The 56th meeting of the Japanese association of educational psychology

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中等教育における授業づくりの課題と支援

公立中学校における授業改革へのコンサルテーションを通して

Sat. Nov 8, 2014 4:00 PM - 6:00 PM 505 (5階)

[JF05] 中等教育における授業づくりの課題と支援

公立中学校における授業改革へのコンサルテーションを通して

藤江康彦1, 高松昭彦2, 坂本篤史3, 奥野隆之2 (1.東京大学大学院, 2.丹波市立市島中学校, 3.星城大学)

Keywords:中等教育, 授業づくり, コンサルテーション

企画趣旨
我が国において、校内研修としておこなわれる授業研究は、授業の改善のみならず教師の学習、学校を基盤としたローカルな知の創出の契機として位置づけることができる。にもかかわらず、中等教育段階の学校においてその実施や継続の困難も報告されている。理由として、授業デザインに際して教材と学習者をどう出合わせるかについての検討が不十分であること、生徒への支援として部活動指導や生徒指導が中心に据えられていること、授業研究を推進する校内体制の不備、などが考えられる。しかし、とりわけ認知能力や自律性が飛躍的に向上し生涯学習の基盤形成が課題となる中等教育段階の学習者の学習や発達を支援することは、学校教育においては最も優先されるべき教育活動である。とりわけ、キー・コンピテンシーや21世紀型スキルといった、知識や技能に加えて態度や動機、価値といった非認知的要素も含んだあらたな能力観が提唱される知識基盤社会において、中等教育機関において人格形成も視野に入れた質の高い学習を可能とする環境デザインへの期待はますます高まるであろう。
 本企画では、関西地方のある公立中学校における校内授業研究体制の構築と運用を目的としたプロジェクトを事例として、今日の中等教育機関における校内授業研究の体制づくりと学習の質の向上の方途を探る。事例となるプロジェクトにおいては、校長をリーダーとして「学力向上プロジェクト」が組織され、研修主任がマネージメントを務めている。共同研究者として授業研究を専門とする研究者が参画し、授業改革を軸とした活動を進めている。シンポジウムでは、研究主任を務める教師から、中等教育段階における授業づくりの課題についての報告を受け、それらの課題がどのような構造をなし、それらの課題への対処としてどのような支援があり得るのか、研究者がコンサルテーションをおこなう。なお、学校現場に研究者が参画し協同的にプロジェクトを推進するにあたっては、研究者による学校支援のあり方について検討するという研究者にとっての課題も生じる。本企画では、学校現場と研究者との関係性のあり方を踏まえて検討し、議論する。

