[PB071] 韓国ソウルの公園で観察されたアタッチメント関連行動
キーワード:韓国, アタッチメント
目的
筆者は,機会を得て韓国ソウルに長期滞在していた期間に,現地の親子の自然なやりとりを効率よくとらえるため,家族連れの多く集まる公園においてその生態学的観察を行った。
以下では,親子のアタッチメントに関連する場面・行動に注目し,その特徴を考察する。
方法
2013年5-6月,ソウル市内の大規模なある公園で,家族連れをはじめ人々がもっとも多く集まる週末の午後を中心に,基本的に単独で観察を行った。公園内の比較的広範囲を移動しながら,特に親子(と思われるペアや彼らを含む家族その他のグループ)に注目し,エピソード―出来事とそれをめぐる一連の相互作用場面―を収集した。また以降に別のケースで同様の出来事が生じ(てい)る場面に遭遇したときは,その様子を観察,記録するようにした。これらはノートに,観察者の疑問などともあわせて書き留めた。
結果・考察
観察ノートをもとに,収集したエピソード群からアタッチメントに関連しそうなものを選り出し,共通のコンテクストでまとめた。
なお,子どもの年齢等はすべて推定。“親子”という関係性についても完全な推定(子が“ママ(オンマ)”などと呼びかけなかった場合)が多い。
転倒・迷子 ―子どもが脆弱性(vulnerability)を(少なくとも潜在的に)表す場面で―
子どもの転倒場面に多く出くわした。最初に出合ったAのように,特にトドラー(1-2歳台)が足元の覚束なさから転倒する例が多かったが,親が近くで見ていても,特別そのことに対する反応を示したケースは稀(1件のみ)であった。
A(男児,1-2歳/母) 芝の地面で転ぶ。母親は声を上げたりかけたりせず,近寄ることもなく,自分で起きるのを見守っているようだった。子の方も泣かず,少しして自ら起き上がった。その間,特に親を振り返ることもしなかった。
明らかな迷子のケースにも1件,出くわした。
B(男児,1-2歳/両親) 広場で“ママー,ママー”と声を上げ泣く。気づいた大人たちは様子をうかがうのみだったが,少しして女性(他の子の母親),続いて年配男性が“ママは?”などと声をかけた。そのうちに現れた父親と再会。子は父親に抱きついた後,一緒に移動。そこでは母親がシートに座っていて子(と父親)に気づいたが,反応は特になく,子の方から母親に近寄り,抱きついた。
なお,親は見当たらなかったが,周囲の大人たちの反応という意味ではBと共通点のある,小学生男児のケースが他にもみられた――勢いよく転び,しばらく泣き続けるも,その間,周囲は遠巻きに注視のみを送った。
探索・遊び ―好奇心や活発さを表す場面で―
公園には犬連れの人たちもみられたが,トドラーが犬(と飼い主)が留まっているところへ近づいたり,犬を触ったりする場面にも複数出合った。
C(性別不明,1歳台/両親) ベンチに両親と一緒にいたが,犬を見つけると躊躇なく近寄って触る。飼い主はにこやかにそのまま触らせた。両親もその様子をしばらく笑顔で見守った後,飼い主に“ありがとう”と言って,子どもとともに立ち去った。
"転倒・泣き"と"活発な遊び"が連続的に展開する場面の,興味深い父子のやりとりも観察された。
D(男児,2-3歳/父) グランドで歓声を上げつつ父と走り回って遊ぶが,勢い余って転倒。しばらく泣く。父は数mの距離から子の様子を時々確認するも直接反応はしなかった。結局,子は自分で起きて泣き止むとそのまま父との追いかけっこを再開。父もまた上手に誘導し,すぐ歓声が戻った。
子どもが転倒(・ケガ)する,迷子になる,そしてその結果,泣く,といった脆弱性およびネガティブな感情を(少なくとも潜在的に)表出しやすい場面では,親(や周囲の大人)はあまり反応しない(ながらも見守る)のに対し,子どもが好奇心や活発さをポジティブな感情とともに表すような場面で,親はむしろ子どもに積極的に関わり,感情的経験を共有しようとするのではないか。そして前者のような状況でも,余程でないと子どもの側も泣いたり,親に接近や助けを直接求めたりしない(動じない)という相互性がみてとれる。
親子は,自己のあり方とも深く結びつくもっとも親密な関係である。自己に関する相違(たとえば,趙・松本・木村, 2009)同様,親子関係の具体的なあり様―日常の具体的な相互作用や距離の取り方―にも日本とは相当異なるところがあると思われる。
