデオロギーのような役割を果たしてきたとも考えられるのではないだろうか。
発表者はまず、19世紀半ばごろのアメリカにおける最初期の専門主義を検討する。専門主義とは、それまでもっぱらカレッジが担ってきた知の形態とは明らかに質の異なるものであった。ただしその変化の兆候は、アメリカの建国以前に遡ることができる。そしてジャクソニアン・デモクラシー、すなわち建国の父たちとその子孫に為政者を限定した共和政体から、より広範な人々の政治参加が可能な民主政体へと変革したことが、専門主義をよりいっそう推進させる契機となった。つまり民主化こそ、専門主義を加速させるひとつの背景要因であったとさえ、考えることができる。そしてこれ以降アメリカで急速に台頭したのが中産階級と呼ばれる人々で、とりわけこの上位層、あるいはブルジョワと呼ばれる人々こそ、高等教育、すなわち専門教育の学歴を足がかりにして、社会で影響力を高めるにいたったのである。
アメリカにおける専門化の推進は、明治維新を経て近代国家として歩み始めたばかりの日本とも、密接に関係のある出来事であった。明治政府は分野ごとに範とする国を変えたが、とりわけ北海道の開拓でアメリカと深くかかわることになる(アメリカもこのころ西部開拓の途上であったことが思い出される)。このときアメリカから北海道へやってきたいわゆる「お雇い外国人」たちは、農学や地質学、あるいは気象などの地学分野で、日本人の教育に寄与した。本発表では、アメリカからやってきたお雇い外国人ホレス・ケプロンやベンジャミン・スミス・ライマンたちが、明治初期の日本人に伝えたものや、彼らが日本人に見出したものを考えたい。
明治初期の日本人はアメリカ人からよく学び、その教育をよく理解しただけでなく、そのことに対して率直に謝意を示し、また恩義を感じてきた。アメリカのお雇い外国人たちが日本人青年たちに行った教育の成果は、近代国家としての日本の独立に寄与しただけでなく、戦後から現代へといたる日本人のアメリカ観にまで、深い影響をおよぼしているのではないかと発表者は考えている。だがこのことは、専門主義を民主主義の成果として推進した西洋とは異なり、日本ではそれを所与のものとして受容してしまったことも、また示唆する。この部分への認識を、私たち日本人はいまこそ深める必要性があるのではないだろうか。
発表者の専門はアメリカ研究であるが、アメリカこそ、専門主義を世界規模で広めるうえで非常に重要な役割を果たしてきたのではないか。専門主義とその拡大は、アメリカの文化的覇権戦略の一環として機能し、あたかもイデオロギーのような役割を果たしてきたとも考えられるのではないだろうか。
発表者はまず、19世紀半ばごろのアメリカにおける最初期の専門主義を検討する。専門主義とは、それまでもっぱらカレッジが担ってきた知の形態とは明らかに質の異なるものであった。ただしその変化の兆候は、アメリカの建国以前に遡ることができる。そしてジャクソニアン・デモクラシー、すなわち建国の父たちとその子孫に為政者を限定した共和政体から、より広範な人々の政治参加が可能な民主政体へと変革したことが、専門主義をよりいっそう推進させる契機となった。つまり民主化こそ、専門主義を加速させるひとつの背景要因であったとさえ、考えることができる。そしてこれ以降アメリカで急速に台頭したのが中産階級と呼ばれる人々で、とりわけこの上位層、あるいはブルジョワと呼ばれる人々こそ、高等教育、すなわち専門教育の学歴を足がかりにして、社会で影響力を高めるにいたったのである。
アメリカにおける専門化の推進は、明治維新を経て近代国家として歩み始めたばかりの日本とも、密接に関係のある出来事であった。明治政府は分野ごとに範とする国を変えたが、とりわけ北海道の開拓でアメリカと深くかかわることになる(アメリカもこのころ西部開拓の途上であったことが思い出される)。このときアメリカから北海道へやってきたいわゆる「お雇い外国人」たちは、農学や地質学、あるいは気象などの地学分野で、日本人の教育に寄与した。本発表では、アメリカからやってきたお雇い外国人ホレス・ケプロンやベンジャミン・スミス・ライマンたちが、明治初期の日本人に伝えたものや、彼らが日本人に見出したものを考えたい。
明治初期の日本人はアメリカ人からよく学び、その教育をよく理解しただけでなく、そのことに対して率直に謝意を示し、また恩義を感じてきた。アメリカのお雇い外国人たちが日本人青年たちに行った教育の成果は、近代国家としての日本の独立に寄与しただけでなく、戦後から現代へといたる日本人のアメリカ観にまで、深い影響をおよぼしているのではないかと発表者は考えている。だがこのことは、専門主義を民主主義の成果として推進した西洋とは異なり、日本ではそれを所与のものとして受容してしまったことも、また示唆する。この部分への認識を、私たち日本人はいまこそ深める必要性があるのではないだろうか。