13:30 〜 15:30
[JB05] 研究者兼実践者が見た学校現場
教育現場では何が起きているのか
キーワード:学校, 研究者, 実践者
企画趣旨
東京都教育委員会によると平成25年度の高等学校定時制課程1年生の中途退学率は25.8%にものぼる。その主な理由として,「学校生活・学業不適応」「進路変更」等が挙げられているが,これらの背景には,小学校や中学校時代から見られる,高等学校進学によって先送りされた子どもたちの問題や課題(不登校,発達障害,友人関係,いじめ,家庭・親子関係等)があると推察される。中には未然防止が求められる類のものがあるが,保護者や教職員が子どもたちの変化に気づいた時点で早期解決に向けて努めることが重要なものが多い。しかし,長引く社会経済の低迷により,保護者は生活を維持するため家庭よりも経済活動を優先させる傾向が強くなりつつあり,その負荷が学校に圧し掛かり教員の物理的・精神的余裕が失われ始めているという現状が指摘されている(竹村・小林,2010;牧,2011)。そこで,その一端を担う者として心理臨床家を含む実践者や研究者が子どもたちの問題や課題に向き合い,子どもたちと保護者や教員をつなぐサポート役になる必要があると考えられる。さらに,実践者や研究者だからこそ適応・不適応の枠を超えて子どもの発達のために,各発達段階で何が必要なのかを見極めることができるのではないだろうか。
本シンポジウムでは,実際の学校現場にも関わっている研究者が現在の学校現場をどのように捉えているのか,また,実践と研究から学び得たことについて論じていただき,広く学校や学校で働く実践者や研究者は何ができるのかについて議論していきたい。
環境調整への原点回帰のための「意味」と「価値」の分離と「価値」の共有
山崎浩一
小学校配置のスクールカウンセラーとして児童・保護者・教諭とやりとりをする中で気づくことがある。それは,大学の教職課程科目である「教育相談」などで必ず取り上げられる「環境調整」が不足しているという実感である。「環境調整」は,主に発達障害をもつ子どもへの対応として筆頭に挙げられる項目で,要は「障害などを含めた子どもの状態の理解」であり,この「理解」なくしては対応も支援も進められない。しかし,決して「理解」がないわけではない。子どもたちに関する情報は共有されており,実は,対応も進められている。では,何が不足なのか。
例えば,7歳になる年度の4月に,幼児は小学校へ強制的に入学させられ,児童と呼ばれるようになる。これが「義務」教育だ,というのは多くの人が「理解」しているところであろう。多くの子ども・保護者や小学校の教諭も,このように「理解」し,さらに,小学校への入学は「あたりまえ」と捉えている。保護者はさらに,「毎日登校するのはあたりまえ」とも思っている。いずれも「制度」として理解すれば「あたりまえ」なのだろう。この,「あたりまえ」の側面に関する情報は,先述の通り共有され「理解」され,それに基づいて対応も進められる。しかし,その「あたりまえ」が,全ての個々の子ども・保護者にとって同様に「理解」されているかというと,その限りではない。「小学校への入学」「毎日の登校」は,「嬉しい」「楽しい」と理解されるだけではなく,「辛い」「苦しい」と理解されるのである。
ことばには「意味」と「価値」という側面がある(cf.宇田,2014)。「小学校への入学」「毎日の登校」といった,いわゆる「学校への適応」にも同様に,「意味」と「価値」という側面があるといえる。上記の「あたりまえ」の側面が「意味」であり,「嬉しい」「楽しい」「辛い」「苦しい」という側面が「価値」である。「適応する」というのは,「意味」としては「社会的に奨励される状態」であるが,「価値」としては「苦しい状態」であるとも表せる。
不足しているのはこの,「価値」の「理解」である。「意味」の側面の「理解」と共有・対応は容易である。字義通りに,あるいは現象通りに「理解」し対応すれば良いからである。しかし,「価値」の「理解」は困難を伴う。そもそも「理解」が可能なのかどうかも不明である。そして,この「価値」の共有の不十分さが,体の良い「諦め」を生みだし,問題の先送りを容認しているように見える。
「学校への適応」の「意味」と「価値」を意図的に分離し,子ども自身・保護者・そして教諭と共有していくことこそが,研究者兼実践者としての自身の役割であると考えている。少なくともこのことによって,子ども達の「問題・課題の先送り」のない,支援における「価値」が生み出せると考えている。このことを,話題提供時には,研究者としての視点から,自身の学校での体験を含め提起していきたい。
