日本教育心理学会第57回総会

講演情報

自主企画シンポジウム

授業研究の学際的解釈と再構築

教師・児童生徒間の相互作用を中心に

2015年8月27日(木) 16:00 〜 18:00 301A (3階)

企画・司会:野中陽一朗(高知大学), 企画・話題提供:幸坂健太郎#(北海道教育大学), 話題提供:國崎大恩#(神戸常盤大学), 有馬道久(香川大学), 指定討論:藤江康彦(東京大学大学院)

16:00 〜 18:00

[JF03] 授業研究の学際的解釈と再構築

教師・児童生徒間の相互作用を中心に

野中陽一朗1, 幸坂健太郎#2, 國崎大恩#3, 有馬道久4, 藤江康彦5 (1.高知大学, 2.北海道教育大学, 3.神戸常盤大学, 4.香川大学, 5.東京大学大学院)

キーワード:授業研究, 相互作用, 学際的解釈

企画趣旨
授業は,教育心理学分野において様々な観点から従前より検討されてきた。このような研究成果や結果の蓄積は,教育現場を刺激し,授業実践の改善に資するものだったと考えられる。また,研究者が教師の直面している課題を捉え,積極的に研究成果を還元するため,実際の教師と協同で実践を行う姿も見られるようになってきた。しかし,授業研究では,研究に含まれる多義的な領域を取り扱いながらも,異領域の学問分野で蓄積されてきた研究知見を整理・統合した上での検証は十分になされていないのが現状だろう。
こうした現状の中,本シンポジウムでは,教育現場を真に刺激する授業研究のあり方について教育哲学,教育心理学,教科教育学といった多様な学問分野からの知見に基づき授業における教師・児童生徒間の相互作用を改めて捉えなおすことを目的としている。このことは,単独分野では孤立したままで見出すことが出来なかった新たな授業研究の視点を見出し,学際的なアプローチから授業を改めて議論することに繋がるだろう。そして,指定討論者からは,各話題提供者の携わる学問分野からの授業研究に対する質疑を通して,今後の授業研究の方向性への提言を行ってもらう。最終的には,参加者全体での質疑応答・ディスカッションを通して,今後の授業研究さらには教師研究における新たな可能性を模索することを目的としている。

話題提供
「授業」という舞台,あるいは機械―教室空間の中の人やモノの相互作用―
國崎大恩(神戸常盤大学)
時には重箱の隅をつつくような議論をしながら教育思想なるものを扱ってきた教育哲学が,教師と子どもの織りなす授業についていかに語ることができるのか。教育について「高尚」に語ったつもりでいて,その現実から眼を背けてきたこの学問領域は,生き生きとした授業からさえもその血を抜き取り,標本化のために切り刻もうとしているのか。
こうした疑いのまなざしが教育哲学という学問領域それ自体にむけられることの責は,それを専門としてきた私たち自身の歩みに帰せられるべきものであろう。とはいえ,教育思想あるいはその哲学的思索が,授業とりわけその中での教師と子どもの関係性について無関心でいたわけではない。たとえば,子どもの認識過程を基礎に教師の教授活動を系統分類学的な方法によって方法化したヘルバルト,子どもの自己活動を学習の根幹に位置づけ直そうとしたデューイなど,教育学の教科書を開けば必ずと言ってよいほど目にするこれらの思想は教師と子どもの関係性を練り直すことで,教育や授業に関する新たな形を浮き彫りにしてきた。
振り返ってみるならば,教師と子どもの関係性がこれほどまでに教育学的思索の出発点とされるようになったのは,近代以降ということになるだろう。近代科学的精神を背景に人間的自然の制作可能性に立脚した近代教育は,子どもの主体性や自律性を損なうことなく,外(大人)からの働きかけによって子どもを教育していこうとする。こうした他律と自律のパラドックスとでも言うべき課題を負った近代教育は,必然的に教師と子どもの関係性をその実践の中で問い続けていかなければならなくなったのである。
ところで,1980年代に「ポストモダン」と呼ばれる議論に触れたことで,実はこうした「近代的問い」それ自体が教育哲学の中で問い直され始めている。すなわち,「教師-生徒」という関係性を前提に教育を捉えようとするのではなく,相互行為の秩序の絶えざる再構築という動的プロセスから教育と呼ばれる事象が生起してくる過程を捉えようとされ始めているのである。
そこで本発表では,これまで教育哲学において議論されてきた授業を捉える視点を整理しつつ,ジル・ドゥルーズらの議論に触発されて登場してきた新たな哲学的視点について考察を行い,そこから授業という舞台の上で人間が教師や学習者として位置付いていく(=主体化していく)ダイナミズムを明らかにしてみたい。

