17:15 〜 18:45
[SSS11-P13] 歴史地震カタログに含まれる実在が疑わしい地震
キーワード:歴史地震、史料批判、歴史地震カタログ
理科年表の「日本付近のおもな被害地震年代表」(年代表)の歴史地震部分(1884年以前)については,2021年版・2024年版で大きく改訂された[原田・纐纈(2020),纐纈・原田(2022)].この改訂では,『日本被害地震総覧599-2012』[宇佐美・他(2013);総覧]の通し番号付きの歴史地震で(無番号地震は被害が軽微か,地震かどうか疑問なもの),年代表に未掲載のものについて追加が検討された.その結果,50地震が追加されたが,38地震は同時代史料に明確な被害記事が見られないことや,江戸時代中期以降の地震にも拘わらず被害記事が一点のみであることから,その存在が疑わしい,あるいは要検討という理由で追加が保留された.本発表では,歴史地震カタログに掲載された地震の実在性の検討に資する目的で,38地震の追加保留の理由を報告する.今後,原典の史料批判や同時代史料の確認を含むより詳細な検討を進め,その結果を順次発表する予定である.
追加保留の38地震は以下の通りである(数字は総覧の通し番号).038-1:1097年12月26日河内,040:1099年9月14日河内,060:1423年11月14日羽後,070-1:1511年11月22日茂原,075:1552年−月−日紀伊,078-1:1587年2月14日津軽,090:1618年9月30日京都,093-1:1627年3月8日江戸,093-2:1627年3月27日津軽,097-1:1636年12月3日越後中魚沼郡,100:1643年12月7日江戸,101:1644年4月15日日光,111:1657年1月3日長崎,125-2:1671年7月6日江戸,136:1684年12月22日日向,139:1685年12月29日伊予,142-1:1688年11月28日羽後金浦,143:1691年−月−日加賀大聖寺,148-3:1703年6月22日小城,154-1:1710年6月23日別子,161-1:1717年−月−日金沢・小松,162:1718年2月26日八戸,176-1:1734年−月−日美作・備中御津郡,182-2:1748年6月18日松江,205-2:1779年12月17日佐渡,208-1:1783年3月5日江戸,231-1:1823年1月14日石見,236-2:1831年3月28日陸中,260-1:1855年−月−日尾鷲,261:1855年8月6日杵築,261-1:1855年8月6日米子,264-1:1856年12月9日益田,266-1:1858年1月13日青森,272:1858年5月17日信濃諏訪,277-1:1860年−月−日甲斐,280-2:1868年−月−日伊豆,280-3:1868年−月−日宮古島,281-2:1872年1月27日磐城沖.
以下は追加保留の理由の例である.093-2番の1627年津軽の地震:様々な史料にこの地震による地割れが記述されているが,史料のほとんどが天明期から流布した『永禄日記』に基づく編纂物や写本である.『永禄日記』には「二月十□□地震強ク地われ候程、春立より水不足」とあるが,「地われ」の他に地震被害の記述はなく,詳細不明なので追加保留とした.100番の1643年江戸の地震と111番の1657年長崎の地震:両地震の被害記事はモンタヌス著『日本誌』のみにあるが,著者自身は一度も来日していない.同書は来日使節の報告書等に基づくもので,誇張や不正確な記述が多いとされている.101番の1644年日光の地震:総覧の地震発生日は三月九日(4月15日)であるが,『家乗略』には「正保元年三月九日、日光地震にて石垣など小破損仕候由被爲聞」とあり,同日は日光での地震被害の報告を聞いた日である.よって,発生日が不明なため追加保留とした.125-2番の1671年江戸の地震と208-1番の1783年江戸の地震:被害記事は『御入国以後大地震考』のみにある.同書は1855年安政江戸地震後に書かれた『時雨廼袖』の写しであり,歴史地震研究上での史料的価値は低い(石橋,1992).143番の1691年加賀大聖寺の地震:被害は『聖藩年譜草稿』の「元禄四年 大聖寺大地震、潰家有之」によるが,同書は地震から100年以上後に書かれた編纂物であり,宝永四年(1707年)の宝永地震の被害も「大聖寺大地震、御領分潰家多、破損夥し」と記述されている.よって,日付のない元禄四年の地震被害は宝永地震の被害と考えられる.231-1番の1823年石見の地震:被害記事は『石見匹見町史』の「(文政五年)十二月二日夜八ツ時(中略)、烈震に見舞われ、(中略)美濃村では、十戸の潰家を見」のみで,同時代史料には確認できない.安政五年石見の地震による美濃村の潰家は10軒であり,安政五年十二月二日の石見の地震の発生年を文政五年とした誤りと考えられる.
