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[O08-P77] 千葉県館山市における津波到達位置と神社分布の関係性
キーワード:津波、神社、館山市
2011年の東北地方太平洋沖地震の津波によって東北地方の太平洋沿岸部は大きな被害を受けた.しかし,多くの神社が被害を免れていたことから,神社と津波の関係を検証する研究が以降,盛んに行われている.例えば,高田ほか(2012)は東日本大震災の津波の被害状況と神社の関係を研究し,岩手県北上川下流域周辺の神社が津波の到達位置に沿って建てられており,多くの神社が津波の被害を免れていることを明らかにしている.近年では発生が警戒されている南海トラフ地震と神社の関連性に注目度が高まっている.例えば,宇野ほか(2015)は,南海トラフ巨大地震の想定津波浸水域内である紀伊半島沿岸と神社の関係について研究し,南海トラフの最悪のシナリオ想定で神社そのものが被災する可能性があるのは全体の2割程度に過ぎず,事代主神を主祭神とする神社は3割強が境内浸水する一方,天照大神が紀伊半島周辺では津波被災リスクが少ないことを明らかにしている.このように東北地方や大きな津波が予想される南海トラフ地震の津波想定域である四国や和歌山県などでは同様の研究が行われているものの,津波による大きな被害は起きないだろう(内閣府HP)と考えられている関東地域では同様の研究はとても少ない.そこで本研究では,東北地方太平洋沖地震の津波の被害は受けていないが,過去に度重なる津波被害を受けた千葉県館山市に着目し,千葉県館山市の神社と津波到達位置の関係を明らかにするとともに神社が津波の避難場所ないし避難範囲の基準になるかを検証することを目的とする.
研究の実施にあたって,館山市沿岸部に建立している神社の分布を地形図やGoogle Mapを用いて明らかにし,千葉県宗教法人名簿(千葉県HP)を用いて神社の名前,建立時期,祭神を調べた.調べた内容は電子国土webシステムの地理院地図(国土地理院HP)を用いて内容ごとに区分した地図を作成した.調査地域である館山市の沿岸部は広域であるため,作成した地図は沿岸部を含む7つの旧市町村区ごとに分け,さらに地区毎の比較も行った.津波浸水域については,館山市で過去に起きた津波の到達位置と範囲を検討するため,ちば地震被害想定(千葉県HP)で公開されている1677年の延宝地震と1703年の元禄地震が現在発生した場合の津波範囲シュミレーションのデータを用いた.また,最も新しい津波被害は1923年の関東大震災に遡るが,詳細な浸水域の記録データがないため,地理院地図で公開されている津波に関する伝承碑の位置を地図にプロットして比較した.
その結果,元禄地震や延宝地震の津波到達位置と神社分布が一致した地区は2地区あり,一致しなかった地区は5地区あった.特に一致していた船形地区では元禄地震の津波到達位置と4つの神社が一致していることがわかった.4つの神社の建立時期は不明なものも多く特定の時期に津波と関連づけて神社が建てられた可能性を断言することはできないが,元禄地震以降に建てられた神社が津波と関連していると思われる.また祭神もそれぞれの神社の関係性は見られず津波と関連づけて祀ったとは考えづらかった.一致しなかった地区である神戸地区では,政府が行なった神社合祀政策によって津波浸水外から内に移設されていることがわかった.現在,元禄地震の津波浸水域内にある相浜神社は元々津波浸水域外にあった梶取神社であり,神社合祀によって1918年に浸水域内に移設されていた.このことから神戸地区では元禄地震以降に建てられた神社は津波と関係なく建てられている可能性が高く,建立時期を考えて神社を避難の指標とする必要があると考えられる.さらに,神戸地区では神社の代わりに寺院が元禄地震の津波到達位置付近に分布していることがわかった.津波浸水域付近にある寺院の1つに蓮寿院であり,この寺院を南海トラフ予想津波範囲と検証したところ本堂が津波到達予想の境界位置であった.このことから神戸地区では寺院は津波の避難場所となり得ると考えられる.なお寺院が津波浸水域付近に建立されているということを指摘した研究は筆者が調べた限りなかった.そこで,この特徴が館山市特有のものかを検証するために,東北地方太平洋沖地震の津波浸水域と寺院の関係性を検証した.その結果,東北地方気仙沼地域や新北上川下流域でも神戸地区と同様に寺院が津波到達位置付近に建てられていることがわかった.
