日本教育心理学会第56回総会

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言語/文化的に多様な子ども達が「演じる」ことの意味

海外にルーツを持つ子どもたちの発達再媒介活動としての演劇

2014年11月9日(日) 13:30 〜 15:30 402 (4階)

[JH04] 言語/文化的に多様な子ども達が「演じる」ことの意味

海外にルーツを持つ子どもたちの発達再媒介活動としての演劇

石黒広昭1, 舘岡洋子2, 森さゆ里3, 石川純子4, 宮崎清孝5, 土屋由美6 (1.立教大学, 2.早稲田大学大学院, 3.文学座, 4.The City University of New York, 5.早稲田大学, 6.医療法人山口こどもクリニック)

キーワード:演劇, 海外にルーツを持つ子ども, 自己表現

■演じる(play)ことによる発達
「異質なものに橋をかける集団的な方法」を鈴木(1988,p.133-134)は「演劇のメソッド」と呼ぶ。人は「最初から異質なものと共存し」,「それに向かって身体を見せ、言葉を喋る」存在であり,「違うからこそ集団をつくるのであり、そのことによって真に人間の違いが確認でき」るという。ごっこ遊びがルールの創造と交渉(Vygotsky,1933)であるとすれば,子どもが遊びの中で学ぶのはまさにこの演劇のメソッドだ。今回言語/文化的多様性を生きる子ども達(linguistically and culturally diverse children; LCD児)を対象とする二つの異なるタイプの演劇活動を取り上げ,「学校型」学習を超える発達促進活動としての演劇活動について議論する。
■海外にルーツがある子どもの支援活動の課題
LCD児に対する支援は学校内であれ,放課後であれ,教科学習指導が中心である。このことは支援活動が滞在国の優位言語のリテラシー獲得に焦点化され,かつ学校制度に根付く教授学習枠組の中で行われやすいことを意味する。学校内活動はもちろん放課後プログラムも日本語教育指導者,教科学習指導者によって机と椅子が配置された空間で実施され,通常「・・語教室」と呼ばれる。
実際のニーズを考えるとその支援が学校の補習から始まり,滞在国の言語学習に焦点化されるのは自然な流れであり,放課後プログラムが早くから行われている北米でも状況は変わらない。しかし,その活動内容に近年変化がみられ,学校教科の補習援助や情報・言語リテラシーの学習支援だけでなく,子どもが属するコミュニティの文化や母語の学習を通して自己肯定感を育てるプログラムが増えている(e.g. La Classe Magica)。さらに自らの厳しい状況を批判的に分析し,相対化する力をつけることで,自分と社会との関係の「再媒介」(Cole&Griffin,1983)を促すログラムも少なくない(e.g.“Teatro del oprimido”)。これらは自己表現活動を促進する実践である。自らの経験を学習支援者と共に自叙伝としてまとめるUCLAの夏季プログラム(Guti?rrez,2008)やIdentity Texts実践(Cummins & Margaret, 2011)がよく知られている。体験の語りは言語に限定されず,さまざまなメディアが奨励される。multi-literacy project (http://www.multiliteracies.ca/index.php)はNew London Groupのリテラシー観に基づいて言語テキスト中心主義を超えた多様なリテラシー使用を学校に持ち込む。ムービーによって自らを語るプログラムを定型化し,学校や成人教育の場でワークショップを展開するdigital autobiography実践も北米全体に拡がっている。そうした中で,都市部の若者をターゲットとする放課後プログラム“All Star Project”の活動は括目に値する。その活動は民間の寄付で賄われ,ニューヨークを拠点として今やニュージャージー,サンフランシスコなど全米各地に拡がっている。ニューヨークでは劇場が立ち並ぶ42番街に専用劇場を持ち,子どもたちが無料でパフォーマンスを遊び,学び,発表する機会を提供している。“The All Stars Talent Show Network (ASTSN) ”と名付けられたプログラムでは,ハーレムで定期的にオーディションが実施され,多くの子どもたちをその活動へ誘っている。その中心人物の一人である教育心理学者Fulaniは特に子どもたちを他者と出会いなおさせることに尽力し,その活動原理として“発達なくして学びなし”を唱える(Newman&Fulani,2011)。通常知識や技能の学習を繰り返すことで質的な変化,すなわち発達が生じると考えるが,貧しさの中で苦難を抱える子どもたちにとって,「将来のために今頑張る」ことは「学び」の誘因とはならない。なぜそれを今学ぶ必要があるのか,その学んだ先の未来に何かしらの期待を持つとき子どもたちは「自分の更新」に向けて学ぶ。自分を受け入れる度量を社会が持っていることに気付き,自分もまたその社会を改革する主体であることに気付く時,自らの未来づくりの学習が必然となる。このプログラムに参加する子ども達は演じる技術だけでなく,会場整備やチップのもらい方,寄付者への感謝の表し方など,多様な学習に参加する。そこには市内で敵対する若者と警官の関係を再構築する即興WS“Cops and Kids”も含まれる。
