The 57th meeting of the Japanese association of educational psychology

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自主企画シンポジウム

学校適応はどのようにとらえられるのか(7)

困難を抱えた児童・青年の学校適応

Fri. Aug 28, 2015 1:30 PM - 3:30 PM 302B (3階)

企画:半澤礼之(北海道教育大学), 企画・司会:大久保智生(香川大学), 話題提供:松嶋秀明(滋賀県立大学), 川俣智路(大正大学), 田澤実(法政大学), 指定討論:牧郁子(大阪教育大学), 若松養亮(滋賀大学)

1:30 PM - 3:30 PM

[JH02] 学校適応はどのようにとらえられるのか(7)

困難を抱えた児童・青年の学校適応

半澤礼之1, 大久保智生2, 松嶋秀明3, 川俣智路4, 田澤実5, 牧郁子6, 若松養亮7 (1.北海道教育大学, 2.香川大学, 3.滋賀県立大学, 4.大正大学, 5.法政大学, 6.大阪教育大学, 7.滋賀大学)

Keywords:学校適応

企画趣旨
現在,学校現場では様々な問題が生じている。その問題を理解するためには,「学校という文脈における適応」を捉えるための視点を議論することが重要になる。このような問題意識に立ち,これまでに様々な視点から学校適応に関する問題について検討を行ってきた(大久保・半澤,2009;半澤・大久保,2010;大久保・半澤,2011,半澤・大久保,2012,大久保・半澤,2013,半澤・大久保,2014)。本発表では,これまでの検討で十分に焦点を当ててこなかった「困難を抱えた児童・青年」の学校適応に着目する。児童・青年が抱える困難さには様々なものが存在すると考えられるが,特に,それを抱えながら彼らが学校や社会に適応していくプロセスに着目した場合,そういった児童や青年を理解する上で重要となる共通の枠組みが見えてくる可能性があると思われる。本発表ではこのように,「困難を抱えた児童・青年」,「適応へのプロセス」といったものに焦点を当てて検討を行っていきたいと考えている。

「誰が学校に適応し,何がそれを支えたのかを考える」
松嶋秀明(滋賀県立大学)
報告者は,これまでスクールカウンセラーなどの実践者として,あるいは実践指向的な研究者として,小中学校に関わってきた。そのなかで,ある「荒れ」たとされている中学校(A中学校)の1学年に入学当初から卒業までの3年間を,実践関与的なフィールドワークをおこなう機会を得た(例えば松嶋,2013)。本報告では,この学校での観察事例をもとに,学校適応とはどのような事態であるのかについて考えたい。とりあげるのは3人(アキオ,コウヘイ,カイト)の生徒である。彼らはいずれも虐待的な養育環境にあり,低学力などの「困難」を抱えており,1年時にはいずれも授業エスケープ,対教師暴力をおこしていた。この時点では,こうした3人のリスクが荒れにつながっているともいえる。
しかし,教師の努力によって,2年生時に「荒れ」が落ち着いてくると,コウヘイのように教室に入るものもでてきた。ただし,同じく教室復帰したとはいえ,カイトは廊下でたむろする集団のなかでイジメの対象となり,集団から遠ざかるために嫌々ながら教室に入ることを選んだものもいた。また,アキオは,授業参加できず「たまる奴がいない」と以前の荒れた状態をなつかしみ,「僕には友達がいない」と担任にもらすなど,学校で疎外感をつのらせ,次第に校外の非行仲間とのつながりを強めた。教師は,他校生とのつきあいを抑制するよりむしろ,逸脱行為についても自由に話せる雰囲気をつくることで,積極的に関わりのなかに参入した。と同時に,校舎の補修に誘うといった方法で,授業に入れないアキオに学校活動へ関与させ,ストレングスを見出して評価した。その結果,アキオは自分の将来・進路についての意識を高め,現在の非行的交遊のデメリットを意識化できた。そのことは学校に来ることの意味を再考することにつながった。ところが早期から教室復帰していたコウヘイは,友人に影響されて高校進学を希望するが,進路未決定のまま卒業することになった。
こうしたことを踏まえれば,教室に入っていることが一概に適応しているとは言い難いのはもちろん,問題行動が個的なリスク要因のみによってひきおこされているわけではないことがわかる。また,A中学校での実践をみれば,変わったのは非行生徒の行動というよりは,むしろ,非行生徒の特性を理解するようにつとめた教師集団をふくめた全体的な人間関係の布置だといえる。

