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[O08-P76] 世界各地の古記録からSN1006を再考する
キーワード:超新星爆発、SN1006、古記録
望遠鏡を用いずに肉眼で確認できた超新星爆発は過去に8回あり(作花,2004),そのうちの4回目にあった超新星(SN1006)は史上最高輝星であった(作花,2013)と考えられる.SN1006はオオカミ座β星(β Lup)付近(Gardner and Milne,1965)に現れた超新星であるため,南天で起こった現象である.しかし,SN1006についての古記録は北半球の国々にのみ残されており,その数は30に及ぶ(Stephenson,2010).そして,それらを比較するとSN1006の色や出現期間に一致が見られず,議論の余地が残されている.そこで,本研究では改めてSN1006について記述されている古記録を再集計し,それらから得られる科学的情報を用いて色,見え方,発生日時,出現期間について再考することを目的としている.
SN1006についての記述を再集計したところ,8つの国や地域に残された24の史料に記述があり,古記録数は40であった.SN1006の観測された色については,日本の『明月記』に赤と解釈できる内容,『一代要記』に青白,中国の『宋会要輯稿』などに黄,アラブ地域では『治癒の書』に濃い緑と記述されている.これらの記述から観測された色に一致が見られていないのは明らかである.この理由については,観測地の全て北半球の国々であり,南天の現象であることが影響していると考えられる.つまり,観測されたSN1006の高度は高くなることはなく,常に地平線付近にあったはずである.太陽は当然のこと,シリウスやカノープスといった一等星も地平線付近にある時に観察すると,高度の違いで色が変わって見える(図1).これはレイリー散乱の影響であり,SN1006も地平線付近では赤みのあるオレンジに,そしてオレンジがかった黄色を経て南中付近では青白く観測できたと解釈することができる.
『宋史』には「状如半月有芒角」という記述がある.「状」は形を表す漢字であり,無限遠の点光源が半月状になることはないので「光芒が半月状に見えた」と訳した.そこで実際に光芒が半月状になるとはどういうことなのかを実験することとした.SN1006は無限遠にある小さな点光源であることから,容易に光源部を加工しやすい小さな点光源としてLEDランプを用いた.何も手を加えないLED(図2a),半分を黒の油性ペンで塗ったLED(図2b),半分を黒のビニールテープで覆ったLED(図2c)を用意し,2.8 m離れた正面から写真撮影(露光時間2秒,絞り値f/22,ISO200)を行なったところ,点光源を減光したb・cは光芒の一部分がわずかに欠けているように思われるが点光源と認識できる(図2).また全ての光源で光芒の出方は同じであった.このことから光源の状態は光芒の出方に影響しないことがわかった.つまり「状半月」というのは,光芒が偏って観測出来ていたとしても超新星の光り方に偏りがあったのではなく,観測者側に原因があると考えられる.そこで,カメラのレンズを観測者の目と捉え,カメラレンズに手を加えると光芒の出方に変化があるのか検証した.半分にフレネルレンズを取り付けたカメラ用フィルターを使い,何も手を加えないLED(図3a)と半分を黒のビニールテープで覆ったLED(図3b)を正面から写真撮影(露光時間3秒,絞り値f/22,ISO200)したところ,光源に手を加えていない方は光が半月状(図3a)に,半分を黒のビニールテープで覆った方は光芒と光の両方が片側に偏っていること(図3b)が確認できた.このことから『宋史』の記述は記録者の目に影響された可能性が高い.
出現期間に関しては世界中の古記録に残されており,中国には3ヶ月間観測できて,翌年以降に再び見えた,アラブ地域にはイスラム暦で8月に見え始め11月まで観測できた,スイスには3ヶ月間観測出来たというような記述がある.日本には出現期間に関する明確な記述は残されていないが,古記録にある日付と日の出,日の入り,β Lupの出,β Lupの入りの時刻を整理したところ,『一代要記』の5月4日の条文がSN1006の見え始めたときの記録,『明月記』の5月7日の条文がSN1006が陰陽寮で行われていた定時観測で初めて観測できたときの記録であり,少なくとも太陽とSN1006が同時刻に沈む9月8日までの127日間観測できていたと考えられる.なお8月中は太陽が沈んだ後の薄明の時間に観測されていたと考えられる.SN1006は発生からの日時と減光の関係が明らかになっていることから(Richardson et al., 2013),減光推移を求めたところSN1006は少なくとも−4等級ほどで見えていたと考えられる.このことは約−1.5等級のシリウスが日没後約10分で観測できることから問題はない.またSN1006が地平線に沈み観測出来なくなってから再び観測できるようになるのは1006年11月10日以降なのだが,日本の史料に再びSN1006に関する記述がなされることはないことから,減光して観測ができなくなったと考えられる.
