日本教育心理学会第56回総会

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大災害に対して心理学はこれまで何をしてきたのか?これから何をすべきなのか?

2014年11月8日(土) 16:00 〜 18:30 1階メインホール (1階)

[j-panel01] 大災害に対して心理学はこれまで何をしてきたのか?これから何をすべきなのか?

齊藤誠一1, 吉田圭吾1, 伊藤俊樹1, 矢守克也2, 宅香菜子3, 氏家達夫4, 坂野雄二5 (1.神戸大学, 2.京都大学, 3.オークランド大学, 4.名古屋大学, 5.北海道医療大学)

キーワード:大震災

企画趣旨
齊藤 誠一・吉田 圭吾・伊藤 俊樹
 神戸市などに大きな被害をもたらした阪神・淡路大震災が発生して,まもなく20年が経過する。これ以降いくつもの大災害が日本を襲い,大きな被害を受けてきた。その中でも,東日本大震災は地震,津波に加え,放射線被害という二次的災害ももたらし,被災地は今なお復興の途上にある。
 神戸大学では被災地大学として阪神・淡路大震災に関わり多分野からの全学的研究を行い,現在は東日本大震災に関わり同様の研究を進めている。こうした災害研究において工学や経営学といった心理学以外の分野でも心理学的検討の必要性が示され,災害に関わり心理学が果たしている役割は大きいといえるが,その総括と今後のあり方については必ずしも議論されていない。本パネルディスカッションでは,大災害に対して心理学がこれまで行ってきたことを整理し,今後発生が予想される南海トラフ地震など大災害に対してどのような貢献をしていくべきなのかについて,大災害を経験した人たちと関わった,あるいは現在関わっているパネリストから話題を提供していただき,議論していきたい。

被災地のリレー:KOBE・東日本・未来の被災地
矢守 克也
 災害頻発時代を,あえて前向きにとらえるならば,一つの方向性として,「被災地のリレー」という言葉を得ることができる。災害頻発時代には,一つ前の災害を痛切に受けとめている人びとが健在なうちに次のそれが起こってしまう。そのことが,体験や思いを「次世代」や「他地域」へとつなぐ試みをより有効なものにする。本報告では,筆者が進めているアクションリサーチを紹介しながら「被災地のリレー」について考えてみたい。
 第1の事例は,防災ゲーム「クロスロード」である。「クロスロード」は,阪神・淡路大震災を経験した人びとの聞き取り調査をベースに筆者らが開発したツールである。このゲームをプレーした後に東日本大震災を経験した被災者の声,および,近い将来の発生が心配されている巨大災害に対する備えを進める地域での活用事例を通して,災害体験の継承について考える。
 第2の事例は,「次世代プロジェクト」である。阪神・淡路大震災から19年が経過した今年3月11日,報告者は,震災を7歳の時に体験,その後,父親と同じ消防士となった女性とともに,岩手県内の小学校で授業を行った。災害と向き合って成長してきた人間の姿を,東北の子どもたちに知ってもらいたかったからである。

トラウマから成長するということ
-Posttraumatic Growthの観点から-
宅 香菜子
 心的外傷後成長(Posttraumatic Growth:PTG)とは,トラウマを引き起こす可能性があるような非常につらい経験をきっかけとした人間としての心の成長を指す。東日本大震災を経験した関東地方の大学生を対象に実施した質問紙調査の結果を踏まえ,以下三点について考察する。
(1)震災を経験したすべての人にPTGが起きるわけではなく,そこには大きな個人差がある。その道筋の一つとして,震災が我々の信念や価値観を大きく揺さぶった時,それが推進力となってPTGが経験される可能性が高いことがうかがえる。
(2)海外の知見と比較すると日本人のPTGは必ずしも高くないことが明らかにされている。その理由として,自然災害をきっかけとした信念の揺さぶられ具合が,海外で報告されている知見に比べて低いことにあるのではないかと考える。「自分が正しい行いをしていれば絶対に災害は起きるはずがない」と信じていた人に災害が起きた時の信念の揺さぶられ具合に比べると,「自分が正しい行いをしていようがしていまいが,災害は起きるときは起きる」ととらえている人の方が揺さぶられ具合は小さい。これがPTGに関係しているのではなかろうか。
(3)PTGと一口に言ってもその内容は多岐に渡る。日本文化かつ自然災害に特に関連したPTG,さらに精神的なもがきに伴って経験されるPTGと精神的なもがきを必ずしも必要としないPTGといった下位分類の可能性について考察する。最後に,PTGには個人を超える力,波及的で連鎖していくような効果があるのではないかという点に触れ,PTGを考える社会的意義について問題提起したい。

