The 56th meeting of the Japanese association of educational psychology

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ポスター発表 PG

(5階ラウンジ)

Sun. Nov 9, 2014 10:00 AM - 12:00 PM 5階ラウンジ (5階)

[PG029] 罪悪感と共感性が中学生のいじめ場面への関わり方に与える影響

浜本瑞1, 小林哲郎2 (1.都島区保健福祉センター, 2.神戸女学院大学)

Keywords:いじめ, 罪悪感, 共感性

問題と目的 森田・清永(1994)により,いじめは4層(加害者・被害者・観衆・傍観者(仲裁者))に構造化されることが論じられている。加えて,被害者に間接的な援助を行う「支援者」という立場が塚本ら(2007)により見出され,餅川(2011)は,教師に連絡する等の行動を取って間接的にいじめを止めようとする生徒を「抑制者」としている。傍観者の中から生まれる支援者や抑制者の存在は,いじめに歯止めをかける存在として重要な立場であると言える。
罪悪感には共感的苦痛が必要だとHoffman(菊池ら訳,2001)により論じられたが,子どもの反社会的な側面に対し,いかに罪悪感と共感性が関連するかは十分に解明されていない。石川(2008)により子どもの対人場面における罪悪感と共感性との関連が示されたが,実際のいじめ場面を想定すると,より複合的な場面設定が必要だと考える。
そこで本研究では,いじめを制止する方向に動きうるいじめ場面での第三者に焦点を当て,共感性といじめ場面で取る行動が,いじめ場面で取る行動への罪悪感と関連するのかを検討した(目的1)。そして,共感性といじめ場面時の行動に対する罪悪感が,いじめ場面後に被害者に対して取る行動に影響を与えるのか検討した(目的2)。今回は,目的1の結果と考察について述べる。
方法 中学1,2年生の男女123名に場面想定法と青年期用多次元的共感性尺度(登張,2003)により構成された質問紙調査を行った。
・場面想定法(いじめ場面)
いじめ場面を目にした時に取る行動と,その行動に対する罪悪感をどの程度抱くか,また,そのいじめ場面後に被害者に対しどんな行動を取るかを,「いじめ」という言葉を使わずに尋ねた。いじめ場面は以下の3点を基に作成した。
(1)いじめの形態…身体・物理的いじめ/心理的いじめ
(2)動機…制裁的いじめ/享楽的いじめ/異質性排除
(3)被害者との関係…仲の良い友達/友達でない
これらを組み合わせ,全12場面を作成し,場面ごとにその場面時に取る行動を質問した。いじめ場面時の行動についての回答を加害・観衆・傍観・抑制・仲裁に,いじめ場面後の行動を傍観・回避・支援・仲裁・抑制・謝罪に分けた。
結果と考察
・いじめ場面時と場面後の行動
いじめ場面時の行動といじめ場面後の行動の,場面ごとの分布を調べるためクロス集計を行った。その結果,被害者と友達でない場面では「いじめ場面時“傍観”―いじめ場面後“傍観”」が最も多く,被害者と友達である場面では「いじめ場面時“仲裁”―いじめ場面後“支援”」が最も多かった。このことから,被害者と友達である場面の方が被害者に直接働きかける行動を取りやすいことが推測される。
・目的1の検討
いじめ場面時の行動と共感性(高群・低群)を独立変数,行動への罪悪感を従属変数とした2要因分散分析を行った結果,場面1,2でのみ交互作用が見られ,その他の場面ではいじめ場面時の行動の主効果のみ見られた。
単純主効果の検定を行った(場面1,2)ところ,傍観の共感性高群は低群よりも傍観への罪悪感が高かった。場面1,2は(身体的いじめ・友達でない)が共通,加えて1が制裁的いじめ,2が異質性排除の場面である。友達でない人が身体的いじめを受けている場面は遊びであるかのように偽装されやすく区別し難いいじめであると言える。また,制裁的いじめ,異質性排除のいじめは享楽的いじめに比べ周囲の許容度が高い(井上ら,1986)。このような区別し難く許容度も高い場面では,傍観している共感性の高い人は葛藤を抱き自身の行動への罪悪感が高くなると考えられる。
全場面において共通して見られたのは,傍観をしたことによる罪悪感が仲裁者よりも高いことであった。仲裁者はいじめ場面でそのいじめを止める人たちであり,罪悪感は低くなるであろう。それに対し,傍観者はいじめを止められないことにより罪悪感が高くなったと考えられる。
また,被害者が友達でない場面では,いじめ時の行動による罪悪感は傍観者>抑制者であり,被害者が友達である場面では,抑制者>仲裁者であることが示された。このことから,被害者との関係性の違いが,抑制者の罪悪感に影響を与えたのではないかと考えられる。被害者と友達でない時には,抑制者は仲裁者と同程度罪悪感は低く,これは被害者を助けるために何らかの行動を起こすことが出来たという思いから罪悪感が低くなっていることが考えられる。しかし,被害者と友達である場合には,抑制者は“先生に伝える”という行動を起こしているにもかかわらず傍観者と同程度罪悪感が高くなっている。このことから,いじめの被害を受けている友達に対しては直接介入出来たかどうかが罪悪感の高さと関係すると言えるだろう。