授業づくりを阻む「問題」はなにか
高松昭彦(丹波市立市島中学校)
 授業外周辺業務の拡大による絶対的時間の不足である。授業改革には多くの時間を必要とする。相対的に教師や学校の仕事を増大させるため改革は躊躇される。行われても個人レベルを超えない。時間のなさは、部活動・保護者対応・生徒指導など直近の処理案件の優先になる。時数はこなされるが、授業を創るための幅広い教養をふくむ教材研究の成果である教材内容知識の不足を招く。この不足は市販教材と一斉授業と説明、穴埋め問題を生成する。実践は教材内容知識と教師固有の専門的知識により身体化されたことばによって可能になるが、そのことばが交流、共有される契機が乏しい。教育問題の解決がすべて学校に矮小化された教育サービスになると、外部評価の規準は学力向上の数値目標となり、仕事内容はカットされないまま増加し、教科のアカデミックは失われる。
その中で教師は授業の難題を抱える。生徒の授業参加を促すことは、規律とケアのバランス・方法の改善と失敗からの工夫・予想外の展開への即時対処・理解と進度の調整・反省など高い実践的知識と教材内容の深い理解を教師に要求する。その要求水準に達しない時、授業は危機に陥りその回避のため一斉授業が促進される。学校の危機感は授業改善を求めるが、個人のスキルやノウハウと当面の課題への対処にとどまり、教師の実践的知識の深まりによる授業改革につながることはない。危機感が去り安定すると一斉授業に回帰する。一斉授業が成立していることが安定の規準になる。ここに疲労と失望がある。授業の危機を回避するための生徒の授業参加促進の教師の努力は、ときに不満や攻撃性の誘発、規律のゆるみを招き自らの指導力量不足を認識させて実践の危機を招く。それ以上に周辺との軋轢は教職の危機を招く。いままで学校だけで改革を考えてきたが、外部と連動する仕組みと方法によって教師が実践的知識を獲得し危機を乗り越え、理論と実践のつながりによる授業づくりに結びつけなくてはならない。
学校単位での授業改革は授業を開くことから始まるが、きっかけは学校ごとに異なる。今回は指定研究や報告といった外部要請と校内の教育課程反省などの内部要請をつなぐ枠組み形成から始めた。「小中連携」「学力向上プラン」の指定は実践を正当化しまた形骸化もさせるが、教師の専門性を防衛する唯一最後の砦として活用できる。形骸化は教師の実践的知識への理論の寄与や抱える難題への挑戦によって阻止できる。研修委員会の役割はそのための方法と動きの枠組み形成である。
「授業改革チーム」を校務分掌と研修の中に位置づけ、新たな組織は作らず資源配分は最低限に抑えた。大枠の根拠は「学校経営方針」「教育課程の反省と方針」「文科省・教委の公文書、通達等」である。分掌組織の中央に柔軟性のあるチームがありこれが最小枠になる。このチームが改革のフロンティアとしての実践的専門家と位置付く。
校内の組織的基盤を構築したら次はアクションである。研究者の理論提供と教師のフィールド提供による互恵関係がそのスタートラインになる。教師は同僚に授業を開く柔軟性を、研究者は教師の抱える難題への「羅生門的アプローチ」を標榜しながら、教師と研究者が質と効率を高める同じ戦いに挑まなくてはならない。教師の「授業改革チーム」はそれに挑む。専門性は授業で表現される。授業を開くきっかけは外部要請であってもその継続は教師を勇気づける革新的な理論と方法である。

学校改革における教師の学びの場
坂本篤史(星城大学)
学校改革は、ローカルで具体的で、歴史的文化的な実践であると考えている。したがって、紙上コンサルテーションの現時点では具体的提案よりも、授業研究を通した学校改革に対する私自身の考えを示したい。大きな方針上の視点として今までの研究や経験から3点述べる。
第1に、目指す授業のあり方(ヴィジョン)の共有である(坂本, 2013)。言語のレベル、学校外での授業観察、自校の生徒を前にした実践、自分自身での身体化等のレベルはあるにしても、例えば校内・校外研修の機会等を通して、目指す授業のあり方について教師同士で語り合う場を持つことで学校改革へのダイナミズムを生むと考えられる。
第2に、授業を見る視点の共有である。これは授業後の協議会での語り方(ディスコース)の問題である。教師の実践的知識の形成は、教師の省察によってもたらされる(坂本, 2007)。つまり、授業後の協議会のあり方が、授業づくりにおける教師の力量に関わってくる。特に中学校の教科の壁を乗り越えるためには、生徒の固有名での語りが求められる(北田, 2011)。例えば、授業後の協議会を実施する上で発言のルールを定めることや、速記録やビデオ録画、観察メモ用紙、付箋等の活用が考えられる。いずれにしても、それらを活用して生徒の学びを実際に語ってみせる教師がいることが重要であろう。
第3に、授業づくりを支える生徒理解の深化である。中等教育段階では1人の教師が多数の生徒を教えるため、生徒理解よりも教えるべき教科内容が優先され一斉授業の成立が生徒の学びの成立と見なされる傾向にある。教師が授業を開き、様々な視点から生徒の学びを具体的に検討することで、教科内容と生徒理解を結びつけるという流れが望ましい。そして、授業によって生徒自身の学習観が変化するとき学力の向上がもたらされる。
以上の3点はいずれも、学校改革における教師の学びの場の保障という視点が基礎にある。部分的にでも、どこかが実際の課題と共振し、プロジェクトに寄与できることを願う。