筆者は,機会を得て韓国ソウルに長期滞在していた期間に,現地の親子の自然なやりとりを効率よくとらえるため,家族連れの多く集まる公園においてその生態学的観察を行った。
以下では,親子のアタッチメントに関連する場面・行動に注目し,その特徴を考察する。
方法
2013年5-6月,ソウル市内の大規模なある公園で,家族連れをはじめ人々がもっとも多く集まる週末の午後を中心に,基本的に単独で観察を行った。公園内の比較的広範囲を移動しながら,特に親子(と思われるペアや彼らを含む家族その他のグループ)に注目し,エピソード―出来事とそれをめぐる一連の相互作用場面―を収集した。また以降に別のケースで同様の出来事が生じ(てい)る場面に遭遇したときは,その様子を観察,記録するようにした。これらはノートに,観察者の疑問などともあわせて書き留めた。
結果・考察
観察ノートをもとに,収集したエピソード群からアタッチメントに関連しそうなものを選り出し,共通のコンテクストでまとめた。
なお,子どもの年齢等はすべて推定。“親子”という関係性についても完全な推定(子が“ママ(オンマ)”などと呼びかけなかった場合)が多い。
転倒・迷子 ―子どもが脆弱性(vulnerability)を(少なくとも潜在的に)表す場面で―
子どもの転倒場面に多く出くわした。最初に出合ったAのように,特にトドラー(1-2歳台)が足元の覚束なさから転倒する例が多かったが,親が近くで見ていても,特別そのことに対する反応を示したケースは稀(1件のみ)であった。
A(男児,1-2歳/母) 芝の地面で転ぶ。母親は声を上げたりかけたりせず,近寄ることもなく,自分で起きるのを見守っているようだった。子の方も泣かず,少しして自ら起き上がった。その間,特に親を振り返ることもしなかった。
明らかな迷子のケースにも1件,出くわした。
B(男児,1-2歳/両親) 広場で“ママー,ママー”と声を上げ泣く。気づいた大人たちは様子をうかがうのみだったが,少しして女性(他の子の母親),続いて年配男性が“ママは?”などと声をかけた。そのうちに現れた父親と再会。子は父親に抱きついた後,一緒に移動。そこでは母親がシートに座っていて子(と父親)に気づいたが,反応は特になく,子の方から母親に近寄り,抱きついた。
なお,親は見当たらなかったが,周囲の大人たちの反応という意味ではBと共通点のある,小学生男児のケースが他にもみられた――勢いよく転び,しばらく泣き続けるも,その間,周囲は遠巻きに注視のみを送った。
探索・遊び ―好奇心や活発さを表す場面で―
公園には犬連れの人たちもみられたが,トドラーが犬(と飼い主)が留まっているところへ近づいたり,犬を触ったりする場面にも複数出合った。
C(性別不明,1歳台/両親) ベンチに両親と一緒にいたが,犬を見つけると躊躇なく近寄って触る。飼い主はにこやかにそのまま触らせた。両親もその様子をしばらく笑顔で見守った後,飼い主に“ありがとう”と言って,子どもとともに立ち去った。
"転倒・泣き"と"活発な遊び"が連続的に展開する場面の,興味深い父子のやりとりも観察された。
D(男児,2-3歳/父) グランドで歓声を上げつつ父と走り回って遊ぶが,勢い余って転倒。しばらく泣く。父は数mの距離から子の様子を時々確認するも直接反応はしなかった。結局,子は自分で起きて泣き止むとそのまま父との追いかけっこを再開。父もまた上手に誘導し,すぐ歓声が戻った。
子どもが転倒(・ケガ)する,迷子になる,そしてその結果,泣く,といった脆弱性およびネガティブな感情を(少なくとも潜在的に)表出しやすい場面では,親(や周囲の大人)はあまり反応しない(ながらも見守る)のに対し,子どもが好奇心や活発さをポジティブな感情とともに表すような場面で,親はむしろ子どもに積極的に関わり,感情的経験を共有しようとするのではないか。そして前者のような状況でも,余程でないと子どもの側も泣いたり,親に接近や助けを直接求めたりしない(動じない)という相互性がみてとれる。
親子は,自己のあり方とも深く結びつくもっとも親密な関係である。自己に関する相違(たとえば,趙・松本・木村, 2009)同様,親子関係の具体的なあり様―日常の具体的な相互作用や距離の取り方―にも日本とは相当異なるところがあると思われる。