書き言葉を中心とした学校リテラシーの育成支援が学校適応や将来の学業的達成のために必要であることは簡単に否定できないが,他方でそうした支援が子どものあるがままを認めず,学校,そして学校化された地域社会において排除されがちな子どもたちの疎外感を一層強めることも注意すべきだ。学校は学習を発達から引き離しやすい(Newman & Holzman, 2013)。子どもたちを社会と出会い直させる活動は子どもの世界観を発達させる(ideological becoming)(Freeman & Ball,2004)。実践者からすれば教科学習,言語学習支援さえもまだ不十分だと言うだろう。それでもそうした実践が定着してきた現在,日本でもLCD児に対する支援活動を一度総括し,未来に向けて課題整理すべき時にきている(石黒,2014)。日本でもLCD児を対象に自己表現活動に焦点化した芸術プログラムが実践され始めた。自己表現を豊かにする活動とは何か,その理論的な展望が求められている。
■自己表現
自己表現行動は遠心作用を持ち,社会との接触点を作る。その接触に伴う違和感は他者に対する自らの立ち位置を教え,無自覚的に維持努力している自己像への気づきをもたらす。多様な他者との接触は多くの社会的価値に触れることであり,自らに揺さぶりを仕掛ける。それゆえその動揺を共に受け止める信頼できる他者が必要となり,これが支援者の重要な役割となる。
自己表現行動は日常のさり気ない無自覚な自己表出行動として実現されている。家庭の中で,あるいは友人との語らいの中で,さらには買い物や見知らぬ人との出会いの場で示すその人らしいふるまいがそれである。他方に自覚されたふるまいとして演劇(theater performance)の場がある。演劇は自覚的に何者かを演じることで,日常活動に埋め込まれ,その流れに漂う自分に距離を置き,その何者かを通して日常生活者としての自らを振り返る機会を提供する。日常の自己表出行動はとても大切なものであり,学校や放課後活動の中で見せる子どもの姿からわかることは多い。しかし,今回のシンポジウムではLCD児が自覚的に行う自己表現活動である「演じる」ことについて検討する。表現行為とは「内部」の露出ではなく,新たな「私(のコトバ)」の社会的創造過程である(Vygotsky,1934)。
演劇行為では身体性と協働性が強く現れる。身体を他者にさらすことでその関係や「私」は可視化される。準備,発表だけでなく劇創作のすべての過程で他者との交渉を含む社会的(「異質なものに橋をかける」)活動がなされる。私が参加したAll Star Project(N.Y.)で定期的に行われている即興劇ワークショップ(2012.8)では,簡単な場面設定が与えられ,皆の前で寸劇を演じる。年齢も異なる見知らぬ他者との間で即興的に会話を維持するには相当の社会的なスキルが必要となる。社会的接触は言語芸術でも必要とされ,演劇固有ではない。Ishiguro(2011)は子どもたちに自らの経験を問い直し,学びなおす(unlearn)機会を提供した三つの言語芸術授業実践を分析し,それらの共通点として,(1)学校外の生活経験を取り上げることを奨励することでその表現内容が子どもにとって有意味である,(2)書かれた作品をお互いに認めあう, (3)言葉遣いの誤りを修正するよりも他者とわかりあうことを重視する,といった共通特徴を抽出した。これらは書き手を他者と出会わせる「配慮(care)」である。では演劇活動では何が「配慮」されるのだろう。LCD児は演じることを通してどのように他者と出会うのだろうか。
■二つの演劇活動
今回のシンポジウムでは二つのタイプの異なる演劇活動を取り上げる。一つは明確なシナリオを持たず,テーマを参加者が協働で即興的に発展させる応用演劇(applied theater)である。もう一つはシナリオに沿って演出家の指示の下,参加者があるキャラクターを演じる「劇上演(dramatic performance)」である。日本では後者が一般的に演劇とされ,前者の「即興劇(improvisational theatre)」はワークショップの技法と見なされているのではないか。「即興劇」では参加者が仮に誰かを演じるとしてもその誰かは参加者の分身であり,参加者と一体である。他方「劇上演」では参加者は誰かの役を演じる「役者」であり,役として与えられた人の思考や身体を生きることが期待される。
今回のシンポジウムではLCD児に対して上記二つのタイプの演劇活動を実践している演出家森さゆり氏(文学座)とファシリテーター石川純子氏(CUNY)を招き,それぞれの実践を映像によって紹介してもらいながら,そのねらい,手続き,期待,そしてそこからわかったことなどを語っていただく。森氏はプロの役者の劇の演出はもとより,学校や市民演劇の指導をされている。石川氏は日本で教師として働く傍ら市民劇へ参加,その後,応用演劇をCUNYで学び,これまで多種多様な人々の演劇をファシリテートしてきた。劇上演は観客に「見てもらうこと」を前提とし,「作品としての収束(完成)」を目指す。上演後,観客にもらう拍手は快感であり,重要なフィードバック情報である。即興劇では観客は不要だ。ファシリテーターが投げつけた「石」に参加者が感じ,考えることこそが成果であり,劇内ではむしろ安定が壊される。未遂の不快感を残すことさえ目指される。
■討論
これまで我々が行って来たLCD児に対する演劇のアウトリーチ活動に対して,長年幼児の遊びや芸術活動を研究している宮崎清孝氏と臨床心理士の立場から子どもの発達と病院臨床に関わっている土屋由美氏からコメントをいただき,議論を深めたい。(文責:石黒)
*本研究は「海外にルーツがある文化的に多様な子ども達の表現活動を中心とした学習共同体の研究」(科学研究費助成事業 基盤研究(B)代表:石黒 )の助成を受けている。