授業づくりを促す仕掛けの導入と活用
藤江康彦(東京大学大学院)
絶対的な時間数の不足は学校単位での短期的解消が不可能であるので今回においては前提とせざるを得ない。挙げられている課題は「組織の問題」と「個人の問題と組織の問題の相互作用」による。「組織の問題」は提案のように体制づくりが進められているので、これから取り組むべきは「個人の問題と組織の問題の相互作用」のほうであろう。
中等教育学校における授業改革に向けては、組織として授業研究を中核としようとする「文化」と「制度(校務分掌の在り方、部活や生徒指導の位置づけ)」と「道具(仕掛け)」が揃って基盤となる必要がある。この中で文化の醸成は長期的課題となるであろう。制度は具体的な文化の中で運用され実質化するので制度の定着も時間がかかるかもしれない。よって「道具」についてまずは操作してみることが有効であろう。「小中連携」「学力向上プラン」の指定は外的道具として利用可能である。教材研究に基づく教材知識の不足が課題となっているのであれば、校内授業研において、教材研究を通して教材と生徒をどのように向き合わせるのかを教師が追究できるよう、たとえば授業中に使用するワークシートの作成を共有の課題とするなど内的道具(仕掛け)として検討できるだろう。学習科学的立場からは理解の評価課題をどのように設定するかということも授業デザインの重要な課題となる。どのようなワークシートを作成しそのワークシートをどのように活用するかを考えることは授業デザインの一つのあり方であろう。その際に、校内研が「ワークシートの品評会」になってはいけない。生徒と学習内容との対話の場としてどう機能していたのかを授業過程に位置づけてとらえ、学習形態のあり方などほかの要素も含めて生徒の姿を通して議論することが必要である。
もちろん、このことだけで「実践の危機」や「教師の危機」が回避されるわけではない。外部研究者として、授業の「うまくいかなさ」は職能発達の途上では起こりうることと、自分の実践や学級の状態、社会的位置を対象化、相対化させ、教師自身が問題解決に向かうことを促し、教師の自己実現を支援していくことが求められよう。
企画趣旨
我が国において、校内研修としておこなわれる授業研究は、授業の改善のみならず教師の学習、学校を基盤としたローカルな知の創出の契機として位置づけることができる。にもかかわらず、中等教育段階の学校においてその実施や継続の困難も報告されている。理由として、授業デザインに際して教材と学習者をどう出合わせるかについての検討が不十分であること、生徒への支援として部活動指導や生徒指導が中心に据えられていること、授業研究を推進する校内体制の不備、などが考えられる。しかし、とりわけ認知能力や自律性が飛躍的に向上し生涯学習の基盤形成が課題となる中等教育段階の学習者の学習や発達を支援することは、学校教育においては最も優先されるべき教育活動である。とりわけ、キー・コンピテンシーや21世紀型スキルといった、知識や技能に加えて態度や動機、価値といった非認知的要素も含んだあらたな能力観が提唱される知識基盤社会において、中等教育機関において人格形成も視野に入れた質の高い学習を可能とする環境デザインへの期待はますます高まるであろう。
 本企画では、関西地方のある公立中学校における校内授業研究体制の構築と運用を目的としたプロジェクトを事例として、今日の中等教育機関における校内授業研究の体制づくりと学習の質の向上の方途を探る。事例となるプロジェクトにおいては、校長をリーダーとして「学力向上プロジェクト」が組織され、研修主任がマネージメントを務めている。共同研究者として授業研究を専門とする研究者が参画し、授業改革を軸とした活動を進めている。シンポジウムでは、研究主任を務める教師から、中等教育段階における授業づくりの課題についての報告を受け、それらの課題がどのような構造をなし、それらの課題への対処としてどのような支援があり得るのか、研究者がコンサルテーションをおこなう。なお、学校現場に研究者が参画し協同的にプロジェクトを推進するにあたっては、研究者による学校支援のあり方について検討するという研究者にとっての課題も生じる。本企画では、学校現場と研究者との関係性のあり方を踏まえて検討し、議論する。