授業中の児童の学習状態に関する教師の観察と判断
有馬道久(香川大学)
授業中,教師は課題提示や発問,説明などの教授行動と並行して,児童の言語的・非言語的行動を手掛かりにして学習状態の観察を行い,その結果をもとに教授行動を調整する。授業は,こうしたいわばPDCAサイクルの繰り返しであり,その成果として,児童一人一人の学びと教室の学びが成立する。ここでは,ゆさぶり発問場面と問題解答場面における教師の観察と判断に関する研究方法の提案とその結果の報告を行う。
ゆさぶり発問場面での教師の視線行動 算数の授業を初任教師と熟練教師が同じ指導案で実施した。教師の頭部に装着したビデオカメラによる映像をもとに教師の視線行動を計測した。初任教師は,児童の発表時間(84秒)のうち59秒を黒板に,23秒を発表者に向け,発表者以外の児童には視線を向けなかった。代わりに発表終了後に確認質問とともに55秒発表者以外の児童を見た。一方,熟練教師は,児童の発表時間(73秒)のうち41秒を黒板に,20秒を発表者以外の児童に向けた。発表者を見たのは2秒であった。熟練教師は,「発表する子は,さっきノートを見たりして,言えるのは分かっています。子どもたちの顔を見たのは,この話を理解できているかどうかを表情から読み取ろうとしたからです。もし『理解していない』と考えたら,もう一回説明しないといけないし,『理解している』と考えたら,放って流します。」と述べた。
問題解答場面における理解度の判断 算数の授業中の問題解答場面における児童個別の理解度に関する担任教師による判断の正確さを検討した。児童の非言語的行動(机上への視線,視線の向きの変化,筆記,消しゴムの使用,自己接触,他児との相互作用)の生起頻度と教師の理解度評定値の相関係数から優位な判断手掛かり行動を推定した。同様に非言語的行動の生起頻度と児童の理解度評定値の相関係数から優位な表出行動を推定した。一致群(当該行動が表出行動かつ手掛かり行動であり,相関係数の正負の方向も一致した児童)が他の群よりも,また,一致行動数が多い児童ほど判断が正確であることが分かった。
教師の観察の意図とタイミング,判断内容,結果の授業への活用という一連の過程の検討が重要である。

国語科論理的思考力育成における評価のダイナミズム
幸坂健太郎(北海道教育大学)
国語科教育研究では,論理的思考力育成が叫ばれて久しい(例えば井上,1989;2007)。これまで,数多くの理論研究・実践が蓄積されてきている。だが,これまでの研究・実践は,論理的思考力とはどのような学力かという学力論や,どのような手段・教材で育成すれば良いかという指導論の観点から論じられることが多く,論理的思考力を評価する国語科評価の在り方については,十分に検討されていない。教師は,国語科授業の中で児童生徒の論理的思考を随時捉え,彼らに働きかけている。すなわち,論理的思考力の評価とはテスト等で事後的に測る静的・総括的なものではなく,授業の中で即時的・形成的に行われるダイナミックな教師の営みに他ならない。国語科論理的思考力育成の領域では,教師が行うこのような評価のダイナミズムの在り方やその具体の解明が課題となっている。
本報告では,分析対象として“認知カウンセリング”実践を取り上げる。認知カウンセリングは,学習者の抱える認知上の課題を捉え,その課題を指導者が捉え,そこに介入することで課題解決を目指す,教育心理学領域から生まれた個別指導方法である(市川,1993;1998)。今回取り上げる認知カウンセリングは,話題提供者自身が行った説明的文章の読みの指導実践であり(幸坂,2014),国語科授業として行われたものではない。しかし,この認知カウンセリング実践からは,教師-生徒相互のやりとりの中で行われた,教師の即興的な介入の姿を見ることができる。換言すれば,この実践は,説明的文章の読みの授業において,教師が生徒に対して行った即時的・形成的な評価活動の具体として位置づけられる。この実践を評価論の観点から分析すれば,国語科論理的思考力育成における評価のダイナミズムの在り方を構築するための一助になると考える。
まず,本実践において説明的文章の論理を生徒が読み取る際,教師がどのような生徒理解を行い,そしてどのようにフィードバックを行ったのかを分析する。この分析に基づき,一斉指導場面を主とする国語科論理的思考力育成における評価の在り方に関する示唆を得ることを目指す。