追加保留の38地震は以下の通りである(数字は総覧の通し番号).038-1:1097年12月26日河内,040:1099年9月14日河内,060:1423年11月14日羽後,070-1:1511年11月22日茂原,075:1552年−月−日紀伊,078-1:1587年2月14日津軽,090:1618年9月30日京都,093-1:1627年3月8日江戸,093-2:1627年3月27日津軽,097-1:1636年12月3日越後中魚沼郡,100:1643年12月7日江戸,101:1644年4月15日日光,111:1657年1月3日長崎,125-2:1671年7月6日江戸,136:1684年12月22日日向,139:1685年12月29日伊予,142-1:1688年11月28日羽後金浦,143:1691年−月−日加賀大聖寺,148-3:1703年6月22日小城,154-1:1710年6月23日別子,161-1:1717年−月−日金沢・小松,162:1718年2月26日八戸,176-1:1734年−月−日美作・備中御津郡,182-2:1748年6月18日松江,205-2:1779年12月17日佐渡,208-1:1783年3月5日江戸,231-1:1823年1月14日石見,236-2:1831年3月28日陸中,260-1:1855年−月−日尾鷲,261:1855年8月6日杵築,261-1:1855年8月6日米子,264-1:1856年12月9日益田,266-1:1858年1月13日青森,272:1858年5月17日信濃諏訪,277-1:1860年−月−日甲斐,280-2:1868年−月−日伊豆,280-3:1868年−月−日宮古島,281-2:1872年1月27日磐城沖.
以下は追加保留の理由の例である.093-2番の1627年津軽の地震:様々な史料にこの地震による地割れが記述されているが,史料のほとんどが天明期から流布した『永禄日記』に基づく編纂物や写本である.『永禄日記』には「二月十□□地震強ク地われ候程、春立より水不足」とあるが,「地われ」の他に地震被害の記述はなく,詳細不明なので追加保留とした.100番の1643年江戸の地震と111番の1657年長崎の地震:両地震の被害記事はモンタヌス著『日本誌』のみにあるが,著者自身は一度も来日していない.同書は来日使節の報告書等に基づくもので,誇張や不正確な記述が多いとされている.101番の1644年日光の地震:総覧の地震発生日は三月九日(4月15日)であるが,『家乗略』には「正保元年三月九日、日光地震にて石垣など小破損仕候由被爲聞」とあり,同日は日光での地震被害の報告を聞いた日である.よって,発生日が不明なため追加保留とした.125-2番の1671年江戸の地震と208-1番の1783年江戸の地震:被害記事は『御入国以後大地震考』のみにある.同書は1855年安政江戸地震後に書かれた『時雨廼袖』の写しであり,歴史地震研究上での史料的価値は低い(石橋,1992).143番の1691年加賀大聖寺の地震:被害は『聖藩年譜草稿』の「元禄四年 大聖寺大地震、潰家有之」によるが,同書は地震から100年以上後に書かれた編纂物であり,宝永四年(1707年)の宝永地震の被害も「大聖寺大地震、御領分潰家多、破損夥し」と記述されている.よって,日付のない元禄四年の地震被害は宝永地震の被害と考えられる.231-1番の1823年石見の地震:被害記事は『石見匹見町史』の「(文政五年)十二月二日夜八ツ時(中略)、烈震に見舞われ、(中略)美濃村では、十戸の潰家を見」のみで,同時代史料には確認できない.安政五年石見の地震による美濃村の潰家は10軒であり,安政五年十二月二日の石見の地震の発生年を文政五年とした誤りと考えられる.