授業づくりを阻む「問題」はなにか
高松昭彦(丹波市立市島中学校)
 授業外周辺業務の拡大による絶対的時間の不足である。授業改革には多くの時間を必要とする。相対的に教師や学校の仕事を増大させるため改革は躊躇される。行われても個人レベルを超えない。時間のなさは、部活動・保護者対応・生徒指導など直近の処理案件の優先になる。時数はこなされるが、授業を創るための幅広い教養をふくむ教材研究の成果である教材内容知識の不足を招く。この不足は市販教材と一斉授業と説明、穴埋め問題を生成する。実践は教材内容知識と教師固有の専門的知識により身体化されたことばによって可能になるが、そのことばが交流、共有される契機が乏しい。教育問題の解決がすべて学校に矮小化された教育サービスになると、外部評価の規準は学力向上の数値目標となり、仕事内容はカットされないまま増加し、教科のアカデミックは失われる。
その中で教師は授業の難題を抱える。生徒の授業参加を促すことは、規律とケアのバランス・方法の改善と失敗からの工夫・予想外の展開への即時対処・理解と進度の調整・反省など高い実践的知識と教材内容の深い理解を教師に要求する。その要求水準に達しない時、授業は危機に陥りその回避のため一斉授業が促進される。学校の危機感は授業改善を求めるが、個人のスキルやノウハウと当面の課題への対処にとどまり、教師の実践的知識の深まりによる授業改革につながることはない。危機感が去り安定すると一斉授業に回帰する。一斉授業が成立していることが安定の規準になる。ここに疲労と失望がある。授業の危機を回避するための生徒の授業参加促進の教師の努力は、ときに不満や攻撃性の誘発、規律のゆるみを招き自らの指導力量不足を認識させて実践の危機を招く。それ以上に周辺との軋轢は教職の危機を招く。いままで学校だけで改革を考えてきたが、外部と連動する仕組みと方法によって教師が実践的知識を獲得し危機を乗り越え、理論と実践のつながりによる授業づくりに結びつけなくてはならない。
学校単位での授業改革は授業を開くことから始まるが、きっかけは学校ごとに異なる。今回は指定研究や報告といった外部要請と校内の教育課程反省などの内部要請をつなぐ枠組み形成から始めた。「小中連携」「学力向上プラン」の指定は実践を正当化しまた形骸化もさせるが、教師の専門性を防衛する唯一最後の砦として活用できる。形骸化は教師の実践的知識への理論の寄与や抱える難題への挑戦によって阻止できる。研修委員会の役割はそのための方法と動きの枠組み形成である。
「授業改革チーム」を校務分掌と研修の中に位置づけ、新たな組織は作らず資源配分は最低限に抑えた。大枠の根拠は「学校経営方針」「教育課程の反省と方針」「文科省・教委の公文書、通達等」である。分掌組織の中央に柔軟性のあるチームがありこれが最小枠になる。このチームが改革のフロンティアとしての実践的専門家と位置付く。
校内の組織的基盤を構築したら次はアクションである。研究者の理論提供と教師のフィールド提供による互恵関係がそのスタートラインになる。教師は同僚に授業を開く柔軟性を、研究者は教師の抱える難題への「羅生門的アプローチ」を標榜しながら、教師と研究者が質と効率を高める同じ戦いに挑まなくてはならない。教師の「授業改革チーム」はそれに挑む。専門性は授業で表現される。授業を開くきっかけは外部要請であってもその継続は教師を勇気づける革新的な理論と方法である。