これらのことから館山市では地区毎に津波浸水域と神社分布の関係に違いが見られ,地区毎の建立時期や寺院との関係をもとに神社を津波の避難の指標として用いることが大切であると考えられる.
[引用文献]
千葉県HP,宗教法人名簿,23-12-19閲覧;千葉県HP,津波浸水予図,23-04-14閲覧;国土地理院HP,地理院地図,23-06-15閲覧;内閣府HP,内閣府防災情報.23-03-30閲覧;館山市立博物館HP,館山市立博物館.23-04-30閲覧;高田ほか,2012,土木学会論文集,68,p.l_167-l_174;宇野ほか,2015,海洋開発論文集.vol.31,71,p.l_.677-l_682.
研究の実施にあたって,館山市沿岸部に建立している神社の分布を地形図やGoogle Mapを用いて明らかにし,千葉県宗教法人名簿(千葉県HP)を用いて神社の名前,建立時期,祭神を調べた.調べた内容は電子国土webシステムの地理院地図(国土地理院HP)を用いて内容ごとに区分した地図を作成した.調査地域である館山市の沿岸部は広域であるため,作成した地図は沿岸部を含む7つの旧市町村区ごとに分け,さらに地区毎の比較も行った.津波浸水域については,館山市で過去に起きた津波の到達位置と範囲を検討するため,ちば地震被害想定(千葉県HP)で公開されている1677年の延宝地震と1703年の元禄地震が現在発生した場合の津波範囲シュミレーションのデータを用いた.また,最も新しい津波被害は1923年の関東大震災に遡るが,詳細な浸水域の記録データがないため,地理院地図で公開されている津波に関する伝承碑の位置を地図にプロットして比較した.
その結果,元禄地震や延宝地震の津波到達位置と神社分布が一致した地区は2地区あり,一致しなかった地区は5地区あった.特に一致していた船形地区では元禄地震の津波到達位置と4つの神社が一致していることがわかった.4つの神社の建立時期は不明なものも多く特定の時期に津波と関連づけて神社が建てられた可能性を断言することはできないが,元禄地震以降に建てられた神社が津波と関連していると思われる.また祭神もそれぞれの神社の関係性は見られず津波と関連づけて祀ったとは考えづらかった.一致しなかった地区である神戸地区では,政府が行なった神社合祀政策によって津波浸水外から内に移設されていることがわかった.現在,元禄地震の津波浸水域内にある相浜神社は元々津波浸水域外にあった梶取神社であり,神社合祀によって1918年に浸水域内に移設されていた.このことから神戸地区では元禄地震以降に建てられた神社は津波と関係なく建てられている可能性が高く,建立時期を考えて神社を避難の指標とする必要があると考えられる.さらに,神戸地区では神社の代わりに寺院が元禄地震の津波到達位置付近に分布していることがわかった.津波浸水域付近にある寺院の1つに蓮寿院であり,この寺院を南海トラフ予想津波範囲と検証したところ本堂が津波到達予想の境界位置であった.このことから神戸地区では寺院は津波の避難場所となり得ると考えられる.なお寺院が津波浸水域付近に建立されているということを指摘した研究は筆者が調べた限りなかった.そこで,この特徴が館山市特有のものかを検証するために,東北地方太平洋沖地震の津波浸水域と寺院の関係性を検証した.その結果,東北地方気仙沼地域や新北上川下流域でも神戸地区と同様に寺院が津波到達位置付近に建てられていることがわかった.
これらのことから館山市では地区毎に津波浸水域と神社分布の関係に違いが見られ,地区毎の建立時期や寺院との関係をもとに神社を津波の避難の指標として用いることが大切であると考えられる.
[引用文献]
千葉県HP,宗教法人名簿,23-12-19閲覧;千葉県HP,津波浸水予図,23-04-14閲覧;国土地理院HP,地理院地図,23-06-15閲覧;内閣府HP,内閣府防災情報.23-03-30閲覧;館山市立博物館HP,館山市立博物館.23-04-30閲覧;高田ほか,2012,土木学会論文集,68,p.l_167-l_174;宇野ほか,2015,海洋開発論文集.vol.31,71,p.l_.677-l_682.