危機的環境移行を経験する生徒に対する1つの支援方法
金子泰之
子どもに関する問題は,教師の指導力不足など,学校現場の問題として帰属されるようになり,学校に対する社会のまなざしは変わった(広田,2001)。誰もが教育を受けてきた経験があるため,誰でも教育に関する意見を述べることができるのが教育である(広田,2009)。
学校現場で起きる不登校,いじめ,問題行動など,学校適応に関するテーマは社会的な関心が高い。教育について感情的に語るのではなく,調査から明らかになった研究知見にもとづき,学校現場で起きている様々な問題を捉える必要がある。
発表者は,3つの視点から中学生の学校適応に関する調査を行い,学校現場の実態を明らかにしてきた。1つ目は,教師への反発,学校内のルールからの逸脱,生徒間のいじめ等の中学生の問題行動に関するもの。2つ目は,学校の再編成過程における生徒の環境移行に関するもの。3つ目は,生徒指導と中学生の学校適応の関係に関するものである。
今回は,学校の再編成過程における生徒の環境移行を取り上げる。少子化にともない学校の統廃合が行われている。学校を取り囲む地域や行政からの視点に立った研究は行われているが,その学校に通う子どもたちは環境移行を通して何を感じているのかは十分に明らかにされているとは言えない。学校に通う子どもたちの立場から,学校統廃合という危機的環境移行についての実態を明らかにする。
具体的には,2つのことについて発表する。1つ目は,学校の再編成過程において,学校享受感やストレスがどう変化したのか,子どもたちの立場から明らかになったことを発表する。危機的環境移行における中学生の実態を明らかにする。2つ目は,調査をどのように実践し,得られた結果をどのように教育現場に還元したのかについて発表する。この調査は,調査実施後,次の新しい調査につながったケースである。調査研究が教育現場にどのように活かされていったのか,その経過についても報告したい。
「適応の支え」から捉えた不登校児童・生徒への支援
岡田有司
目の前の具体的な状況に埋没するのではなく,そこから何らかの概念を抽象し,更にその概念を個別特殊な諸実践にあてはめてみるという絶えざる往還こそが研究・実践双方の発展のために必要である。そのための方法論を身につけており,実践から一定の距離をとることも可能な研究者にはこうした役割が求められていると考えられる。このような立場に立ったうえで,本報告では「適応の支え」という概念に基づき報告者の実践を捉えなおすことを試みたい。
適応の支えは児童・生徒の学校適応を理解する際に鍵となる概念であり,児童・生徒は学校生活の中でそれぞれが自分に合った適応の支えを見いだし,それを軸に学校に適応していく。適応の支えには,①学校生活への適応の基礎としての機能,②学校生活に対する動機づけとしての機能,③学校生活において生じた喪失を補償するものとしての機能があり(岡田,2015),こうした適応の支えがうまく見つけられない,あるいは適応の支えとなっていたものが崩れてしまった場合に,児童・生徒は適応上の困難を抱えることになる。そして,困難を抱えた児童・生徒を支援する際には適応の支えに注目した支援が重要だといえ,この視点に基づけば支援の局面はいかに①適応の支えをつくるか,②適応の支えを強化するか,③適応の支えを拡張するか,の3つに区分して捉えることができる。
こうした支援の視点は学校内で困難を抱えた児童・生徒の支援だけでなく,既に不登校状態にある児童・生徒への支援においても有益であると考えられる。そこで,本報告では報告者がスタッフとして関わっていたフリースクールでの実践を中心に,そこでの実践が適応の支えという視点からどのように理解できるのかについて考えていく。フリースクールの実践を時系列に沿って整理すると大きく,①不登校状態にある児童・生徒がフリースクールで居場所を見つけられるよう支援する,②フリースクール内での対人関係の構築や活動への参加を促す,③徐々にフリースクール外での活動に移行できるよう支援するという3つの段階に区分することができる。そして,それぞれの局面でスタッフが適応の支えを見つけ,強化し,拡張できるように支援するという重要な役割を担っている。報告では具体例も交えながらどのような実践がなされているのかや,そこにおける課題について理解を深めていきたい。また,適応の支えという観点からフリースクールと学校の関係性についても考察を加えられればと思う。