学校改革における教師の学びの場
坂本篤史(星城大学)
学校改革は、ローカルで具体的で、歴史的文化的な実践であると考えている。したがって、紙上コンサルテーションの現時点では具体的提案よりも、授業研究を通した学校改革に対する私自身の考えを示したい。大きな方針上の視点として今までの研究や経験から3点述べる。
第1に、目指す授業のあり方(ヴィジョン)の共有である(坂本, 2013)。言語のレベル、学校外での授業観察、自校の生徒を前にした実践、自分自身での身体化等のレベルはあるにしても、例えば校内・校外研修の機会等を通して、目指す授業のあり方について教師同士で語り合う場を持つことで学校改革へのダイナミズムを生むと考えられる。
第2に、授業を見る視点の共有である。これは授業後の協議会での語り方(ディスコース)の問題である。教師の実践的知識の形成は、教師の省察によってもたらされる(坂本, 2007)。つまり、授業後の協議会のあり方が、授業づくりにおける教師の力量に関わってくる。特に中学校の教科の壁を乗り越えるためには、生徒の固有名での語りが求められる(北田, 2011)。例えば、授業後の協議会を実施する上で発言のルールを定めることや、速記録やビデオ録画、観察メモ用紙、付箋等の活用が考えられる。いずれにしても、それらを活用して生徒の学びを実際に語ってみせる教師がいることが重要であろう。
第3に、授業づくりを支える生徒理解の深化である。中等教育段階では1人の教師が多数の生徒を教えるため、生徒理解よりも教えるべき教科内容が優先され一斉授業の成立が生徒の学びの成立と見なされる傾向にある。教師が授業を開き、様々な視点から生徒の学びを具体的に検討することで、教科内容と生徒理解を結びつけるという流れが望ましい。そして、授業によって生徒自身の学習観が変化するとき学力の向上がもたらされる。
以上の3点はいずれも、学校改革における教師の学びの場の保障という視点が基礎にある。部分的にでも、どこかが実際の課題と共振し、プロジェクトに寄与できることを願う。

授業づくりを促す仕掛けの導入と活用
藤江康彦(東京大学大学院)
絶対的な時間数の不足は学校単位での短期的解消が不可能であるので今回においては前提とせざるを得ない。挙げられている課題は「組織の問題」と「個人の問題と組織の問題の相互作用」による。「組織の問題」は提案のように体制づくりが進められているので、これから取り組むべきは「個人の問題と組織の問題の相互作用」のほうであろう。
中等教育学校における授業改革に向けては、組織として授業研究を中核としようとする「文化」と「制度(校務分掌の在り方、部活や生徒指導の位置づけ)」と「道具(仕掛け)」が揃って基盤となる必要がある。この中で文化の醸成は長期的課題となるであろう。制度は具体的な文化の中で運用され実質化するので制度の定着も時間がかかるかもしれない。よって「道具」についてまずは操作してみることが有効であろう。「小中連携」「学力向上プラン」の指定は外的道具として利用可能である。教材研究に基づく教材知識の不足が課題となっているのであれば、校内授業研において、教材研究を通して教材と生徒をどのように向き合わせるのかを教師が追究できるよう、たとえば授業中に使用するワークシートの作成を共有の課題とするなど内的道具(仕掛け)として検討できるだろう。学習科学的立場からは理解の評価課題をどのように設定するかということも授業デザインの重要な課題となる。どのようなワークシートを作成しそのワークシートをどのように活用するかを考えることは授業デザインの一つのあり方であろう。その際に、校内研が「ワークシートの品評会」になってはいけない。生徒と学習内容との対話の場としてどう機能していたのかを授業過程に位置づけてとらえ、学習形態のあり方などほかの要素も含めて生徒の姿を通して議論することが必要である。
もちろん、このことだけで「実践の危機」や「教師の危機」が回避されるわけではない。外部研究者として、授業の「うまくいかなさ」は職能発達の途上では起こりうることと、自分の実践や学級の状態、社会的位置を対象化、相対化させ、教師自身が問題解決に向かうことを促し、教師の自己実現を支援していくことが求められよう。