日本地球惑星科学連合2024年大会

講演情報

[J] ポスター発表

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[M-ZZ41] 地球科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2024年5月26日(日) 17:15 〜 18:45 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 6ホール)

コンビーナ:矢島 道子(東京都立大学)、青木 滋之(中央大学文学部)、山田 俊弘(大正大学)、山本 哲

17:15 〜 18:45

[MZZ41-P04] 新島襄の「地質構造図」

*林田 明1 (1.同志社大学理工学部環境システム学科)

キーワード:新島襄、ジョン・モリス、トマス・ウェブスター、地質構造図

同志社の創立者,新島襄(1843–1890)は22歳から約10年間,主にニューイングランドでキリスト教神学や自然科学を学んだ。彼が地質学の巡検に参加するとともに自ら岩石鉱物の採集や鉱山の見学などを行ったこと,1874年11月に帰国してからも地質学や鉱物学に興味を持ち続けたことが,同志社に残されている地質標本や自然科学の蔵書から窺える。新島は本格的な著作を残さなかったが,膨大な量の日記や手紙,演説や説教の草稿などが『新島襄全集』全10巻(同朋舎,1983–96年)に収められ,主要なものを岩波文庫の3冊(『新島襄自伝』『新島襄 教育宗教論集』『新島襄の手紙』)で読むことができる。島尾永康(科学史研究Ⅱ, 25, 83–88, 1986; キリスト教社会問題研究, 37, 67–84, 1989)などの研究によれば,新島は1875年創立の同志社英学校に地質学を含む自然科学の科目を設け,さらに同志社ハリス理化学校において鉱物学や地質学の専門教育を行おうとした。新島の努力は,ベンジャミン・ライマン(1873年来日)やエドムント・ナウマン(1875年来日)とは異なる道筋による日本への地質学移入の試みと位置付けることができる。
 この発表では,同志社に所蔵されている新島の遺品の一つ,「地質構造図」と題された図版(26.3 cm×165 cm,製作年不詳)を紹介する。この図には,大規模な山脈を造る花崗岩とその上位に重なる古生代と中生代の地層,それらに貫入した玄武岩や噴火中の火山,第三紀以降の堆積物などが描かれている。断面図の地質時代名や地層の説明はブロック体の文字で記されているが,凡例の一部は新島の筆跡と思われる筆記体で書かれている。また,岩脈と一部の地層は彩色されているが,断面図の大部分は白く残されている。そして噴火中の火山には“ETNA”という名前が記されている。
 19世紀において,地殻の大規模構造を表現した概念図の代表例として,1836年に出版されたバックランドの自然神学書『地質学と鉱物学,自然神学的考証』に添えられた図版がある。この図版には120種類の動植物化石と地質系統との対応が示されており,地球の歴史に関する当時の知識を総括した力作として,チャールズ・ダーウィン(1809–1882)など多くの人々に影響を与えたとされている。バックランドの図は地質学者トマス・ウェブスター(1773–1844)が描いたヨーロッパ大陸の模式的断面図を基にしており,ここに示された地形と地殻の構成は新島の図とよく似ている。しかし,地層名の表現に異なるものがあり,活火山に“ETNA”という記述がないことから,新島がバックランドの図版そのものを書き写したとは思えない。他に,ウェブスターの図を基にした地殻断面図として,ジョン・モリス(1810–1886)の図版と解説書が1858年にロンドンで出版されており,その説明の一部にはイギリス固有の地層名が用いられている。この点を含め,新島の図の地層名や凡例はモリスのものと正確に一致しており,文字の書体や火山の噴煙の様子も同様に描かれている。二つの図を比べると,まるで薄紙を重ねてなぞり書きをしたかのように見える。
 新島の「地質構造図」がモリスの図の模写であることは確かである。しかし,それがいつどこで描かれたのか,その経緯は不明である。ただし,1872年4月から翌年9月にかけて,岩倉使節団の一員であった田中不二麿に随行しヨーロッパに滞在した新島とモリスとの間に接点があった可能性を指摘しておきたい。モリスは1855年から77年までロンドンのユニヴァーシティ・カレッジで地質学の教授を務めており,1866年には日本人留学生の野村弥吉(1843–1910)に地質学の優等生修学証書を授与した経験を持つ。新島の日記には,1872年6月19日にユニヴァーシティ・カレッジを訪問し,ケンブリッジで数学と物理学を学んでいた菊池大麓(1855–1917)に会ったことが記されている。このような機会に新島がモリスの図版を目にしたり,当時の地質学の展開について知見を広げたりすることがあったのではないだろうか。ヨーロッパにおける新島と科学技術との関わりについて,今後の調査研究に期待したい。