東京都教育委員会によると平成25年度の高等学校定時制課程1年生の中途退学率は25.8%にものぼる。その主な理由として,「学校生活・学業不適応」「進路変更」等が挙げられているが,これらの背景には,小学校や中学校時代から見られる,高等学校進学によって先送りされた子どもたちの問題や課題(不登校,発達障害,友人関係,いじめ,家庭・親子関係等)があると推察される。中には未然防止が求められる類のものがあるが,保護者や教職員が子どもたちの変化に気づいた時点で早期解決に向けて努めることが重要なものが多い。しかし,長引く社会経済の低迷により,保護者は生活を維持するため家庭よりも経済活動を優先させる傾向が強くなりつつあり,その負荷が学校に圧し掛かり教員の物理的・精神的余裕が失われ始めているという現状が指摘されている(竹村・小林,2010;牧,2011)。そこで,その一端を担う者として心理臨床家を含む実践者や研究者が子どもたちの問題や課題に向き合い,子どもたちと保護者や教員をつなぐサポート役になる必要があると考えられる。さらに,実践者や研究者だからこそ適応・不適応の枠を超えて子どもの発達のために,各発達段階で何が必要なのかを見極めることができるのではないだろうか。
本シンポジウムでは,実際の学校現場にも関わっている研究者が現在の学校現場をどのように捉えているのか,また,実践と研究から学び得たことについて論じていただき,広く学校や学校で働く実践者や研究者は何ができるのかについて議論していきたい。
環境調整への原点回帰のための「意味」と「価値」の分離と「価値」の共有
山崎浩一
小学校配置のスクールカウンセラーとして児童・保護者・教諭とやりとりをする中で気づくことがある。それは,大学の教職課程科目である「教育相談」などで必ず取り上げられる「環境調整」が不足しているという実感である。「環境調整」は,主に発達障害をもつ子どもへの対応として筆頭に挙げられる項目で,要は「障害などを含めた子どもの状態の理解」であり,この「理解」なくしては対応も支援も進められない。しかし,決して「理解」がないわけではない。子どもたちに関する情報は共有されており,実は,対応も進められている。では,何が不足なのか。
例えば,7歳になる年度の4月に,幼児は小学校へ強制的に入学させられ,児童と呼ばれるようになる。これが「義務」教育だ,というのは多くの人が「理解」しているところであろう。多くの子ども・保護者や小学校の教諭も,このように「理解」し,さらに,小学校への入学は「あたりまえ」と捉えている。保護者はさらに,「毎日登校するのはあたりまえ」とも思っている。いずれも「制度」として理解すれば「あたりまえ」なのだろう。この,「あたりまえ」の側面に関する情報は,先述の通り共有され「理解」され,それに基づいて対応も進められる。しかし,その「あたりまえ」が,全ての個々の子ども・保護者にとって同様に「理解」されているかというと,その限りではない。「小学校への入学」「毎日の登校」は,「嬉しい」「楽しい」と理解されるだけではなく,「辛い」「苦しい」と理解されるのである。
ことばには「意味」と「価値」という側面がある(cf.宇田,2014)。「小学校への入学」「毎日の登校」といった,いわゆる「学校への適応」にも同様に,「意味」と「価値」という側面があるといえる。上記の「あたりまえ」の側面が「意味」であり,「嬉しい」「楽しい」「辛い」「苦しい」という側面が「価値」である。「適応する」というのは,「意味」としては「社会的に奨励される状態」であるが,「価値」としては「苦しい状態」であるとも表せる。
不足しているのはこの,「価値」の「理解」である。「意味」の側面の「理解」と共有・対応は容易である。字義通りに,あるいは現象通りに「理解」し対応すれば良いからである。しかし,「価値」の「理解」は困難を伴う。そもそも「理解」が可能なのかどうかも不明である。そして,この「価値」の共有の不十分さが,体の良い「諦め」を生みだし,問題の先送りを容認しているように見える。
「学校への適応」の「意味」と「価値」を意図的に分離し,子ども自身・保護者・そして教諭と共有していくことこそが,研究者兼実践者としての自身の役割であると考えている。少なくともこのことによって,子ども達の「問題・課題の先送り」のない,支援における「価値」が生み出せると考えている。このことを,話題提供時には,研究者としての視点から,自身の学校での体験を含め提起していきたい。