「適応と不適応を分けるものは何か?」
川俣智路(大正大学)
小学校6年生の男子児童は,5年生頃から学習面で遅れが見られ,そのことにより授業に参加できずぼーっとしている場面が多く見られるようになった。また行事などでも,指示が理解できず級友や教員から叱責される場面も多く見られた。本人もそのことを気にしており,学級で泣いてしまうこともあった。教員はこの児童のために,学習支援員をつけるようにして,学習面や行動面でこの児童が戸惑った際に個別支援ができるように配慮した。しかし,こうした個別支援が試みられたのにもかかわらず,この児童の学習面や行動面の問題は好転せず,また教員や級友との関係性も悪くなっていった。
高校2年生の男子生徒は,教員への暴力により高校に在籍することが難しくなり,今の高校に転校してきた。転校してきた高校は地域から「教育困難校」と呼ばれる高校で,様々な困難を抱える生徒が多く在籍している学校であった。この生徒は,転校してきてからほとんど学級の中で会話をすることがなく,授業中も寝ている場面が多く見られた。この生徒の担任教員は,個別に話をする時間を持つようにはしたが,他に特別な支援をすることはなく,この生徒を見守った。この生徒は,3年生に進級する際に単位取得が危ぶまれたが,他の生徒と同様に補習を受け,進級することができた。心配されていた,教員や級友への暴力なども全く見られず,そのまま卒業することができた。
学校における適応/不適応とは,教員や学級の慣習や文化によってその形は異なってくる。同じような困難を抱える児童・生徒でも,その場の慣習や文化によって適応できるかどうかは異なるだろう。では,適応と不適応を分ける要素とは何であり,どのような慣習や文化がそこに影響しているのだろうか。本報告では,これまで報告者が実施してきたフィールドワークから,教員の働きかけにもかかわらず不適応に至ったケースと,問題行動が原因で転校してきた生徒が新たな学校で適応へ至ったケースを報告し,その両者の比較から適応と不適応を分ける要因について検討したい。

「若年無業者の就労支援:個人に対するアプローチと環境に対するアプローチ」
田澤 実(法政大学)
学校から社会への移行が困難な若者を対象にした就労支援について報告する。具体的には,若年無業者の支援機関である地域若者サポートステーションの支援枠組を紹介し,地域資源との連携をしながら行われている「中間的就労」について報告する。
児美川(2013)によれば,高校入学者が100人いたとすれば,どこかの段階までの教育機関をきちんと卒業し,新卒就職をして,そして,3年後も就業継続をしている者はじつは41人しかいない。逆に言えば,同世代の半分強は,学校段階においてか就労においてか,どこかでつまずいたり,立ちすくんで滞留したり,やり直しを余儀なくされたりしている。これらの者の中にはその後,転職をして就労する者も含まれるが,なかには,無業状態が続く者も含まれる。
無業者の支援機関のひとつが地域若者サポートステーションである。先行研究(社会経済生産性本部,2007,2008)から示されている地域若者サポートステーションを利用する若者の特徴を列挙すると,属性としては「男性が7~8割」「25~29歳の年齢層が多い」「全体の93.5%は高校に入学。進学率は同世代の水準から見て特に低いものではない」「7~8割程度に職業経験がある」などが,生活経験としては「学校でいじめられた」「ひきこもり」「不登校になった」「精神科又は心療内科で治療を受けた」「発達障害の疑い」などがあげられる。
就労支援においては個人に対するアプローチのみならず,環境に対するアプローチもある。個人を理解して支援するだけでなく,働く場所を開拓するということである。「中間的就労」には,就労以前の課題を整理・克服して,初めて一般就労の継続が可能になるという複合的な課題を抱える人たちの実態に即した支援の考え方が示されている。
就労支援とは,社会における参加の機会や役割を奪われてきた人たちを,生きがいが得られるような仕事や職場に結びつけていくことを目標として,①そのために必要な力をつけられるように支援する活動や,②「能力」や個性に合わせて働けるような職場と働き方を作り出す活動である(筒井・櫻井・本田,2014)。ここには,個を支援するだけでなく,働く場を創出することの必要性が示されている。本報告では,「個人のやる気の問題」だけで片付けられがちである無業者の就労支援について,適切な環境を用意することの重要性を示したい。