放射能災害と発達:
これから何が起こると予想されるか?
氏家 達夫
 放射能災害の性質とそれが子どもの発達に及ぼす長期的影響について議論する。
(1)被ばくした人々の多くは,いつ自分が被ばくしたのかを知らない。大量の放射性物質が原発から放出されたという情報や,風向きによってどの範囲に汚染が広がり得るかという情報は,住民に伝えられなかった。情報の不足や不正確な情報しかないという状況で,根拠のない噂が影響力を持つようになった。
(2)権威(政府や東電,自治体,専門家)の初期対応や情報管理の“まずさ”は,権威に対する人々の強い不信感を生み出した。内部被ばく量のモニタリングの結果にもとづく行政の“安全”情報-その結論は国連の機関からも支持されている-は,権威に対する強い不信や低レベルの被ばくの危険性を警告する専門家も少なくない状況で,被ばくの長期的でネガティブな影響に対する恐怖心を払拭できていない。
(3)親にとって,子どもの健康に対する被ばくの影響は,今元気だからといって決して否定されない。健康被害への恐怖はいつまでも続く。多くの親たちは,これから起こる子どもの健康上の問題を,基本的にすべて被ばくしたことと関連づけ,その度に強い不安を喚起させられることになる。
(4)福島大学の調査によれば,幼い子どもの心理的健康にネガティブな影響が出ている。発達心理学の知見にもとづけば,そこには親の恐怖心や不安が関わっていると考えられる。親の恐怖心が子どもに対する適切な親行動を侵害する可能性が高い。今後,親の恐怖心が子どもの発達に及ぼすネガティブな影響が強く懸念される。

大震災で行ってきた「心のケア」の意味
坂野 雄二
 大災害時にかかわらず,強いストレス体験を持ったと思われる人たちに対して「心のケア」が必要だと言われ,何らかの形で心理学的援助が行われるようになってきた。ところが,そうした援助が客観的で科学的な理論に基づいているか,そこでどのような方策がとられていたか,また,どのような効果が得られたのかという点について十分な情報が発信されているかどうかを考えると,必ずしも十分であるとは言えない現状がある。援助の方策を考える時には,事例性を語る前に一般性を知らなければならない。特異な事例の記述に留まることが他の方への関わり方を難しくしていることに気づかなければならない。そして,「心の状態」として理解するのではなく,「生活行動として対応」の方策を考える必要がある。
 そこで本演題では,(1)「心のケア」と呼ばれる心理社会的介入は何を目的としているか,(2)目的に照らし合わせて適切な介入内容になっているか,(3)心理社会的介入に必須の方法論の理論的枠組みはあるか,(4)適切なアセスメントツールを用いているか,(5)再現性のある形で手続きを含むその成果が情報発信されているかという点から,「心のケア」と呼ばれる心理社会的介入の現状と課題について論じたい。また,適切な情報の提供,適切な心理社会的介入の方策を啓発することも重要な社会的課題であるが,時には不適切,あるいは誤った情報が提供されている。いわば非日常的な状況の中でこそ,心理学は適切な情報を発信しなければならない。どのようなdisseminationの方策があるかについても論じたい。