日本地球惑星科学連合2024年大会

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[O-08] 高校生ポスター発表

2024年5月26日(日) 13:45 〜 15:15 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 6ホール)

コンビーナ:原 辰彦(建築研究所国際地震工学センター)、道林 克禎(名古屋大学 大学院環境学研究科 地球惑星科学系 岩石鉱物学研究室)、久利 美和(文部科学省)、紺屋 恵子(海洋研究開発機構)

13:45 〜 15:15

[O08-P12] 「伊居太神社日記」の天気記録で江戸時代の天候を復元してわかったこと-2つの古文書をつなぐ試み-

*富川 慎也1、*及川 紗彩1、*及川 紗柚1 (1.学校法人池田学園池田高等学校)

キーワード:稲束家日記、伊居太神社日記、詳細率、重回帰分析、ピアニの方法

1. 研究の動機
現代の異常気象は地球温暖化が原因だと言われている。そこで、実測値のない江戸時代の天候を探ることができそうなデータとして、古文書の日々の天気記述に着目し、図1のように過去9年で10の古文書の天気記述を分析してきた。本年度は同じ大阪池田市で書かれた2つの日記をつないで降水出現率等の復元をした。使った「伊居太神社日記」は欠測の少ない、1715-1768年と1819-1850年の期間を中心に考察した。
2. 研究の目的
昨年「稲束家日記」から得られた「大阪気象台の降水出現率(以下、実測値)」を正として、「伊居太神社日記」を使って1715-1757年の期間の実測値を「ピアニの方法」で算出する。
3. 研究の方法
本研究における「天気の出現率」の分類は現在の気象庁に近づけて、雪→雨→曇→晴と判別した。また、「晴」と「曇」が併記されている日は、1日のうち、8.5割以上曇っていれば「曇」、8.5割(20.4時間)未満であれば「晴」と、空間分布を時間分布に換算して判断した。
4. 詳細率とデータ処理
「詳細率」とは名古屋工業大学の庄の独自の関数で、①「晴」や「雨」と1語の記録されているのではなく、複数種類の天気が併記されていたり、②時間変化に関する記述や、③「大雨」などの降水規模の記述がある日数の年比率を表し、「(①日数+②日数+③日数)/年間の全記録日数」で求められる。詳細率が高くなると、天気の見落としが減り、日記の降水出現率が高くなるとされる。取得したデータは74年間で、29,419日であった。「詳細率」以外の「天気の出現率」の集計では、「1年の1/3の欠測のある年」と2月29日も集計から削除した。
5. 昨年の研究「稲束家日記」の天候復元
昨年度、「稲束家日記」(大阪池田市)の「日記の降水出現率」x₁と「詳細率」x₂を説明変数、「実測値」yを目的変数として重回帰分析を用いて復元した。図2のように、復元を行った1758年から1912年の期間で、実測値の傾向が右肩上がりになっており、1758年から明治時代末期にかけて徐々に大気中の水蒸気量が上昇していた可能性がある。
6. 本年度の研究と考察
⑴データ①と考察:伊居太神社日記の記録の精度
今年度分析をした「伊居太神社日記」(大阪池田市)の詳細率の平均は37.0%で先行研究より高く天気の記録精度も高い。「稲束家日記」「大場美佐の日記」「中村平左衛門日記」や、先行研究(庄ほか、2017)の比較結果を図3に示す。
⑵データ②と考察:7月の日照時間と「日記の晴の出現率」との関係
先行研究(三上ほか、1996)で、東京の7月の日照時間(1日の平均値(h))と7月の「日記の晴の出現率」に相関があることを知り、「稲束家日記」でも相関を確かめたところ、図4のように相関係数0.82になった。「伊居太神社日記」の7月の晴の出現率と重複期間の日照時間の復元値を調べると相関係数は0.64であった。そこで、日照時間を単回帰分析で復元すると、図4のように、享保の飢饉は5.3hで宝暦の飢饉の期間は6.1hと他年と比べて下がっていることがわかった。
⑶ データ③と考察:日記の「曇の出現率」
昨年「稲束家日記」の「曇の出現率」を調べると、図5のように、ダルトン極小期に上がっていた。さらに、「妙法院日次記」(京都・1672-1876)でもマウンダー極小期とダルトン極小期に曇の出現率があがっていた。「伊居太神社日記」の曇の出現率を調べると、ダルトン極小期に上がっていた。理由は火山の影響または、スベンスマルク現象が考えられる。
⑷ データ④ と考察:降雪日数比と冬期の気温指標
先行研究を参考に、欠測の少なく記録が連続している2つの期間(1715-1768、1819-1839)の降雪日数比を求めた。降雪日数比は「冬期の気温の指標」とされ、11月-3月の「雪日数」を「降水日数」で除して求める。図6のように、1715年から1768年の期間では、宝暦の飢饉の1753-1754年の冬期は一番気温が低かった可能性があり、1819-1839年の期間においては、天保の飢饉の期間の1833-1834年の冬期が寒冷だった可能性がある。
⑸ データ⑦と考察:「ピアニの方法」による気象台の「実測値」の復元
「伊居太神社日記」を「ピアニの方法」で復元したいと考えた。そこで、復元方法を揃えて「稲束家日記」の実測値もピアニの方法で復元し直し、「伊居太神社日記」と重複する期間の実測値を正として、1715年から1757年の期間を復元した。
「伊居太神社日記」の1715-1757年の実測値を図7に示す。実測値は、1715年から1765年にかけてごくわずかに右肩上がりになっていた。期間の最高値は1743年の40.7%で、最低値は1726年の37.2%であった。
7.今後の展望
「稲束家日記(1758-1912)」や「伊居太神社日記(1715-1850)」が書かれた大阪・池田市の近くで、2つの古文書よりも前に書かれた古文書を探して、今年度の復元値をつないでさらに遡り、江戸時代初期100年の天候の復元を試みる。
8. 謝辞
「詳細率」と「梅雨を含む時期の湿度を表す指数」は名古屋工業大学の庄建治朗先生に、「ピアニの方法」は、広島大学数理統計学グループ・小田凌也先生、打越さおり先生、関西大学社会安全学部・福井敬祐先生に指導をいただいた。