[引用文献]
Gardner & Milne (1965)The Astronomical Journal,70,754;Richardson et al.,(2002)The Astrophysical Journal,572,888−896;作花(2004)天文教育,16(6),2;作花(2013)恒星社厚生閣,182p;Stephnson(2010)Astronomy & Geophysics,51,5.27−5.32.
SN1006についての記述を再集計したところ,8つの国や地域に残された24の史料に記述があり,古記録数は40であった.SN1006の観測された色については,日本の『明月記』に赤と解釈できる内容,『一代要記』に青白,中国の『宋会要輯稿』などに黄,アラブ地域では『治癒の書』に濃い緑と記述されている.これらの記述から観測された色に一致が見られていないのは明らかである.この理由については,観測地の全て北半球の国々であり,南天の現象であることが影響していると考えられる.つまり,観測されたSN1006の高度は高くなることはなく,常に地平線付近にあったはずである.太陽は当然のこと,シリウスやカノープスといった一等星も地平線付近にある時に観察すると,高度の違いで色が変わって見える(図1).これはレイリー散乱の影響であり,SN1006も地平線付近では赤みのあるオレンジに,そしてオレンジがかった黄色を経て南中付近では青白く観測できたと解釈することができる.
『宋史』には「状如半月有芒角」という記述がある.「状」は形を表す漢字であり,無限遠の点光源が半月状になることはないので「光芒が半月状に見えた」と訳した.そこで実際に光芒が半月状になるとはどういうことなのかを実験することとした.SN1006は無限遠にある小さな点光源であることから,容易に光源部を加工しやすい小さな点光源としてLEDランプを用いた.何も手を加えないLED(図2a),半分を黒の油性ペンで塗ったLED(図2b),半分を黒のビニールテープで覆ったLED(図2c)を用意し,2.8 m離れた正面から写真撮影(露光時間2秒,絞り値f/22,ISO200)を行なったところ,点光源を減光したb・cは光芒の一部分がわずかに欠けているように思われるが点光源と認識できる(図2).また全ての光源で光芒の出方は同じであった.このことから光源の状態は光芒の出方に影響しないことがわかった.つまり「状半月」というのは,光芒が偏って観測出来ていたとしても超新星の光り方に偏りがあったのではなく,観測者側に原因があると考えられる.そこで,カメラのレンズを観測者の目と捉え,カメラレンズに手を加えると光芒の出方に変化があるのか検証した.半分にフレネルレンズを取り付けたカメラ用フィルターを使い,何も手を加えないLED(図3a)と半分を黒のビニールテープで覆ったLED(図3b)を正面から写真撮影(露光時間3秒,絞り値f/22,ISO200)したところ,光源に手を加えていない方は光が半月状(図3a)に,半分を黒のビニールテープで覆った方は光芒と光の両方が片側に偏っていること(図3b)が確認できた.このことから『宋史』の記述は記録者の目に影響された可能性が高い.
出現期間に関しては世界中の古記録に残されており,中国には3ヶ月間観測できて,翌年以降に再び見えた,アラブ地域にはイスラム暦で8月に見え始め11月まで観測できた,スイスには3ヶ月間観測出来たというような記述がある.日本には出現期間に関する明確な記述は残されていないが,古記録にある日付と日の出,日の入り,β Lupの出,β Lupの入りの時刻を整理したところ,『一代要記』の5月4日の条文がSN1006の見え始めたときの記録,『明月記』の5月7日の条文がSN1006が陰陽寮で行われていた定時観測で初めて観測できたときの記録であり,少なくとも太陽とSN1006が同時刻に沈む9月8日までの127日間観測できていたと考えられる.なお8月中は太陽が沈んだ後の薄明の時間に観測されていたと考えられる.SN1006は発生からの日時と減光の関係が明らかになっていることから(Richardson et al., 2013),減光推移を求めたところSN1006は少なくとも−4等級ほどで見えていたと考えられる.このことは約−1.5等級のシリウスが日没後約10分で観測できることから問題はない.またSN1006が地平線に沈み観測出来なくなってから再び観測できるようになるのは1006年11月10日以降なのだが,日本の史料に再びSN1006に関する記述がなされることはないことから,減光して観測ができなくなったと考えられる.
[引用文献]
Gardner & Milne (1965)The Astronomical Journal,70,754;Richardson et al.,(2002)The Astrophysical Journal,572,888−896;作花(2004)天文教育,16(6),2;作花(2013)恒星社厚生閣,182p;Stephnson(2010)Astronomy & Geophysics,51,5.27−5.32.