危機的環境移行を経験する生徒に対する1つの支援方法
金子泰之
子どもに関する問題は,教師の指導力不足など,学校現場の問題として帰属されるようになり,学校に対する社会のまなざしは変わった(広田,2001)。誰もが教育を受けてきた経験があるため,誰でも教育に関する意見を述べることができるのが教育である(広田,2009)。
学校現場で起きる不登校,いじめ,問題行動など,学校適応に関するテーマは社会的な関心が高い。教育について感情的に語るのではなく,調査から明らかになった研究知見にもとづき,学校現場で起きている様々な問題を捉える必要がある。
発表者は,3つの視点から中学生の学校適応に関する調査を行い,学校現場の実態を明らかにしてきた。1つ目は,教師への反発,学校内のルールからの逸脱,生徒間のいじめ等の中学生の問題行動に関するもの。2つ目は,学校の再編成過程における生徒の環境移行に関するもの。3つ目は,生徒指導と中学生の学校適応の関係に関するものである。
今回は,学校の再編成過程における生徒の環境移行を取り上げる。少子化にともない学校の統廃合が行われている。学校を取り囲む地域や行政からの視点に立った研究は行われているが,その学校に通う子どもたちは環境移行を通して何を感じているのかは十分に明らかにされているとは言えない。学校に通う子どもたちの立場から,学校統廃合という危機的環境移行についての実態を明らかにする。
具体的には,2つのことについて発表する。1つ目は,学校の再編成過程において,学校享受感やストレスがどう変化したのか,子どもたちの立場から明らかになったことを発表する。危機的環境移行における中学生の実態を明らかにする。2つ目は,調査をどのように実践し,得られた結果をどのように教育現場に還元したのかについて発表する。この調査は,調査実施後,次の新しい調査につながったケースである。調査研究が教育現場にどのように活かされていったのか,その経過についても報告したい。
「適応の支え」から捉えた不登校児童・生徒への支援
岡田有司
目の前の具体的な状況に埋没するのではなく,そこから何らかの概念を抽象し,更にその概念を個別特殊な諸実践にあてはめてみるという絶えざる往還こそが研究・実践双方の発展のために必要である。そのための方法論を身につけており,実践から一定の距離をとることも可能な研究者にはこうした役割が求められていると考えられる。このような立場に立ったうえで,本報告では「適応の支え」という概念に基づき報告者の実践を捉えなおすことを試みたい。
適応の支えは児童・生徒の学校適応を理解する際に鍵となる概念であり,児童・生徒は学校生活の中でそれぞれが自分に合った適応の支えを見いだし,それを軸に学校に適応していく。適応の支えには,①学校生活への適応の基礎としての機能,②学校生活に対する動機づけとしての機能,③学校生活において生じた喪失を補償するものとしての機能があり(岡田,2015),こうした適応の支えがうまく見つけられない,あるいは適応の支えとなっていたものが崩れてしまった場合に,児童・生徒は適応上の困難を抱えることになる。そして,困難を抱えた児童・生徒を支援する際には適応の支えに注目した支援が重要だといえ,この視点に基づけば支援の局面はいかに①適応の支えをつくるか,②適応の支えを強化するか,③適応の支えを拡張するか,の3つに区分して捉えることができる。
こうした支援の視点は学校内で困難を抱えた児童・生徒の支援だけでなく,既に不登校状態にある児童・生徒への支援においても有益であると考えられる。そこで,本報告では報告者がスタッフとして関わっていたフリースクールでの実践を中心に,そこでの実践が適応の支えという視点からどのように理解できるのかについて考えていく。フリースクールの実践を時系列に沿って整理すると大きく,①不登校状態にある児童・生徒がフリースクールで居場所を見つけられるよう支援する,②フリースクール内での対人関係の構築や活動への参加を促す,③徐々にフリースクール外での活動に移行できるよう支援するという3つの段階に区分することができる。そして,それぞれの局面でスタッフが適応の支えを見つけ,強化し,拡張できるように支援するという重要な役割を担っている。報告では具体例も交えながらどのような実践がなされているのかや,そこにおける課題について理解を深めていきたい。また,適応の支えという観点からフリースクールと学校の関係性についても考察を加えられればと思う。